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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇 二の章
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八、万木

 万木(よりき)は、大后(おおきさき)の宮を楽しんで居た。閉ざされた花籠、出口の無い妻籠(つまごみ)。そんな風に思って居たから、中には入れると聞いて直ぐに毒味役を引き受けた。

 万木の生まれは、南の(うから)の医師の家系だ。幼い頃から毒に耐性を付けられたし、何が危ない食い合わせかも分かって居る。其れがこの真秀(まほ)ろばで役立つ時が来たのだと、張り切って(くりや)に来た。

 所が、宮守(みやもり)が既に薬草畑を持って居る。烏頭(うず)は流石に無いが、此の平和な宮でしそうな病気や怪我は賄える物だ。

 厨の者達も時記(ときふさ)とか言う宮守を当てにして、自分には何も聞いて来ない。宮守と自分の上に付けられた井波(いなみ)が同郷なのは、後から聞いた。其れまでは、自分が否定されている様な心持ちになっていたのだ。

 幸いにも、妻籠だけあって女は多い。万木が悪戯心を起こしたのも、其の所為だ。ただ女の尻を触っただけで、出て行けとまで言われるとは思わなかった。

 其処で初めて知った、大后の生まれや族の仕来(しきた)り。鬱陶しいと思って居た時記が、目に見える形で教えて呉れた。

「時記さま、あんた宮守なんかにされて此処に閉じ籠もって居るよりも、大王(おおきみ)の側近になった方が良いんじゃ無いか?」

 万木がそう聞いたが、時記は此の宮を護る事が、(いお)(もり)を守る事だからと譲らなかった。私の先に廃された兄ならば、そう云う話は大好きだっただろうけど。時記が哀しげな表情を浮かべてそう言うので、此の宮にも何か事情が有るのだとは、万木にも理解出来た。

「しかし、(みお)さまはお美しいな!大后さまの方が美しいなんざ、想像つかねえや」

「澪は真耶佳(まやか)妹姫(おとひめ)に似て居るんだよ。真耶佳は、私の母に似ているかも知れないね」

 淡い色をした時記が笑うと、男でも惹き付けられそうな程華がある。

「其の妹姫が、あの高台の桜が咲き誇る頃には真耶佳も歩き回れると言うから、時が来るのを楽しみにして置いて」

「そりゃあ楽しみだ!大王の正妻だと分かってても、美しいものは愛でたいからな」

「万木、貴男には悪気が無いんだね」

 ふふ、と笑って時記が言うから、万木は何の事かと思う。

「私は叱り飛ばせと言われて来たのだけど、貴男とのお喋りを楽しんで居るよ」

「あ………」

 万木は厨から連れ出された理由を思い出し、姿勢を正す。もう怒る気は無いよ、と時記が言うまで、万木は堅苦しく立って居た。

「杜への無知がした事だから、私達には責められない。此れからはもう、女達に手は出さないで呉れるよね?」

「ああ、勿論だ!其れと…」

「其れと?」

「時記さまの薬草畑、偶に弄っても良いか…?」

 最近、雑草が気になる季節になって来たろう、と万木は言う。時記としては、皇子(みこ)が増えて宮守の他に也耶(やや)の面倒も見ているので、薬草畑は少し疎かになっていた。

「有り難いよ。何か植える時には、一声掛けて呉れると云うなら頼みたいな」

「良いのか!?」

「うん。今は毎夜膿止めの薬草が必要で、宮で加工しているんだ。其れを取りに来るくらいしか、出来て居無かったからね」

 膿止め、と聞いて万木は少し考え込んだ。此の宮に、必要な者が居るだろうか、と。病は聞かない。怪我も聞かない。赤子は二人共、迚も健康だと云う。

「澪が子生みの時に、槍持て門の(かんぬき)を開けさせた妃が居てね」

 もう、廃位(はいい)されたんだけど、と時記が語り出す。其の時に外側の舎人(とねり)が二人、槍でやられたのだ、と。

「未だ膿が出るって事は、錆びた槍でやられたのか!?」

「そうみたいなんだ。一人はもう治っているけれど、もう一人は未だ膿の出口が塞がらない」

「そりゃ…災難だったな。心得の無い槍は、無茶に抉るからな」

 膿止めは此れと此れか、と万木は薬草畑を見て言う。もう直ぐ葉が出る新芽が幾つか有るから、其れを()()にしてはどうかと。

「うん、詳しい人が来て良かった。では万木、任せても良い?」

「勿論でさぁ!」

「ちゃんと女達には、尻を触ったのは私の所為だったと言うから」

 時記が笑顔を崩さずに言うから、万木も頭を掻いて俺が未熟だったんだ、と悔いを口にした。時記に会う前から厭な宮守と決め付けて、憂さ晴らしに厨に来た女の尻を触る。そんな理論が有るか、と万木は頭を抱えた。

「今言った事も含めて伝えれば、女達の怒りは収まるよ」

「何とも情けない話で…」

「そんな事は無いよ。貴男が間違えを認められるのは、しっかりと考えて居るからだと分かるからね」

「時記さまは矢っ張り、上に立つべきお方だよなぁ…」

「私は宮守で充分だよ。有り難う、万木」

「礼を言うなら俺の方だろ、時記さま」

 厨まで送って呉れた時記に、万木は一礼する。時記の見せた異世火(ことよび)や幻は、杜への敬意を抱かせるに充分だった様だ。

 怒り心頭と云った様子だった井波と遊佐(ゆさ)も、笑って返って来た二人に毒気を抜かれている。

「井波、万木は医師の家系の者だ。何か困った時は、頼るべきだよ」

「え…お前そんな事一言も…」

 井波が驚いて万木に言うと、時記さまだけで充分かと思ったんだ、と万木はまた頭を掻く。

「で、反省はしたのか?」

「後悔してる。もう二度としねえ」

 井波に取っては、初めて聞いた万木の真摯な声。分かった、と言った井波は、献立作りにも関わって呉れ、と言って厨に入って行った。

「遊佐、本当に悪かった!お前の大事な女の尻を触るなんて…」

「許せないけど、喬音(たかね)が許したら許す」

 憮然とした表情の遊佐は若さも有ってか注文が多いが、時記が連れて行く前とは万木の雰囲気が違う事には気付いた様だ。

「何か、やる気になってるね、あんた」

「おうよ!時記さまの薬草畑を弄るっつー大命も拝したからな!」

「怪しい薬、育てるなよ」

 遊佐からの信用を勝ち取るのは遠そうだが、万木はやっと厨での居場所を手に入れた。全ては時記さまのお陰だ、とは、後に万木が漏らした言葉である。




 さて、宮に戻った時記は、先ず大王に事の次第を言訳した。聞いた大王は、配置した人間が言葉足らずだな、と弁を述べる。

「時記が此の様な人柄である事を知れば、自然に交流は生まれる物。宮守と云う肩書きが、一人歩きして仕舞ったな」

 大王は、我の不注意でも有る、と側女(そばめ)達を見た。側女達は皆聞き耳を立てて居て、時記は声を抑えずに話して居た。

 詰まりは、万木の反省の弁は皆に伝わったと云う事。万木は男系で育ったのだろう、と言えば、側女達も許す気になった様だ。

三朝(みささ)、喬音、如何(どう)しますか?」

 代表して、澪が当事者二人に許下(きょげ)を委ねる。三朝と喬音は顔を見合わせて、次が無いなら、と話し合った。

「許しますわ」

 三朝が年長者として、澪に答えた。怒り狂っていた三朝が先に許すと言うとは、と澪は少し驚いたが、そうですか、と笑う。

「喬音も、其れで良いわね?」

「ええ、三朝」

「良かったです、三朝の機嫌も収まって」

 澪が言うと、居場所が無いのは辛いですからね、と三朝が返して来た。今日も、真耶佳の側女達は人の心を(おもんぱか)れる良き側女だ、と澪は心底感じた。

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