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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇 二の章
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六、杜の約

 四月(うづき)になると、本当に大王(おおきみ)大后(おおきさき)の宮に越して来た。真耶佳(まやか)が使って居た長椅子には、未だ大王の居場所は無い。けれど桜が咲き誇るまでには真耶佳は自力で歩ける、と亜耶の力強い闇見(くらみ)もあった。

「桜も綻んできた。早く真耶佳と朝霞(あさか)と見に行きたいものだ」

「今年は、春が遅いですわね」

 真耶佳はおっとりと言い、逸る大王の心を静めようとする。すると大王は、纏向(まきむく)の春はこんな物だ、と返して来る。

 (もり)ではもう、山々が山桜で白く染まって居ると云う。冬も杜より厳しかったし、此方はこんな物なのかも知れない、と真耶佳は思い直した。

 朝餉を終えた今、喬音(たかね)遊佐(ゆさ)と共に器を返しに行っている。万木(よりき)が手伝いを申し出たらしいが、井波(いなみ)が一蹴したと遊佐はぽつぽつと話して居た。今日は笹の器が多かったので、三朝(みささ)まで行く程量が無い。少しいじけ気味の三朝は、遊佐も若い娘が良いのね、と毒づいて居る。

 ただ(みお)の目には、三朝と喬音では思いの重さが違うのが見えて居た。そして、遊佐が誰を見ているのかも。

 今日は、喬音は少し遅くなる。澪はそう判断して、香古加(かごか)也耶(やや)の世話を手伝って貰う様頼んだ。




 所変わって(くりや)前。喬音は、遊佐の普段とは違う態度に戸惑って居た。優しい少年ではあるのだ。けれど今日は、甘やかされている様な気がする。

「遊佐」

「喬音」

 二人同時に声を発し、暫し見詰め合う。すると遊佐は少し目を逸らして、十四になったら妻問(つまど)いして良いか、と小さな声で言った。

「何故、十四…?私はその頃には十八の年古女(としふるおんな)よ」

「父に確認したんだ、喬音に妻問いして良いか、と。一年気持ちが変わらなかったら許す、と言われて仕舞って…」

「そう…遊佐は未だ、若いものね」

 上背は伸び、厨の仕事で体が作られて来ても遊佐はまだ数えで十三。声変わりは最近始まったが、確かに妻問いは早いだろう。

「でも、何故私なの…?」

 喬音が、勇気を振り絞り遊佐に聞く。其の頬は、真っ赤だ。

「僕は、喬音が好きだ。幼いのは自覚して居る。ただ、喬音を誰にも盗られたく無い…!」

「私も、遊佐が好き。貴男が思っている以上に、好き」

 だから、一年待つわ。其の言葉が喬音の唇から落ちた途端、遊佐は喬音を抱き締めた。

「指切りを、しても良い?杜の、僕の父と母が結ばれた指切り」

「良いわよ…遣り方が分からないから、教えて」

「一度約したら、取り消しは効かない。本当に良いか?」

「ええ」

 二人は互いの右手の小指を絡ませ、遊佐が不思議な歌を歌った。途端に手がほわんと温かくなり、二人はまた見詰め合った。そうすると自然に、唇が重なる。

「僕が未熟なのは、理解してる。其れでも男だと思って呉れて有り難う」

 真っ赤になった二人の頬が、口づけは夢では無いと知らせていた。未熟だなんて、と喬音は言い、少し自分より背の高くなった遊佐を見上げて淡く笑う。

「ねえ、香古加には話して良い?ずっと互いの恋を応援し合っていたの」

「良いよ。大王と真耶佳さまにも伝えて置かなければ…」

 遊佐は、厨まで来た道を戻ろうとする。其処に、闖入者(ちんにゅうしゃ)だ。

「見てたぜぇ、お前、意外と度胸あんのな!俺はお前等を見守る事に決めた!喬音、こないだは尻触って悪かったな!!」

「万木…」

 思い切り邪魔だ、と云う視線で遊佐が見ているにも関わらず、万木は一気に喋り終えた。喬音を万木から隠し、今から報告に行こう、と遊佐は言う。喬音も同意して、二人は宮の(きざはし)に逆戻りした。




 既に澪から、内緒のお話をしに来る者が居りますと報告を受けて居た大王と真耶佳は、機嫌良く遊佐と喬音を迎え入れた。側女(そばめ)達は、逆側の壁に張り付いている。

「一年後に、妹背(いもせ)となるとな?良き事よ」

 大王は目尻を下げて二人を(よみ)した。勿論、小さな声で。真耶佳は二人の小指が気になって居る様だ。

如何(どう)した、真耶佳」

「初めて見る訳では無いのだけれど…其れ、杜の約よね、遊佐?」

「はい。霊眼(まなこ)では、どう見えるのですか…?」

「赤い光が、巻き付いて居るわ。一対だと、(あかし)する様に」

 姶良(あいら)相良(さがら)には見えて仕舞うわねえ、と真耶佳は考え込んだ様子だ。其処に喬音が、一年は香古加にしか明かさない積もりだと告げる。

「そうなの…まあ、露見した時は私と(あかとき)(きみ)で上手く遣るわ」

 そして真耶佳は、嬉しいわねえと微笑んだ。側女の中には子を置いて仕えに来ている者も居るが、うら若い側女は(つま)を取るべきだと真耶佳は思って居る。勿論、大王も賛成済みだ。

 真耶佳の一つ下の喬音から、こう云う話が来るとは嬉しい。一年は待つけれど、十八ならば充分子も生める。

 也耶や朝霞の良い遊び相手になって呉れれば。澪と真耶佳で、先程話した内容だ。そして何れは、后の宮の側女へ。次の后、朝霞の妻にも仕えて呉れると嬉しい、と真耶佳は口にした。




 そして夕餉が来る前に、赤子の湯の時間。澪は予定通り、喬音と香古加を呼んだ。喬音には、階を下りたらお話しなさい、と耳打ちする事も忘れずに。

 喬音の頬が赤くなったが、口許の緩みは隠せない。香古加にだけは伝えるのなら、今が良い。言外にそう伝えて、澪は二人に赤子を抱かせた。今日は喬音が也耶、皇子(みこ)が香古加だ。

 暴れる皇子にどの程度香古加の手練(てだ)れが通用するのか、見てみる様にとも真耶佳からは言われている。

「香古加」

 階を下りきった所で、喬音が意を決した様に友に声を掛けた。少し緊張した声音に、ただ事では無いと香古加も振り返る。

「私…遊佐から一年後の妻問いの約束、貰ったわ…」

 未だ恋が叶って居無い香古加には、酷な報告となるかも知れない。そんな喬音の心根が染み出た、小さな声での報告だった。

 だが香古加はと云えば、意味を解すると同時に満面の笑み。口が大きく開いた事で、澪が慌てて香古加の口を塞ぐ。

「香古加、側女では貴女以外には秘密なのです」

 澪が耳元で言うと、香古加は少し息を整えてから、お目出度う、嬉しいと小声で言った。

「嬉しいって?」

「喬音の思いが叶って、嬉しいの」

 香古加ははにかみ乍ら言い、喬音を喜ばせる。一年後と云うのは、何故?と香古加が聞くのを、喬音も予想して居たのだろう。遊佐との約を、掻い摘まんで話した。

 其処にぷしっと、皇子の嚔が響く。だいぶ風は温くなったが、寒かったのか。二人は気を取り直して澪に詫び、湯殿への道を急いだ。

「此処で伝えろと云ったのは私なんですから、気にしないで下さいな」

 澪の優しい言葉に救われ乍ら、今日も喬音と香古加の湯殿(ゆどの)でのお務めは続く。

 香古加は泣き喚く皇子を()なすのも上手く、喬音は感心して居た。皇子は湯に入ると手足を振り回すのだが、其れを封じて沐浴を進めて行く。端女(はしため)達も驚く程の手際で皇子の沐浴を終え、皇子に生まれて初めての諦めを香古加は教えた。

 私も香古加に倣おう、と言った喬音の真面目な表情が、印象的な昼下がり。しあわせが、湯殿を取り巻いていた。

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