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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇 二の章
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五、洞窟

 綾は、結局二房の干し柿を持って行った。勝手に真耶佳(まやか)の間に入り込み、四つずつ連ねられた房を二つ取ってきたので、大蛇(おろと)も困った様だ。

「四つが二房で八つ。神饌(みせ)になるでしょ?」

 綾は悪びれずそう言って、干し柿を放さない。巫王(ふおう)も綾が持って行ったとなれば、諦めるだろう。其れが、溜息交じりに大蛇の出した答えだった。

「神饌って、綾はまた海に入りたいの?」

 亜耶の素朴な疑問に、綾はうん、と頷く。だいぶ暖かくなって来たし、気嵐(けあらし)も出ないから、と。

「気嵐が出ないだけで暖かい、なんて…」

 亜耶は(あき)れて仕舞うが、大蛇は違和感を感じて居無い様だ。

「二房取ったって事は、あと二房あんだな?」

「うん、八津代(やつしろ)も春までに飽きるでしょ」

 大龍彦(おおつちひこ)に手土産が出来て機嫌の良い綾は、軽く言ってのける。そして、ああそうだ、と亜耶に向き直った。

「亜耶は、次の月の忌みを見る前に孕むよ」

 お礼に教えて上げる、と綾が口にしたのは、とんでもない未来(さき)。亜耶にも巫王にも、見えて居無い未来だった。

「孕みの()は、亜耶でも分かると思う。まあ、三月(みつき)四月(よつき)は先かな」

「分かった、気を付けて置くわ…」

 突然言われた孕みの時期に、亜耶は戸惑いを隠せない。其れより、と綾はもっと言いたい事が有る様だ。

「僕等の子達、次の子を孕む前に見に来てよ。干潮だから、五日後が良いな」

八和尊(やかずほ)も連れて行って大丈夫?」

「うん。大蛇も来る?」

「俺は兄者に案内して貰うから良い」

 まあ大蛇は満潮でも行けるもんね、と綾は気にした様子は無い。そう言えば此の乳兄弟(ちのと)達は、水の中でも息が出来るのだった、と亜耶は思いだした。

「じゃあ、五日後の昼時に神殿(かむどの)に行けば良いのかしら?」

「もうちょっと早く。日が中天に上る前」

「分かったわ。神饌は要る?」

「生まれても居無い子に、そんな気遣い要らないよ」

 其れよりも夕餉を楽しんで、と綾に言われ、水鏡(みずかがみ)での遣り取りから随分長く経った事に亜耶は気付いた。八和尊が泣くから乳は与えて居たけれど、襁褓(むつ)も替えなければ。そう思った時には大蛇が八和尊の襁褓を替え終わって居た。

「有り難う、大蛇」

「ああ、そろそろ替え時だろうと思ってたんだよ」

 我が子の事だから、礼は要らない。大蛇はそう言うけれど、常に感謝の念を持って居無ければ亜耶はまた未来を取り違えて仕舞いそうだ。

「亜耶、大丈夫。大蛇ももう、焦ってない」

「でも…感謝はすべきだわ」

 亜耶の心の内を覗いたのだろう綾が少し笑い乍ら言うけれど、もう習慣化した妹背(いもせ)の間での言葉の遣り取り。八和尊も大蛇も居て当然では無い、と亜耶は深く心に刻んで居た。




 綾との約束の日、前日に大蛇が熊を狩ってきた事も有って、神殿に行く亜耶の手には笹の包みがあった。血凝(ちこごり)作りはまた氷冴(ひさえ)を巻き込んだが、舎人(とねり)の仕事だけでは物足りなくなって居るらしい氷冴には丁度良いだろう。

 大蛇を慕う年若い男は多く、其れだけでも人柄が知れるという物。巫王や時記が(ときふさ)未だに懐いて居るのも然りだ。

「綾、お待たせ」

 亜耶は八和尊を毛皮のお包みに入れ、神殿へと辿り着いた。出て来た大龍彦は、直ぐに笹の包みを検める。

「亜耶、もしかしてまた熊の肉か?」

「そうよ。昨日大蛇が狩ってきたの。丁度良いからって焼いて呉れたわ」

「神饌なんて要らない、って言ったのに」

 綾が出て来て苦笑するが、焼いた熊肉は気に入らない訳では無いらしい。温かいうちに一切れ食べて良いか、と綾も確認して来る。日は中天に上る前。充分に時間は有るから、亜耶は良いわよ、と請け合った。

「亜耶、此処で(くつ)は脱いで。裳裾(もすそ)も縛って行こう」

 綾が熊の肉を頬張り乍ら指示を出す。妹背岩の裏にある洞窟だと事前に聞いていた亜耶は、足元が泥濘(ぬかる)むのだろうと裳裾を上げるのを了承した。

「多分洞窟に居る子を見たら、亜耶も驚くよ」

 僕も、綿津見神様(わたつみのかみさま)が連れて行けと仰有った時には驚いたから。綾が言うが、亜耶には既に双子の姿は見えている。海の者だけれど、(もり)に馴染むからだろう。綾や大龍彦の様に、何も見えない子等では無い。

「何で驚くの?(りん)海馬(うなま)も見えて居るのに」

「未だ内緒」

 隠し事の好きな綾は、直ぐには答えて呉れない。どうせ行けば分かるのだし、と亜耶は放って置く事にした。

「さあ、行こうか」

 一切れと云わず熊の肉の取り分を全て食べ終えた綾が、やっと腰を上げた。此れから少し、足が水に浸かる。そう言われて亜耶は、裳裾を上げ直した。




 こっち、と促される侭に着いたのは、岩場の先の(かむ)()だった。其処に洞窟があるのは舟からは見えるが、亜耶は入った事は無い。

「本当に入って良いの?」

「うん、綿津見神様のお許しは頂いてる」

 岩場を越えて泥濘む砂地に入った所で、亜耶は改めて聞いた。神つ地など、巫覡(かんなぎ)であってもおいそれと足を踏み入れて良い訳では無い。

 其れを難なく()なして、綾は洞窟の中へと進んでいく。そんなに深い洞窟では無く、外の灯りが入る場所に綾と大龍彦の子等は居た。

 未だ幼子くらいの透明な卵の中で、美しい色の稚魚が泳いでいる。卵は二つに分かれていて、稚魚は片方が碧、片方が白い。

「凜は、勾玉を持つのね」

「見えるの、亜耶?」

「ええ、杜に混じる子等だもの」

 誰かが卵に頻りに水を掛けているが、其の人影が漸く振り向いた。

海人(みなと)…」

 年の初めに海に呑まれた(くが)の子が、子等の世話係。其れを見て、亜耶が驚いて居るのを海人は怪訝な顔で見詰めて居る。

「何故、俺の名を知っている?」

「敬いなよ、海人。何れは(いお)(もり)(おびと)になる姫なんだから」

「…あんたが亜耶さまか」

 陸で名は聞いて居た。海人はそう言って、此処まで人が来られた事に納得して居る。そして直ぐに亜耶に背を向け、卵に水を掛け始めた。

「双子で妹背、なのね」

「うん」

(いお)同母(いろ)に立ち返るのだわ」

 亜耶も気を取り直して、子等を見詰め闇見(くらみ)をする。巫王が神殿の裏に(やしろ)を建てる事、子等は妹背となって其処に住み着き、子孫を杜に混じらせて行く事。

「杜の王族と(よば)ったり、時の大王(おおきみ)に捧げられる子も居るのね」

 亜耶の闇見は綾の予想外に深くまで読んだ様で、そんなに先まで、と綾が感嘆を唇に乗せた。亜耶は肩を竦めて、全部私が生きている間だわ、と返す。

「其れよりも近いのは海人の母の事ね」

 海人の卵に水を掛ける手が、僅かに震えるのを見て何も知らされて居無いのだと亜耶は悟った。綾に目配せすると、伝えて良いと頷かれたので亜耶は其の侭続ける。

「海人の母は、腹の子の名前を貰いにお父様に会いに来るわ。其の時は満潮だから、海人の手も空くでしょう。綿津見神様がお許しになったら、同母妹(いろも)を見に来ると良いわ」

「同母妹…?俺の事は、見えるのか…?」

「分からないわ。貴男はもう海の者だから、私の闇見は及ばない」

 でも貴男の母は見える。そう言うと、海人は見えなくても良い、と言った。見えなくても会いたい、と。

「分かった、僕が綿津見神様に言って置いてあげる」

「綾様…」

「亜耶、其れはいつ頃?」

「秋の初め、月待ちの宴が有る頃だわ」

 綾は頷いて、舟で来るなら昼だよね、と言う。

「陸の族人(うからびと)は昼しか白浜に来られないわ」

 当然、海人の母は魚の杜に入れない。白浜で名を授かる事になる、と亜耶は伝えた。海人の水を掛ける手は止まらず、けれど力が籠もった様に感じる。数えで九つの少年だ、矢張り母は恋しいのだろう。

「海人、未来の杜の子等を宜しくね」

 亜耶はそう告げて、稚魚たちを眺める事に専念した。

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