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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇 二の章
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三、綾の計らい

 もう香古加(かごか)も落ち着いた頃だろうか、と亜耶は昼餉を終えて思った。今日は綾が、女御館(おなみたち)に来ている。曰く、香古加に特別な事を赦して上げる為、だそうだ。

「何で、お前居るんだ?」

 大蛇(おろと)は率直に疑問を口にするが、綾は干し柿を片手に答えない。干し柿は昼餉時に来たから、仕方無しに大蛇が渡した物だ。ちまちまと食われて居る辺り、綾の気に召したのだろう。

「綾、干し柿が気に入ったの?」

「うん、偶には甘い物も良いね。大龍彦(おおつちひこ)にも食べさせたい」

「じゃあ帰りに、一房遣るよ」

 八津代(やつしろ)も気に入ってるから、其れ以上は無しだと大蛇は綾に言う。綾は素直に礼を言って、水鏡(みずかがみ)の方を見た。

「綾、()だよ。今頃(みお)が、香古加の化粧(けわい)を直して居るわ」

「うん、分かってる」

 亜耶も大蛇に干し柿を渡され、小さく齧り付く。此れを食べ終えるまでは、水鏡は揺れないと知って居るから。

 普段は巫王(ふおう)しか食べない干し柿が一時(ひととき)の人気を博した所為で、大蛇の機嫌は良さそうだ。今年の秋には、大龍彦の好きな焼き栗でも作ってやるか、と零して居る。

「ああ、そうだ。八和尊(やかずほ)の首が据わったら見せに来いって、綿津見神様(わたつみのかみさま)が言ってたよ」

「なんか同じ事、山津見(やまつみ)の爺さんにも言われたな…」

「大蛇の子だから山津見神様が先で良いって、綿津見神様が」

「爺も偶には気が利くんだな…」

 何となく綿津見神を敬って居無い大蛇が綾に小突かれて、女御館は少々騒がしくなった。山津見神は山中、綿津見神は外海と、八和尊の首が据わったら忙しくなりそうだ。

 其れに、(もり)の宴もある。初夏になれば八和尊が風邪を引く事も無いだろうと巫王が喜んで企てて居るのを、亜耶も大蛇も知って居た。




 ちびちびと食べていた綾の干し柿が無くなった頃、水鏡が揺れた。亜耶の干し柿は疾うに腹の中だ。

「澪」

 可愛い妹姫(おとひめ)の名を呼んで、亜耶は優しく水鏡に笑い掛ける。横に緊張した面持ちの香古加が居るのは、織り込み済みだ。

「澪、今日は綾が特別に香古加にも見える様にして呉れるんですって」

「まあ、亜耶さま本当ですか?」

 嬉しそうな澪の声に、亜耶はええ、と頷く。そして、澪の握り石を香古加に握らせて、と言った。

「香古加、此れを握って。特別に見える様になるそうよ」

「澪、香古加の目を閉じさせて」

 亜耶が言うと、澪は香古加に優しく言い聞かせ乍ら目を閉じさせる。亜耶は其れから八つ、数えた。

「香古加、もう私の声が聞こえるわね?」

「亜耶姫様…ですか?真耶佳(まやか)さまと声が似ています…」

「ふふ、よく言われるわ。目を開けて、水鏡を覗いてご覧なさい」

 恐る恐る目を開いた香古加が、水鏡を覗き込んで目を(みは)る。巫覡(かんなぎ)たる者達の見ていた世界が、目の前に見えて居るのだ。只人(ただびと)の香古加には驚きだろう。

「亜耶姫様、この度は本当に…有り難う御座いました…言葉を尽くしたいのですが、中々出て来ません…」

 また瞳にじわ、と涙を浮かべて、香古加は亜耶に言う。亜耶は良いのよ、と言って優しく笑った。途端に香古加の顔が、(あけ)を帯びる。真耶佳とはまた別の美しさで、亜耶は香古加の心を掴んだ様だ。

産屋(うぶや)に居られた時には、険しいお顔を為さっていたので…」

「あの時は、真耶佳が良くなかったからよ。いつも険しい顔をして居る訳では無いわ」

 亜耶は面白そうに笑って、香古加を怯えさせて居たかと問う。すると香古加は、いいえ、と答えた。

「香古加、揚羽姫(あげはひめ)廃位(はいい)されて、妻籠(つまごみ)から出されたわ」

「え…采女(うねめ)にすらなれなかったのですか…?」

「ええ、本人が思う程、必要とはされて居無かったのね。それで櫛を持っていた年嵩(としかさ)端女(はしため)は、真耶佳が宮内(みやうち)に招き入れたわ」

 后の湯殿(ゆどの)で働く様になった新しい端女の事を、亜耶はゆっくりと告げる。すると香古加は、真耶佳さまが…と呟いた。

 妃が居無くなれば、其の下に付いていた端女は行き場を失う。真耶佳は、その端女すら引き取ったのだ。

「香古加の櫛を守って呉れた端女よ、今度会うのも良いんじゃ無い?」

「はい…っ!でも后の湯殿なんて、どうやって入れば…」

「では香古加、後で也耶(やや)皇子(みこ)の沐浴に行きますから、其の時に付いて来て下さいな」

 澪が案を出すと、香古加は其れに飛び付いた。

「是非、お供させて下さい…!」

「少し仕事を覚えて貰う事になりますが、良いですか?」

「勿論、澪さまにも尽くさせて頂きます!」

 必死の香古加に、亜耶はうふ、と声に出して笑う。澪は赤子と共に湯殿に行けば自らも湯を使うから、其の間の事を覚えて欲しいのだ。喬音(たかね)が月の忌みで籠もっている時に、香古加に付いて来て貰う為に。

「也耶は喬音の次に香古加が好きだものね。丁度良い機会だわ」

「え…?」

 何故急に、と云う風情の香古加に、澪が湯殿に連れて行く理由を言訳(ことわけ)して遣ると、香古加は驚いた様だった。

「喬音の代わりを、私が…?」

「適任よ」

 亜耶が言い切ると、澪もそうだと頷く。

「香古加は也耶を抱いて、泣かれた事が無いでしょう?珍しい事なのですよ」

「そうだったのですか…心よりお仕えさせて頂きます」

「そんなに畏まらないで下さいな」

 香古加と澪の有り取りが可愛くて、亜耶は終始にこにことして居た。澪もそんな亜耶を見て、美しい笑い顔を向ける。

「澪さまと亜耶姫様…似て居られますね…」

 華は亜耶の方が有るけれど、人を安堵させる空気は澪に有る。其れは二人共自覚して居るので、又従兄弟(はとこ)だから、と簡単に言訳した。香古加も其れは知って居た様で、頻りに二人の笑顔を見比べる。

「矢張り…お二方ともお美しいです…」

 真耶佳とはまた、異なった美しさ。違いを羅列したのは、二人が杜に居た頃の大蛇だ。懐かしく思い出し、亜耶はふと気が付いた。

「香古加、此の見える状態、長く続けると凄く目の奥が重くなるそうなの。大丈夫?」

「え、あ、はい、今の所は…」

 今は泣き過ぎて気付いて居無いだけかも知れないが、随分な時間を引き留めて仕舞った。亜耶は無理をさせた事を詫び、そろそろ湯殿の刻よね、と澪に確認する。

「そうですね、香古加、何か伝え残した事は有る?」

「え、えと、兎に角私めの感謝の念を知って頂きたくて…本当に、有り難う御座います…!」

「其の手鏡の蝶の羽に付いている石はね、(から)で勝利の石と呼ばれて居るそうよ」

 亜耶は一見関係の無い返しをして、其れから香古加が此れからどんな事にも打ち勝って行く事を祈るわ、と締めた。

 香古加は重ねて礼を言い、亜耶の姿を其の眼裏(まなうら)に刻んで居る。

「では香古加、元気で」

 亜耶の別れの言葉に、香古加は深く頭を下げた。

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