二、側女達への贈り物
今朝の朝餉の席では、真耶佳の横に何か白い布包みがあった。其れも、幾つも。その中で一つだけ赤い布包みが、一際目を引く。
此れが、女達の秘密の計画。祝い膳では無いので真耶佳達三人に大王と時記を加えた五人しか居無いが、大王が執務に出たら包みは開かれる事になる。
誰もが布包みを見ない振りするので、時記も何も聞かぬが良いと思ったのだろう。一瞥して、朝餉に也耶にと忙しくして居る。時記は澪の教育もあって襁褓の替え方も完璧で、最近は澪が時分の方が上手だと零すまでになって来ていた。
「ああ、真耶佳。今日は吾が宮から舶来の長椅子が届く」
「長椅子…?椅子とは、機織りの時に使う様な…?」
「機織りをせいと言うて居る訳では無いぞ。高さが丁度良いと思ってな」
大王は只座る為の物である事、その上に綿入れを敷いて真耶佳が座れば、横に食事を置く場も有り便利だろうと云う事を言訳した。背を靠れる場所と脇息が一体になっているので、立ち居動きもし易かろうと。
「まあ暁の王、有り難きお気遣いを…」
「なあに、真耶佳が治れば二人で座れば良いと思うたまでよ」
「まあ、大王ったら」
朝餉の席、いつもに近い大王の惚気に澪も時記も、月葉も笑顔になる。
「お二人で座ったら、皇子をお二人で抱いている絵を描かせましょうか」
時記が言うと、其れも良いわね、と真耶佳が言った。しかし大王は、真耶佳の美しさを何処まで絵に起こせるのかと懐疑的だ。
「暁の王、朝霞が小さい時は今しか無いのですから」
「うむ…考えて置こう」
朝餉を終える頃には話は纏まって、絵師は大王が選ぶ事になった。渋々と言った調子だったが、矢張り初皇子は嬉しいのだろう。食べ終わった碗を取りに遊佐が来るまで、大王は誰にするかと考え込んで居た。
従者達が迎えに来て、大王が執務に向かった後。時記は澪の隣に座り、何が始まるのかと興味深げに眺めて居た。
遊佐と共に厨に器を返しに行った喬音と三朝が戻るまで、真耶佳と澪、月葉のさんざめく様なお喋りは続く。但し、迚も小さな声で。
「真耶佳さま!」
其処に三朝が戻って来て、厨に居着いた毒味役が気に食わないと捲し立てた。何と、初めて会った喬音と三朝の尻を触ったのだと云う。
「名は確か万木とか申して居りましたわ!」
喬音の話では、怒った遊佐が二人を万木から引き離し、帰して呉れたのだと。
「遊佐から井波に話しておくと言うから、宮では真耶佳さまにご報告申し上げると言って戻って参りました!」
「そう言えば…遊佐にお礼を言うのを忘れたわ」
怒り狂う三朝とは逆に、喬音は少し冷静な様だ。三朝も其れを聞いて、少し勢いを無くして行く。
「遊佐には…八つ当たりして仕舞ったわね…」
「私達の為に怒って呉れたのに…ね」
遊佐は最近、身の丈も伸び出し顔つきも男らしくなった、と側女達が噂しているのは、皆知っていた。詰まり、公然の憧れの的だった訳だ。其の遊佐に八つ当たりして仕舞ったと云うのは、三朝に取って不名誉な事実らしい。
「遊佐だって、分かって居ますよ。杜の男は女を大事にしますから」
澪が助け船を出さねば、二人は其の侭落ち込んで行きそうだった。
「そうだね、杜では生まれた時から女の方が身分が上なんだ。だから遊佐は、喬音と三朝の怒りは当然と思って居るよ」
時記も、澪の話に乗って朗らかに笑う。多分今頃、万木というのは井波に容赦なく叱られ、遊佐も溜飲を下げているだろうと。
「ですから、皆集まった所で真耶佳さまのお話を聞いて下さいな」
「え、お話し…?」
「はい」
澪が頷いて真耶佳を見ると、真耶佳も笑顔で話し出す。
「私が大后を拝命した事は知って居るでしょう?其れまでの貴女達の献身を讃えて、贈り物が有るの」
一人ずつ取りに来て、と真耶佳が側女達の名を呼んでいく。呼ばれた者は真耶佳が座る文机の元に膝を付き、白い包みを受け取った。
「香古加」
最後の一人が呼ばれ、香古加が真耶佳の元に赴くと真耶佳は白い包みと赤い包み、両方を渡す。
「貴女は此処で確認して。皆、開けて良いわよ」
うずうずとして居た側女達が包みを開け、中から出て来た背面に瑠璃を一石あしらった手鏡と柘植の櫛にわあ、と歓声を上げた。香古加は、白い包みを開けて笑顔になり、赤い包みへと視線を移す。
「さあ、香古加」
真耶佳に促されて赤い包みを開けた香古加は、ただ一筋、静かに涙を流した。
「間違って居たかしら?」
不安に思った真耶佳が香古加の顔を覗き込むと、香古加は何度もいいえと言う。いいえと言う度に瞳から涙がこぼれ落ちる。
「鏡は揚羽姫が使っていたというから、月葉が浄めたわ。櫛は…黄金で接いで貰ったのだけれども歯が折れているから、新しい方を使いなさいね」
蝶の手鏡と、赤い漆の櫛。其れは香古加が揚羽姫に奪われた中でも、最も大切にして居た物。郷を出る時に渡された、母の形見だと云う。
「真耶佳さま、此れは――」
「折られた櫛をね、端女が哀れと捨てずに持って居て呉れたの」
杜に居る妹姫の闇見で分かったのだけど、と真耶佳は優しく言った。幼子に、言い聞かせる様に。黄金で接いだから、時間が掛かって仕舞った、悪かった、と真耶佳が香古加の頭を撫でる。其れで本格的に泣き崩れた香古加の周りに、仲間の側女達が集まって来た。
「綺麗な鏡ね、香古加」
「今度は誰にも渡しては駄目よ、って私達は決して取らないけれど」
「蝶だから奪ったのね、非道い…!」
側女達は色々な感想を漏らすが、香古加は皆に有り難うと繰り返すばかりだ。
「香古加、お礼は先ず真耶佳さまに言うべきではなくて?」
各務が其の場を纏めようとすると、真耶佳は良いの、と笑った。香古加がやっと揚羽姫の悪夢から解放された、其れが真耶佳と澪、月葉の喜びだ。
「亜耶さまも此の日を闇見なさって居られましたから、無事に香古加に渡ったとお知らせしても良いですか?」
澪も香古加に寄って来て、優しく問い掛ける。
「亜耶姫にも、お礼を…っ、お礼を言いたいです…」
やっと顔を上げた香古加は、涙でぐしゃぐしゃになった顔で澪に訴えた。では後で、一緒に水鏡を覗きましょう、と澪は香古加の背を撫でる。
「香古加、今は呼吸を整えるのが先よ。亜耶は、ちゃんと待って居るから」
真耶佳が姉妹姫の気安さで亜耶の特性を表すと、月葉が頷いた。亜耶さまはきっと笑った香古加の顔を見たがる、と月葉も口添えを呉れる。
「有り難う、御座いますっ…!」
また涙が溢れて来た香古加は、白い包みの手鏡も共に大切に抱き締めて居た。