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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇
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百四十四、一夜の輝き

 寒空の下、(みお)時記(ときふさ)、途中で到着した大王(おおきみ)と幾人かの側女(そばめ)達が、産屋(うぶや)の浄めが終わるのを今か今かと待っている。其処に各務(かがみ)が来て、真砂(まさご)香古加(かごか)に宮へ戻る様言った。

 曰く、風邪でも引かれたら、真耶佳(まやか)が気に病むから。其れを聞いた二人は、慌てて宮へ戻って行った。茅野(かやの)三朝(みささ)は産湯の火を見ている様に言われて居る為、其処に残ろうとした。が、産湯はもう冷まして捨てるだけだと言われ、すごすごと宮に戻って行く。喬音(たかね)は、也耶(やや)を預かっている為如何(どう)しよう、と云った表情だ。

「喬音、側女達に招集が掛けられて居るんだ。也耶は、私が抱くよ」

 時記の穏やかな声に、其れでは、と喬音は也耶を時記に渡す。本当はもっと(あま)(かみ)を見て居たいのだろうが、亜耶が命じたと云う事は衆目に晒されるのは天つ神の本意では無かった、と推察出来る。

「準備が整ったな。では(あかとき)(かめ)の手配を。妻籠(つまごみ)の東で割れ」

「はっ」

 東に瓶を落とすと云う事は、男子が生まれた証。其れを、天つ神は妻籠で見せ付けろと言う。

「心配せぬで良い。此れで母后への当たりも、少しは弱くなる」

 真耶佳の身を気遣った天つ神の提案に、大王も表情を緩めた。黒い針が此れまで通り飛んで来たら、今の真耶佳に避ける術は無かろうと心を砕いて居たのが分かる。

「其れから吾子(あこ)の名。其方等も考えて居たとは思うが、(わらわ)が付けさせて貰う」

 其処で天つ神は白々明けの空を見上げ、朝霞(あさか)、と呟いた。霞が出て来た為だ。生まれた朝の名を(たま)に刻み、生涯を生きよと。其れが天つ神の名付けだった。

 澪は真耶佳が朝霞と云う名を望んでいた事を知って居るので、嬉しさが顔に出て仕舞う。

「ほんに可愛い、乳母(めのと)姫よの」

 天つ神は面白そうに、澪を見て言う。母后への忖度では無いぞ、と言い添える事も忘れずに。顔は見えないが、きっと悪戯っぽく笑って居るのだろう。そんな声音だった。

「しかし、杜から妹姫(おとひめ)君が来て呉れなかったら、今以上に大変な子生みだった。暁はよく、母后を労う様に」

「其れは勿論で御座います。我とて亜耶姫には感謝頻り。また、耐えてくれた真耶佳にも尊敬の念を新たにして居ります」

 大王の此処まで丁寧な物言いは、澪も時記も聞いた事が無い。矢張り現人神(あらびとがみ)といえど、天つ神には頭が上がらないのだ。

「所で天つ神さま…」

「おお、乳母姫の(つま)か。何か、聞きたいか?」

「はい。大王が生まれた朝にも、天つ神さまはいらしたのですか?」

 其の問いに、天つ神はふふ、と声を出して笑った。吾子の誕生に、立ち会わぬ事は無い、と。当然暁の名も妾が付けた、と笑う。

「ただ…暁の弟皇子(おとうとおうじ)、あれの誕生には立ち会って居らぬ。牢の場所塞ぎよ、早く刑を与えよ」

「天つ神さまのご命令とあらば、(はふ)りの期間が終わり次第刑を与えます」

「うむ、其れで良い」

 大きく頷いた天つ神は、そう云えば、と何か思い出した様だ。朝霞の命を救ってくれた側女を、(よみ)して居無いと言うのだ。

「あれは、香古加と云う娘ですわ」

「乳母姫、どの娘か分かるか。ならば、此れを額に充ててお呉れ」

 天つ神は澪の右手を取ると、其処に自分の右手から生まれた輝きを移す。

「あの娘は、母后に付いていれば安泰よ。朝霞の妻の代まで仕えて呉れる、心優しき娘」

 母后には良き側女が多いの、と天つ神はご満悦だ。

「矢張り、(いお)(もり)の民は善き者達よ。母后、乳母姫、其の夫、黄金色(こがねいろ)神人(かむびと)(くりや)の二人に洗い場の女…其れに、妹姫君」

 綿津見(わたつみ)から暁を譲り受けたいと言われた時は面食らったが、実際見ると分かるの、と天つ神は上機嫌だ。

 其処に産屋の扉が開き、浄めが終わりました、と月葉(つくは)が顔を出す。此れから子生みで出た汚れを燃やすと云う。

「もう大丈夫か、黄金色の神人」

「え、は…はい」

「未だ足がふらついているでは無いか。無理をしたな?」

 天つ神は自分と同じ色の神人に興味津々で、近付いて行って腰に触る。黄金の光が其の手からは溢れ、月葉の足腰を癒やして居るのが分かった。

「其方等が無理をすると、母后も杜の妹姫君も悲しむ」

「はい…心して置きます」

「うむ。海の者の鱗は霊力(ちから)を使い切った様だの。また魂込(たまごめ)して貰うと良い」

 天つ神は月葉の耳元に光る綾の鱗を見て、美しきもの、と言葉を和らげる。そして真面目な口調に戻り、母后は、と聞いた。

「あ、はい。どうにかお声も戻りまして、話は出来る状態です」

 月葉は此れ以上、天つ神が真耶佳に言葉を掛けないのを知って居る。ただ真耶佳から、謝意を伝えさせて呉れと頼まれている、と言った。

「うむ…ならば行こうか」

 天つ神は再び産屋に赴き、正気の真耶佳と相見えた。

「真耶佳さま、天つ神さまのお成りです」

「此の様な格好で申し訳御座いません、天つ神さま。この度は皇子(みこ)の子生みをお手伝い頂き…」

「ああ、堅苦しいのは良い」

「え?」

「母后、其方の皇子の名は、朝霞よ。妾が先程、正式に魂に刻んだ」

「そうなのですか…!?」

 真耶佳は嬉しくて仕方無いと云った表情になるが、まだ手も足も動かせない。

「此れは、暁に運ばせるしか無さそうだの。力は兄君の方が有りそうだが…」

「暁の(きみ)は、腰を傷めているのです…」

「ふん、でも其方ぐらいは運べるぞ?兄君が良いならそう伝えるが…」

「あ、暁の王が良いです…!」

 ふふ、と天つ神が面白そうに笑う。人の善意には乗るものよ、と真耶佳の苦手な事を指摘して。

「其方、常に人に遠慮して居るだろう?遠慮が無いのは乳母姫、黄金色の神人、妹姫君くらいか」

「な、何故其れを…」

「上の者が其れを遣って仕舞うとな、側女達も困るのだ。遠慮して困らせぬ様に、子が生まれたら図太い位が丁度良い」

 勿論、細やかな気遣いは其の侭で良いのだぞ、と。真耶佳を最後に褒めて天つ神は真耶佳の撲たれた方の頬に触れた。

「妹姫君は、思い切り打って行ったな」

「次に会う時は、私が亜耶の頬を()って遣ろうと思って居りましたのに」

 天つ神と真耶佳は、一緒になってころころと笑う。其の間に、頬の赤みは消えて行った。

「宮では未だ、水鏡(みずかがみ)とやらが繋がっているぞ。一目顔を見せて、安心させて遣ると良い」

「あ――天つ神さまは…」

「妾は吾子にも母后にも会えた。もう戻るだけよ。(あま)(くに)にて、見守って()るでな」

 そう言い残し、天つ神は産屋の入口から来た道を戻った。即ち、桜を経由して天つ国へ。其の時に黄金色の桜ははらはらと散って、一夜の輝きは失せた。

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