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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇
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百四十三、魂戻り

 (あま)(かみ)が、亜耶を(もり)に返した頃。大蛇(おろと)が血相を変えて、神殿(かむどの)に上がり込んで来た。腕には八和尊(やかずほ)、其の目は開いて居る。先程まで泣いて居たのが分かる其の様子に、綾も大龍彦(おおつちひこ)も息を飲んだ。

「おい、如何(どう)為ってんだ!亜耶は戻るまで此奴は目を覚まさねえっつってたぞ!?」

「亜耶からも聞いてる。八和尊が目を覚ましたら、お前が怒鳴り込んでくるだろうと」

「だったら尚更、如何為ってんだ…!」

 床に伏した亜耶を見遣り、大蛇は尚も声を荒げる。綾が亜耶の腕を取って、脈を測る。そして口許に耳を持っていき、うん、と言った。

「息はしてる、脈も有る。ただ、此れ以上は――危険だよ」

 言葉を失う大蛇に、綾は現実を突き付ける。海の者だった頃の綾の血を舐めて置いて、危険とは。大蛇と亜耶は同じ日まで其の命を延ばしたのに。

 沈黙が訪れた神殿の中、固く目を閉じた侭の亜耶の額が黄金色(こがねいろ)に輝き始めた。

「…何だ?」

「分からない、けれど凄い(かむ)(ちから)…!!」

 亜耶の額の輝きは、(やが)て全身を包んで何かを床に落とした。どさり、と云う重々しい音と共に、亜耶の瞼が動く。

「亜耶!」

「良かった、戻って来たんだ!」

 手が塞がっている大蛇の代わりに、綾が亜耶を助け起こした。其の体はぐったりとして居て、未だ自分で手足を動かせる状態では無さそうだ。

真耶佳(まやか)は…」

 其れでも亜耶は、自分の姉姫(えひめ)の心配を、か細く口の端に乗せる。

八津代(やつしろ)に聞かねえと分かんねえな…彼奴に水鏡(みずかがみ)任せて来ちまった」

「大蛇…?八和尊が泣いたの…?」

「ああ、相良(さがら)が強い神気を感じるっつって産屋(うぶや)の様子を見に行った直後にな」

「天つ神さまよ…」

 亜耶がぽつぽつと口にしたのは、彼方(あちら)(くに)(かみ)たる天つ神との遣り取り。真耶佳がまだ口も利けぬ状態の侭帰されたのが、亜耶の心残りらしい。

「亜耶、僕の血を飲んで置いて、其れでも危なかったんだからね?」

 只の巫女姫ならば、事切れている。言外にそう滲ませて、綾は怒りを顕わにした。亜耶のする事に綾が怒るのは、余程の時だけだ。其れを知って居る亜耶は、小さく御免なさい、と言った。

「取り敢えず、女御館(おなみたち)に帰らねえと真耶佳の様子は分かんねえな」

「ああ、だが亜耶が魂を戻したのだろう?」

 己の危険を顧みず、精神体を作ってまで。大龍彦は、無茶をし過ぎだ、と怒りを隠さない。

「大蛇、八和尊は僕が運ぶ。大蛇は亜耶を女御館まで抱えて行って」

「ああ、悪いな綾」

 其処で、皆が気付いたのが黄金色の天鵞絨の袋。亜耶が天つ神より、預かって来た物だ。袋の口からは、亜耶が落とした時に溢れ出でたのだろう砂金が神殿の床を光らせていた。

「亜耶、此れは?」

「大王が(いお)(もり)に下がられた時に、お渡ししてって…天つ神さまが」

 神殿で、預かって呉れるか。言わずとも亜耶の考えは守神(まもりがみ)達に届いた様で、大龍彦が溢れ出でた砂金を丁寧に集め始める。

「杜に黄金は必要ねえが…封印しとくか」

 盗まれる心配は無い、と断言する大龍彦だが、神殿の備え付けの加具箱(かぐばこ)に入れて念入りに黄金の気配を消した。

「亜耶の(くつ)も僕が持って行くよ」

「俺も行く」

 沓ぐらいは持たせろ、と大龍彦も名乗りを上げる。亜耶に色濃く残る天つ神の気配の、理由を知りたいのだろう。(よみ)されたのは、戻って来た時皆に分かった。しかし何故、天つ神の手で戻って来たのか。余程の無茶をしたのでは無いか――そんな疑いが、消せないのだろう。

 大龍彦に取っても亜耶は、娘と慈しんできた大事な巫女姫。より詳しく知りたがるのは、当然だった。




 女御館に戻ると、巫王が忙しなく水鏡と会話をして居た。正しくは、水鏡を使う姶良(あいら)と相良と、だ。

「おお、戻って来たか!」

 一瞬安堵の表情を見せた巫王だったが、亜耶の様子を見て眉を顰める。大蛇に抱えられ、支えを求めるべき手はだらりと垂らされた侭。そして何より、裸足だった。

「姶良、相良、亜耶も神気を抱えて来た」

「は、はい、(みお)さまにお聞きしたら、亜耶姫もお出でになって居た様だと…」

「黄金色の桜は、未だ咲いているのかい?」

「今宵中、咲き続けるわ…」

 姶良と相良に問うた巫王だったが、答えは亜耶から返って来る。巫王が何故、と亜耶を見ると、天つ神が皇子(みこ)の名付けをするからだと言う。其程長く、産屋に留まるのだ。其程に、特別な赤子なのだ。

「…亜耶、今は闇見(くらみ)はやめなさい」

 巫王は其れだけ言って、水鏡の前に座す様にと場所を空ける。大蛇の膝に乗る形で水鏡の前に座らされた亜耶は、少し気恥ずかしげだった。

「真耶佳は、今如何為っているの…?」

 姶良にとも相良にとも無く、亜耶が問い掛ける。すると二人は顔を見合わせて、どちらが答えるかと目を見合わせて居た。

「相良が、見に行ったのよね…?」

「はい、私が」

「ならば、教えて?」

 急かす様な素振りも無く、亜耶は相良に問い直す。命は取り留めて居るのだから、慌てる必要が無いと云う事か。

「は、はい、未だお言葉を発せられる様な状態では無く…産屋の浄めを終えるまで、皇子と共に留まるそうです」

「そう…火瓶(ひがめ)は幾つも有ったから、其の方が良いわ」

「亜耶姫…産婆達も亜耶姫を見たと言って居ります。一体どんな術を…」

「少し、霊力(ちから)を使っただけ。怒られて仕舞ったけれどね」

 ふ、と笑う余裕が、亜耶にも出て来た。ただ未だ四肢に力は入らず、手はだらりと垂らされている。

「其れより、暫く真耶佳が面倒を掛けるけれど、どうかお願いね」

「はい…!」

「ああ、そう言えば」

 意気込んで頷く相良に、何かを思い出したらしい姶良が問い掛ける。

「皇子さまの息を吹き返したのは、香古加(かごか)だったのよね?」

「ええ、下に妹弟(きょうだい)が居て、同じ様な事が有ったから、って…馴れた様子で水を吐かせて居たわ」

「香古加も…立ち会って呉れて居たのね」

 感慨深く亜耶が言うと、姶良と相良は大きく頷いた。香古加の真耶佳への心酔振りは、最初から居た側女(そばめ)達に追い付いて仕舞いそうな程深いのだと。

「有り難い事だわ…真耶佳を守って呉れる娘が、増えるなんて」

「働きぶりも、(とて)も良いのですよ。けれどそろそろ連れ戻さないと、風邪を引いて仕舞うわ」

「そうね、そうしたら真耶佳は気に病むでしょうね」

 各務(かがみ)に交代する様、言って。亜耶がそう笑うから、相良は急いで各務に其れを伝えに行った。

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