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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇
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百四十一、魂離り

 真耶佳(まやか)の子生みがあと十日もせねで来る。亜耶は自分がそう闇見(くらみ)し乍らも、其れに戸惑って居た。子生みの際には、亜耶の魂離(たまさか)りが必要となる。其れだけの体力気力が戻るのか、と。

 大蛇(おろと)は、(くりや)に鶏の肝を貰いに行って戻らない。少し時間が掛かっている気がするのは、調理までしているからだろう。

 そうして居る間にも八和尊(やかずほ)が目を覚まし、乳をねだる。也耶(やや)よりぐいぐいと吸われて行く感覚は、現実だからか子の性質(たち)の差なのか。宮でも真耶佳の子が生まれたら、也耶の分の乳は足りなくなる。亜耶は乳の出が良いと産婆にも言われて居るので、協力は惜しまない積もりだ。

「ああ、(みお)に言うのを忘れて仕舞ったわ…」

 独り言、と思った其れは、音も立てずに戻って来た大蛇が布連の外で拾った。

「何を忘れたって?」

 手には鶏にしては多過ぎる肝の乗った皿。未だほかほかと湯気を立てている。訝しげに亜耶が見ると、厨で豚を潰していたのだと言う。

「澪に言わなきゃなんねえ事が有るなら、食ってからにしろ」

 未だ八和尊が乳に吸い付いた侭で、水鏡(みずかがみ)も何も無いだろう、と大蛇は言う。亜耶は、澪なら分かって居る筈の事なのだけど、と前置きして大蛇に宮の乳遣り事情を話した。

「成る程な、真耶佳の子は無遠慮なのか」

「普通、赤子はそうよ。也耶が気を遣っているだけ」

 話して居る間に乳を飲み終わった八和尊を見て、大蛇は此奴は如何(どう)なんだ、と聞く。亜耶も未だ確証は持てないが、巫覡(かんなぎ)の赤子。八和尊の背を叩き乍ら、恐らく也耶に近いだろうと返した。

「よし、八和尊も食事が終わったな。次は(かか)の飯だ」

 そう言って大蛇が差し出して来た豚の肝は、塩焼きにされていた。亜耶は自分でも可笑しいと思う程、其れを美味と感じる。

「全部食って良いぞ」

「本当に、全部食べて仕舞いそう」

「春になったら血凝(ちこご)りも作るか」

「…有り難う。でも春の熊は凶暴だから、気を付けてね」

 亜耶とて、大蛇が狩りで怪我をするとは思って居無い。けれど、八和尊を得て不安が過ぎる。私達を遺して行かないで、と。

 勿論、闇見とは違う。大蛇に怪我や命の危険の()は無い。老婆心が過ぎるだけだ。

 大蛇は亜耶を安心させる為だろうか、はにかんだ顔で亜耶の頭を撫でて呉れる。其れだけで心が落ち着く程、自分は大蛇を頼って居るのだと亜耶は実感した。

「そういやお前、寒いからって八和尊をぐるぐる巻きにしてるけどよ、此れも有るぞ」

 気が付いた様に大蛇が出してきたのは、毛皮で出来たお包み。澪の物と同じ様に、肩に掛けられる様加工されている。巫王(ふおう)(おすい)を作る時に貰った毛皮で作ったと云う其れは、八和尊の着膨れを解消し、亜耶の両腕に自由をもたらした。

「楽、だわ…!」

「見様見真似で作った割には、上出来じゃねえか?」

「ええ、とても助かるわ。有り難う、大蛇…!」

 気付けば豚の肝は、もう皿に数欠けしか残って居無い。真耶佳の言う通り、亜耶には血が足りて居無いのだろう。

「俺は厨で味見して来たからな。全部食え、八和尊の為にも」

 優しい口調でそう言われて、亜耶は豚の肝を最後の一個まで堪能した。そして、厨からは夕餉に亀の(あつもの)が届く、と大蛇が言う。滋養の為にと、きっと大蛇が頼み込んだのだろう。亜耶は其れも楽しみに、眠る八和尊を見た。




 そして、七日が経った。亜耶の体調は未だ万全とは言えないが、魂離り出来る程度には解消して居る。朝の内に、今日が子生みの日だと真耶佳には伝えた。子生みは夜に成るだろうとも。

 悪露が有るから、(みそぎ)には行けない。せめてもと白衣(しらぎぬ)を纏い、亜耶は其の時を待つ。

「待たせたな」

 静かに巫王が女御館(おなみたち)に入ってきて、水鏡の前に座した。外はもう薄暗がりだと云う。ならば、もう直ぐ水鏡が揺れる。

 亜耶は八和尊の額に手を充て、眠りを深めた。大蛇が様子を見に来たので、亜耶が戻るまで目は覚まさないと告げて。

「もし、目を覚ましたら?」

 絶対は無い。大蛇の慎重な問いに、亜耶は張り詰めた物を感じた。

「もし私が戻る前に目を覚ましたら、神殿(かむどの)まで連れて来て」

「分かった。もう行くのか?」

「水鏡が揺れたら、行くわ」

 其の侭、二人の間には沈黙が落ちる。真耶佳の子生みは至難。だから月葉(つくは)も澪も、亜耶さえも其の場に行かなくては為らない。

「亜耶、水鏡が揺れた!」

「お父様、出て」

「ああ」

 巫王が水鏡の上に手を翳すと、月葉の緊迫した顔が映る。此れから産屋(うぶや)に行く、相良(さがら)姶良(あいら)は残して行く、と。

「私も、神殿に行くわ」

「支えなくて大丈夫か?」

(むら)の女達は、子生みの翌日から子を背負って働いているわ。大丈夫」

 そう言って、亜耶は女御館を出た。神殿までの道は少し疲れたが、充分に余力は有る。

 (くつ)を脱いで神殿に上がると、綾と大龍彦(おおつちひこ)も白衣で待って居た。有り難い事に、火瓶(ひがめ)に火を入れて呉れている。

「亜耶、来たね」

 綾に導かれ、亜耶は神殿の(かなめ)の鏡と太刀を前に座った。

「行って来るわ」

「うん、僕達も結界を支える」

 綾の返事と共に、亜耶の体は神殿の床に倒れた。

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