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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇
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百四十、一途

 真耶佳(まやか)大王(おおきみ)と共に起きて来た時、少し昨夜の水鏡(みずかがみ)の声が聞こえた、と(みお)に言った。本当は亜耶を叱り飛ばして遣りたかったらしい真耶佳だが、亜耶の声を聞いて其の必要は無いと判断したそうだ。

「亜耶どのは、少し先を見過ぎるのだな。(つま)を得たら、隣も見なければ為らぬのに」

「真逆、亜耶が其処まで大蛇(おろと)さまの事を邪険にして居るとは思って居りませんでしたわ」

 溜息がちに大王に答えた真耶佳は、矢張り二人の事が気になって居た様子。収まる所に収まったと知って、亜耶への怒気を弱めている。

 其れでも(あき)れ声の真耶佳に、大王は苦笑した。そして、(きざはし)の上で真耶佳の手を取って言う。

「では、我は今宵もまた此処に帰ってくる。真耶佳が待って居て呉れるからな」

「勿論お待ちして居りますわ、(あかとき)(きみ)

 未だ后の宮に住む準備が整って居無い大王は、朝餉と夕餉は己の宮で食べる。だから朝が早いのだが、真耶佳は今後見送る時間や出迎える時間が変わるのが楽しみで仕方無い、と云った風情だ。

 結局また也耶(やや)の頬を突付き、大王は従者(ずさ)達と共に宮を出て行く。食事を共にする様になれば、(くりや)に毒味役が居着く。其れは亜耶の闇見(くらみ)だが、既に人選は進んでいるらしい。

 遊佐(ゆさ)が馴染むまでには、時間が掛かるのだろうな、と澪はぼんやり思った。




 朝餉が終わった頃、水鏡が揺れた。そう云えば、亜耶の子の真名を真耶佳に伝えて居無い、と時記(ときふさ)と澪は気付く。

 けれど、本人から聞くのが良いだろう、と。澪は真耶佳を水鏡の前に呼んだ。

「真耶佳さま、水鏡が…」

「ええ、今行くわ」

 床に座すと、立ち上がるのにも苦労する。そんな腹の大きさになって、真耶佳は子生みが近い事を感じて居る様だ。

「お待たせ、亜耶。あら、大蛇さまもお子も一緒なのね」

 水鏡に映った三人を見て、自然と真耶佳の顔が綻ぶ。けれど真耶佳は、釘を刺すのも忘れない。

「亜耶、今朝暁の王が闇見だけで無く隣も見ろと仰有って居たわよ」

 私達には、駄目な見本が居るじゃ無い、と真耶佳は軽やかに言った。真耶佳も、羽鳥(はとり)を善い母とは思って居無いのだ。

「重々肝に銘じます、とお伝えして…」

 亜耶の返事はか細く、本当に収まる所に収まったのかと真耶佳は眉を上げる。すると亜耶は、子生みの後で体がきついのだ、と言訳(ことわけ)をしてきた。

「まあ…子生みの後は、そんなに辛いの?」

「ええ、真耶佳もあと十日もせずに其の時よ。澪はけろりとしていたけれど、私達きっとああは行かないわ」

「そうね、澪は…でも数日は歩くのが辛そうだったわよね?」

「はい。でも亜耶さまの様に、起き出すのさえ辛いと云う程では無かったです」

「そう…亜耶は、どんな調子なの?」

「兎に角(だる)いの…腹は未だ痛いし、腰も痛いわ」

 真耶佳は子生みの後暫く寝付くと見ている亜耶だが、本人に伝える事はして居無い。大王が伝えないのなら、今言う事では無いと判断した。

「綾はおしるしと共に頭が出た安産だって言ってたけどよ、後が辛いらしいんだ」

 話に入り込んできた大蛇が、澪に時記は居無いかと聞く。澪も居りますよ、と返事をして、時記を呼びに行って呉れた。

「ねえ、亜耶。貴女達の子の真名は?私、聞くのを楽しみにして居たの」

 澪と時記は、真耶佳が直接聞きたがる事を予測していた。だから伝えて居無かったのだが、亜耶は意外だった様だ。

「時記兄様と澪からの又聞きなんて厭よ。教えて頂戴」

 少女の様に目を輝かせた真耶佳が、水鏡越しに亜耶に迫る。其の様子に亜耶は思わず破顔して居た。

八和尊(やかずほ)と云うのよ」

山津見(やまつみ)の爺さんからの名付けだ」

 亜耶と大蛇に代わる代わる教えられ、真耶佳は八和尊、八和尊、と愛しげに口の中で名を転がす。

「お陰で時記の次の子の真名を、変えさせちまったけどな」

「其れは、其の時の楽しみにするわ」

 真耶佳は喜ばしげにそう言って、ふと気付いた事が有る。亜耶は、澪の子生みの後の様に食事はしたのか、と。

「亜耶、鶏でも豚でも良いわ、何か肝は食べた?」

「いいえ、何で?」

「暁の王が言っていたの、子生みは多くの血を失う、って。其れで澪の食事にも豚の肝が乗ったのだったわ」

 其れに反応したのは、亜耶より大蛇だった。未だ鶏を潰す季節では無いが、養鶏場から何羽か貰って来よう、と亜耶に提案して居る。

「丁度血凝りも切れてる。後で交渉に行って来るぜ」

「有り難う…」

 真耶佳は此の遣り取りを見て、満足げに微笑んだ。亜耶が大蛇に礼を言う事は滅多に無い、と聞いて居たからだ。普段の謝意も伝えなければ、妹背(いもせ)として長く続かないのだから。

 其処に、澪に連れられた時記が来た。大蛇の本題は此方だ。

「時記、呼び立てて悪かったな」

「良いよ、大蛇の事だから、亜耶の負担を減らしたいんでしょう?」

 ばれてたか、と頭を掻く大蛇に、宮側では細波(さざなみ)の様に微笑みが広がる。此れが本当に亜耶を捨てようとした夫だろうか、と真耶佳さえ疑い始めた。

「具体的に、何をすれば良い?襁褓(むつ)の交換と寝かし付けくらいしか、分からねえんだ」

「子も亜耶も、様子を見て上げて。乳遣りは代われないから、仕方無いよ」

 必要な事は、適宜出て来る。時記の回答は、愛しく見守れと言われた様な物だった。

「例えば乳遣りの時に亜耶が起き上がれないなら、八和尊を持ち上げて支えて遣る、とかか?」

「うん、充分だと思うよ。亜耶も其れでだいぶ楽になるんじゃ無い?」

「ええ…普段は。でも夜中に大蛇まで起こすのは…」

「遠慮は要らねえ。俺の子でもあるんだからな」

 そう言って大蛇は、水鏡の向こうで八和尊の頭を撫でた。其の拍子に、右耳の翡翠が揺れる。

「凄い…父上以上の楼観(ろうかん)だね」

「ん?ああ、此れか?」

「大蛇さまの目を継いで、お父様の楼観も継いで…此の子、どんな子になるのかしら」

 真耶佳も八和尊が生まれた時の、凄まじい霊気を見た一人だ。理想的な長老達の統括役になる、と時記が言えば、酷く納得して居た。

「其れ以上に、也耶に一途な男子になると思うぜ」

 生まれた瞬間に也耶の元に飛んだ、と聞いて居た大蛇は、自信を持って言う。

「也耶も、八和尊さまに一途になると思いますよ」

 澪が此方も自信ありげに言って、時記を頷かせた。必死で名を呼ぼうとして居たからね、と相槌を打つ時記に、亜耶と大蛇は感心しきりだ。

「也耶はまだ、(てて)(かか)も呼んで居無いのでしょう?」

「うん、まだ先だよ」

「其れが、八和尊を?」

「多分、だけれどね」

「確かにや、か、と言いましたからね」

 時記が、もう既に少し寂しいと父親の心情を吐露して、皆を笑わせる。真耶佳への八和尊の披露目は、笑顔と共に終わる事が出来た。

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