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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇
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百三十一、何れは同胞

 水鏡(みずかがみ)が揺れた時、亜耶は寝座(じんざ)で微睡んで居た。ただいつもとは違う気配に、眠りから引き戻され掛けて淡く揺蕩(たゆた)う。大蛇(おろと)が水鏡の前へと動いたのは、そんな折だった。

「悪い、亜耶は今眠ってて…」

 大蛇の言葉は、其処で途切れた。水鏡の向こうに居たのが、(みお)では無かった為だ。

「あ…大王(おおきみ)だっ…でしたか」

「固くならずと良い、大蛇どの。貴男は我よりだいぶ年嵩(としかさ)だと聞く」

「年嵩っても…」

「千年生きたとあっては、(たっと)ばれて当然であろう?」

 そんな事まで聞いたのか…、と大蛇は言葉を失う。

「其れに何より、貴男に感謝申し上げたくてな。あの見事な山桜、我の記憶にある木とよく似ている。懐かしい心地になった」

 大王の声は嬉しそうで、亜耶の耳にも届いた。亜耶は瞳をこじ開け、手櫛で髪を梳いてからゆらりと大蛇の横に座る。

「亜耶、大丈夫か」

 途端に大蛇の意識は大王から亜耶へと向き、水鏡の向こうで大王を目尻を下げさせた。

「千年に一人の巫女姫、か…亜耶姫も、重き定めを背負ったものよ」

「大王…」

「亜耶姫、譲位の後は世話になる」

「真耶佳の幸せを選んで頂いて、有り難い限りですわ」

 口許を領巾で覆って笑おうとして、亜耶は衣しか身に着けて居無い事に気付いた。寝起きとは言え、気不味いにも程が有る。

「大王、失礼を…」

「なに、普段亜耶姫はその様に過ごして居るので有ろう?何れは同胞(はらから)、気取った付き合いは無しにしようではないか」

 巫王(ふおう)どのとも昨夜その様に話したのだ、と大王は悠々と笑う。どうやら巫王の暢気な人柄は、大王と波長が合うらしい、と。亜耶は、大王の後ろで機嫌良く笑う巫王を見て思った。

 昨夜はきっと、大王と巫王は有意義な時間を過ごしたのだろう。人当たりは良いがあまり他の(うから)(おびと)とは馴染まない巫王だが、大王に寄せる信頼の念は伝わって来る。

「じゃあ、其の大蛇どのってのもやめて呉れ。俺にそんな敬意は要らねえ」

 横で聞いて居た大蛇が、不意に口を出す。余程、大王からの呼称が落ち着かなかったのだろう。亜耶は薄く笑んで、其れでは私も、と言い出した。

「姫、とは族でも呼ばれて居りません。どうぞ杜へお越しの折には、亜耶とお呼び下さい」

 大王は意外そうに目を瞠ったが、相分かったと頷く。姫と呼ばれて気取った妻籠(つまごみ)の女達に、馴れて居たからだろう。杜では男より女が立場が上。態々姫などと呼ぶ必要が無いのだ。

「大王、戻りました」

 其処に、大王の命で席を外していたらしい時記(ときふさ)が戻って来る。大王はご苦労だった、と時記を労った。

「大王、亜耶に香古加(かごか)は紹介なさいましたか?」

「其れは此れからよ。亜耶姫、昨夜から真耶佳(まやか)側女(そばめ)になった香古加と云う娘が居る。目通り願えるか」

「はい」

 答えるが早いか、澪が可愛らしい顔を涙で腫らした少女を連れて水鏡の前に現れた。年の頃は澪や亜耶と同じ位。きっと、此方は見えて居無い。戸惑った視線が、其れを教えて呉れる。

「澪、香古加に伝えて。赤い漆の櫛と蝶の手鏡は、手元に戻ると」

 闇見(くらみ)をした訳では無い。ただ、亜耶の脳裏に湧いた言葉だ。澪が其の侭を伝えると、香古加は驚いた顔をした。

「真耶佳の子生みの後は苦労を掛けると思うけれど、宜しくね」

 また、澪が香古加に其の様に伝える。真耶佳さまは私を助けて呉れた御方、苦労とは思いません。水鏡の向こうで、香古加が可愛らしく返事をする。見えないなりに水鏡を覗き込むのも、好感が持てた。

「此れで八人、揃ったわね」

 最初の醜女(しこめ)の事など忘れて仕舞いなさい、と亜耶は微笑む。其れから亜耶は大王へと視線を戻し、真耶佳の子生みの後に側女達に配る褒美の話をする。

「うむ、其れは好い考えだ」

 大王も賛成した所で、時記が巫王の出立の刻限を伝えた。早く帰路に就かねば、亜耶の子生みに間に合わない。そう巫王から聞いて居たのだろう、大王が少し慌て出す。

「大王、気にする事など御座いませんわ」

 亜耶が慌てて止めに入る。時刻は昼餉前。巫王と小埜瀬(おのせ)の腹に何か入れて遣って呉れ、と亜耶は頼んだ。

「お父様、来年は笠子(かさご)を持って行って良いわよ。井波(いなみ)に伝えて置いて」

「本当か!大王にもあれを味わって欲しかったのだ」

(くりや)は井波一人で遣って居るのか?難儀な…」

「いいえ、遊佐(ゆさ)という息子が手伝って居りますよ。今朝も桜を運んで居る間、朝餉の仕上げを」

「大王、遊佐がそちらで(いも)を取る事、お許し下さいませね」

 巫王と亜耶が矢継ぎ早に言うものだから、大王も勢いに飲まれた様だ。遊佐の妹が誰になるのか、其れは未だ明かすべき時では無い。

「巫王どのを送る時に、息子にも会ってみたいものよ」

「あらお父様、遊佐の顔は見て居無いの?」

「いや、桜に気が行って居てな…」

「まだ手力(たぢから)が付いて居無いから、桜を運ぶには不向きだったんだ。亜耶、父上を許してあげて」

 時記がすかさず、巫王を庇う。其れに耳を止めた大王は、遊佐とは幾つなのだ、と至極当然の疑問を投げかけた。

「年開けて十三です。井波の妹の、忘れ形見ですわ」

「妹は果敢無(はかな)く為っているのか…」

「ええ、井波は妹を深く愛して居りましたから、次は無いかと」

 そうなのか、と大王は少し表情に影を落とし、井波も遊佐も大事にせねばな、と言う。亜耶も大蛇も大王がその様な人柄で在った事に、心底安堵した。

 巫王と小埜瀬を頼む、と大王に伝え、澪には後でゆっくり話しましょうと言って亜耶は一先ず、水鏡での直会(なおらい)を終える。後で、女達だけでね、とそんな言葉を残して。


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