百二十五、血縁
沓を脱いで宮に上がると、先程の侍女までが真耶佳の元に居た。巫王は如何為っているのか分からぬと云う視線で、香古加を見て仕舞う。
「暁の王、お待ちして居りましたわ。此方が今宵から仕える、香古加です」
「ほう、澪と同じ年の頃と見える。固くならずに仕えるのだぞ」
大王は新しい側女に、気さくに声を掛けた。しかし、当の香古加が何か思い詰めた様な表情で急に頭を下げる。
「も、申し訳御座いません!」
突然の謝罪に、宮に居た誰もが驚いた。香古加は一気に注目の的だ。
「如何した、何が有ったのだ?」
大王も戸惑った様子で、真耶佳に助け船を求める。しかし真耶佳にも、此の謝罪の意味は分かって居無い。
「香古加、如何したの…?」
再び香古加の肩を引き寄せ、真耶佳は優しく問うた。
「ほ、本当は…正面から酒を掛ける様言われて居たのです…っ」
「言われて居た?仕えていた妃からか」
「はい…」
「大王、此の子は揚羽姫に苛められて居たのです」
月葉の言葉に、大王は眉根を寄せる。真耶佳も横で頷くから、嘘では無いだろう。
「詳しく申してみよ」
はい、と小さな声で答えて、香古加は話し始めた。揚羽姫は自分の容姿に過分な自惚れを抱き、子生みの過ぎた后に飽きたなら大王が通うべきは自分だと思って居た。
しかし、宴の席に初めて姿を現した真耶佳は皆が驚く程美しく、子を生んでも大王が通い止める事は無いとの周りの囁きを耳に留めた。其れを耳にした揚羽姫は、美しいなら引き摺り下ろせば良い。そう言ったと云う。大恥を掻かせれば、后の座を降りるだろうと。そうすればお通いも無い侭妻籠に居る妃にも、好機は回ってくる。妻籠で一番美しい自分に、大王は通う。揚羽姫の自信は、相当な物だった。
そんな悪巧みの挙げ句、香古加が呼ばれた。正面から大量の酒を掛け、体の線を露わにして仕舞えと。各族の長達の前でそんな姿を晒せば、もう恥ずかしくて表には出られないだろう。揚羽姫は自分の矜持に則ってそう言ったが、退席する后の正面に立つ理由など無い。
香古加は少量の酒だけを持ち、真耶佳の背後に回った。普段から気性の荒い揚羽姫に、逆らう事は出来なかったのだ。
其れが真逆、真耶佳や月葉から庇われるとは、思っても見なかった、と。
語り終えた所で、香古加はふと気付いた様だった。
「月葉さま、何故揚羽姫の名を知って居られたのですか?」
「魂名を読みました。禍々しい気を纏って居りましたので、此の姫だ、と」
巫覡の装束の神人。其の見た目通り、霊力は強いのだ、と香古加は感心しきりだ。
「では香古加、其方は真耶佳を守って呉れたのだな」
大王には、怒られる。香古加はそう思って居たのだろうに、大王の口調は優しい。礼を言う、とまで言われて、香古加は真耶佳と大王の顔を交互に見て、反応に困って居た。
「香古加、素直に受け取って良いのよ。其れよりも、私の父や兄を紹介させて頂戴」
「は、はい…!」
焦った様に頷く香古加に、真耶佳は優しい微笑みを向ける。
「いつも宮に居るのは、時記兄様。私の子生みが終わり次第、宮守になるわ」
「宜しく、香古加。因みに澪の夫でもあるんだよ」
時記は澪を手招きして、並んで見せる。澪と香古加は少し打ち解けている様だったから、緊張を解すのに良いと判断したのだ。尤も時記の口調は穏やかで、香古加も警戒はして居無い様だったが。
「其れでね、今宵の客人が私の父と、以前大王に仕えて居た小埜瀬さま」
今宵は時記兄様の御館にお泊まりになるわ。そう言うと、巫王と小埜瀬が口々に挨拶した。勿論、香古加だけにでは無く、側女達全員にだ。
そして巫王は、澪に向き直って良い知らせが有る、と言った。大王と時記は、真逆、と言った表情で巫王を見るが、要は伝え方だ。
「今日、澪と魚の杜との血縁が分かったのだよ。澪の祖母は、陸の族の一乃鳥姫、其の母は杜の霊力無き姫だ。一乃鳥姫は、我が子等の大叔母だから、澪とは又従兄弟に当たるね」
澪にも元々杜の血が流れていた。亜耶と澪も、他人の空似では無かったのだよ。巫王がそう言うと、澪は嬉しそうな顔をした。
「このお話、亜耶さまには…?」
「まだして居無いよ。真耶佳も初耳だろう?」
「ええ、西の族から来た妹姫が又従兄弟なんて、やっぱり偶然は必然なのね」
澪、水鏡を繋ぎたいんでしょう。真耶佳はそう言って、澪をからかう。澪も否定はせず、喜びを顕わにした侭だ。
大王と時記は、上手く伝えた物だと驚いて居る。其の驚きさえ、澪には嬉しく映る様だ。
「暁の王とお父様が御館に移動したら、水鏡を繋ぎましょう」
「そうだ、小埜瀬さまは此方でもう少し飲みますか?」
時記が今回の来訪の目的を思い出し、大王と巫王二人の時間を作ろうと声を掛ける。小埜瀬は、時記が相手をして呉れるなら飲む、と上機嫌だ。
「では真耶佳、客人の持て成しを頼んだぞ」
「ええ、お父様をお願いします、暁の王。お父様、明日ゆっくりお話ししましょう」
取って返す様に、大王と巫王は階を下りる。御館まで数十歩。途中で厨に寄って、大王が酒を頼んで呉れた。亜耶の闇見の内容さえ伝えれば、大王と飲み交わせる。巫王は、案内される侭御館へと向かった。