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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇
155/263

百二十四、后の宮へ

 異世火(ことよび)を帯びた馬車が北へと向かう中、所で時記(ときふさ)、と大王(おおきみ)が声を発した。(みお)が其方に微笑む様子は見せたのか、と、坐安王(いましやすおう)の様子を思い出し乍ら言う。

「いいえ、澪が也耶(やや)や腹の子に話し掛けている様を見せました」

「そうか…」

「何故です、大王?」

 時記は不思議そうに、大王を見た。すると大王は笑って、時記に向けて笑う様子が澪は一番美しいから、と言う。

「坐安王に、八反目(やため)の存在を隠して下さったのは、助かりました」

 時記の代わりに、巫王(ふおう)が会話に加わる。亜耶から、也耶は腹の中に居る時から時記を父と認めて居るとは聞いていたが、会うまで実感出来ないからだ。

「なあに、巫王どの。会えば分かる。其れに、八反目の件は我の過ちだからの」

「そ、その様な…」

 其れにしても馬車は温かく、時記も大王も(おずい)を着て居無い。酒の入った小埜瀬(おのせ)は、少し暑そうだ。

「小埜瀬、襲を脱がせて頂いたらどうだ?暑いのだろう?」

 大王との会話が一段落した所で、巫王は小埜瀬に提案した。其程までに、小埜瀬の頬は紅潮して居る。耳や首まで赤くなるのも、時間の問題と云う様子だ。

「巫王どの、后の宮はもう直ぐだ。小埜瀬の我慢もあと少しよ」

「小埜瀬さま、父上の分まで飲んで下さったのですね…」

 時記が申し訳なさそうに詫びるから、小埜瀬は笑って痩せ我慢をして見せる。

「大王との大事な話の前に、八津代兄(やつしろあに)を酔わせる訳には行かぬからな」

 しかし相変わらず、纏向(まきむく)の酒は濃い。(もり)の酒に、ほんの五月(いつつき)で馴れて仕舞った。そんな事を言う小埜瀬に、大王が興味を示す。

「杜の酒は、薄いのか?薄い酒は水が良い証拠だと、聞いた事が有るのだが」

「はい、杜の水は砂を含まぬ分甘みがあって、美味いのです」

「砂を含まぬ…?」

「大王、杜では川底にも泉の底にも、玉石(たまいし)が沈んでいるのです」

 雨の季節に神山(かむやま)の上で起こる氾濫で、研磨された玉石が下流の川には堆積する。そんな幻想的な光景を、時記は話して聞かせる。

黄金(こがね)は出ませんが、玉石は豊かですよ」

真耶佳(まやか)の持つ月長石も、その…川の玉石なのか?」

「ええ、亜耶と澪、真耶佳で川遊びに行って、揃いで三つ見付けたそうです」

 話して呉れた時の澪の生き生きした様子を思い出し、時記は嬉しげに言った。真耶佳が三つとも見付けた事、神殿(かむどの)で浄めて貰った事、姉妹姫三人の楽しい記憶なのだろうと。

「見てみたい物だな…玉石の沈む川に流れる清水…」

 大王がそう零した所で、馬車が止まった。宮の門に着いたのだ。異世火を帯びた馬車は、少し周りに光を散らす。勿論門の両側にも松明はあるが、異世火は足元までをも照らすのだ。

「おや、父上…?」

 馬車から降りた後、時記が何かに気付いた。視線は、舎人(とねり)の足元に向けられて居る。つられてそちらを見た巫王が、此れはいけない、と言った。

「時記、夜目が利かぬ故遣り辛かろう。私が治す」

 巫王は急いで馬車を降り、舎人の左足に触れる。すると舎人は、くぐもった声を上げた。

「矢張り…此の侭では、足が曲がって仕舞う。少し、我慢出来るか?」

「は、はい…」

 舎人は訳も分からず頷き、巫王は其の左足に力強く指を這わせる。

「怪我をした時、処置を怠ったな。どうだ、痛みは引いたか?左足を動かしてみよ」

 言われた通りに舎人は、左足を上げたり下げたりしておお、と嘆息を吐いた。

「有り難う御座います!!」

 舎人は足に不安が有ったのだろう、見ず知らずの巫王に頭を下げて礼を言う。其処で時記が、もしかして…ともう一人の舎人に向き直った。

「貴男は腹を掠められたんだね。服の下で膿んでいる。もしかして、望月姫(みつきひめ)の槍かい?」

「お、お恥ずかしい話で…」

「恥ずかしくなど無いよ。傷を負って尚、真耶佳や宮の者を守ってくれていたんだね」

「時記さま…」

 もう一人の舎人は、時記の優しい声に心打たれた様子。時記は膿の出し方と、毎日湿布を届けさせると約束した。任務が開けたら、毎日傷の上から貼れと言うのだ。

「あ、そんなご厚情を頂いて…」

 舎人が恐縮するのを見て、大王が二人の名を訊ねた。足を怪我した方が猪守(いかり)、腹を掠められた方が千々岩(ちぢいわ)と名乗る。

 二人共、大王に怪我の報告を上げずに不完全な体調の侭仕事をした。其れを咎められるのでは、と怯えて居る。

「其方等が直ぐに近衛を呼んで呉れたお陰で、澪にも真耶佳にも大事無かった。感謝するぞ」

「え、解任、では…」

 驚いた様に猪守が言うと、千々岩も同じ疑問を抱いたのだろう、頷いて居る。

「何を言う。怪我をしてまで宮を守って呉れたのだぞ。信を深めるが当然だろう」

 猪守、千々岩。此れからも頼む、と大王直々に言葉を頂いて、二人は茫然として居た。

「如何した、返事は?」

「はいっ、此れまで以上に努めさせて頂きます!」

「次こそ不埒者を入れぬ様に…!」

 其れを聞いて大王は、うむ、と満足げに笑った。努々(ゆめゆめ)命は大事に。そんな事まで言われて舎人達は、大王への忠を深めたのが分かる精悍な顔をした。

 そしてやっと門を潜った一行は、巫王の頼みで先ず(くりや)へと寄った。

「巫王さま、お久し振りです!」

井波(いなみ)、息災か」

「はい!明日には魚を捌けると思うと、嬉しくて…!」

 宮には新鮮な魚は来ない。其れは事実だった様だ。喜ぶ井波に、巫王は一つ頼み事をした。

「宮の人数分、大蝦(おおえび)が有るだろう?舎人の分は無い。だから私の分を半分に切って、二人の舎人に回しては呉れないか?」

「半分では足りません、井波、私の分も回して、一人一尾ずつに…」

 時記も思う所が有ったのだろう、巫王の提案に自分の好物を差し出そうとする。すると、やっと暑さから解放されたらしい小埜瀬が、駄目だ、と声を上げた。

「大蝦は時記の好物では無いか!私の分を回して呉れ。時記には食わせねばな」

 小埜瀬は時記に、私らは帰ればまた食べられる、と説得を試みている。

「時記、小埜瀬に甘えたらどうだ」

 大王が仲裁に乗り出し、大蝦二尾は巫王と小埜瀬から引かれる事に為った。

 細々とした事を決め、やっと向かうは后の宮。久々の再会に、皆が心を躍らせて居た。

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