百二十二、香古加
真耶佳は時記が用意して呉れた異世火を月葉に預け、帰りの馬車に乗って居た。馬車には真耶佳と月葉の襲は乗って居たが、連れて来た侍女の物は無い。
「まあ、如何しましょう。貴女、私の襲を半分掛ける?」
「まっ…真耶佳の大后さまの襲をですか!?」
少しおどおどとした侍女は、おっとりと言う真耶佳に聞いて居た評判とのずれを感じて居る様だった。
何故、侍女を連れ帰る事になったのか。其れは、少し時間を遡る。
大王が宴席に着き、真耶佳が場を後にしようとした時。真耶佳の背中に、何かぶつかる物があった。
振り向いて見れば酒を運ぶ侍女で、真耶佳の背中に酒を零して仕舞った、と必死で詫びている。真耶佳はその侍女の視線の先に、意地悪く笑う他の妃の姿を見た。
「良いのよ、色が褪せた訳では無いでしょう?私は此れで宮に戻るし、酒ならば毒消しになるわ」
言い乍らちらりと件の妃を見ると、面白く無さそうに顔を歪めて居る。ああ、此の子は苛められているのだ。そう気付くまでに、時間は掛からなかった。
「如何した、真耶佳」
大王から掛かった声に、目の前の侍女が震え出す。真耶佳はそっと侍女の肩を抱いて、裳に躓いて酒を零して仕舞ったらしいのです、と答えた。
「本当か?」
真耶佳への嫌がらせを疑った大王に、月葉が代わりに言う。
「はい、此処の段差で沓が裳に絡まったのですわ」
「暁の王、此の子を私の宮に下さいませんか?」
偶然は必然。こうして引き合わされたのも、何かの意味が有る。そう感じた真耶佳は、大王にお強請りをした。
「宮に…?何故」
「子が生まれれば、月葉や澪の負担も増えます。元々側女は、八人居たでしょう?だから、此の子を、と」
「大王、偶然は必然なのです。真耶佳の願い、聞き届けては頂けませんか?」
話を聞いて居た時記の加勢も得て、正式に侍女は真耶佳の宮の側女となった。真耶佳の宮の評判は、縊られた醜女のお陰で最悪。仕掛けた妃は、嬉しそうに嗤って居た。
真耶佳は馬車の前列に乗り、新しい側女の肩に自分の襲を掛けた。異世火も有るが、一番寒い季節。無いよりはましだろう、と。
「あ、あの…」
「私は大后では無いわ。側女の間が一つ開いているから、今日からは其処を使って頂戴」
「は…はい…」
私の宮の評判が悪いのは知って居るわ、と真耶佳が微笑むと、側女は見とれて返事をするのも忘れた様だ。
「あら厭だ、私、貴女の名も聞いて居無いのね。何と云うの?」
「か、香古加です…」
「まあ、随分静かな真名ね」
「すっ済みません…!」
責めて居るんじゃ無いのよ、と真耶佳はまた微笑む。月葉が見かねて、側女頭だった醜女を追い出したのは自分だ、と言い出した。
「私は、真耶佳さまを貶める言葉を吐いた側女は、要らないと決めました。今の側女頭は、穏やかな者ですよ」
「貶めた…主を…?」
「そう、雛つ女と呼んでね」
「そんな事が…」
ではあの女の騒いで居た事は、事実では無いのですね。そう言い乍ら、香古加の肩の力が抜けて行く。
「香古加、貴女あの妃に苛められて居たのでしょう?」
私の宮には、そんな事をする側女は居無いわ。真耶佳の其の言葉に、月葉も力強く頷いた。
「私…粗忽者で、何か有る度にあの妃に、真耶佳の大后さまの宮に遣って仕舞うわよって…」
緊張の糸が解けたのか、香古加はぽろぽろと泣き出した。暗がりでよく見えなかったが、年の頃は澪と同じ位だろうか。怖い思いをしたのね、と真耶佳は香古加を引き寄せる腕に力を込めた。
宮の門の前まで戻ると、舎人が無言で閂を開けて呉れた。真耶佳の腕の中で泣く少女の事は気になれど、訊ねる立場に無いと云う所か。
「さ、馬車を降りて。大事な物が有るなら、後で取りに行ける様にして貰うから」
「無いです…全部、壊されました…」
鼻を啜り乍ら言う香古加に、真耶佳は眉根を寄せる。後で、各務に詳しく聞き出して貰おう。月葉に目配せすれば、其れが良いと頷かれた。
宮に着けば、澪と側女達が出迎えて呉れる。真耶佳は、今日から加わる側女だと香古加を紹介した。
「まあ、泣いていたのですか?」
也耶を抱いた侭、澪が香古加を火瓶の側に導く。他の側女達は、真耶佳や月葉の襲を預かったり、厨へと走ったりと小忠実に動き始めた。
香古加は明らかに身分が上の澪に甲斐甲斐しくされるのに驚いた様で、只管恐縮頻りだ。もう直ぐ夕餉ですよ、と言われて少し笑顔が戻った辺り、矢張り年相応の少女なのだろう。
程なくして厨から遅い夕餉が届いた。今日は皆で食べよう、と言うと、香古加は呆気に取られて居る。
「新しい仲間も加わった事だし、お祝いよ」
真耶佳がおっとり言って決めて仕舞い、夕餉を囲む席は皆の互いを知る為の場となった。