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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇
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百十五、手土産

 巫王(ふおう)女御館(おなみたち)を訪なったのは、出立を翌日に控えた昼前だった。亜耶に、巫王の御館(みたち)まで来て欲しいと言うのだ。

 勿論、大蛇(おろと)は難色を示した。何故ならば、巫王の御館の(きざはし)が高いから。

「俺も行く」

「いや、亜耶だけで良いんだ。階には留意するし、私も手を貸すから」

 何か鬼気迫る様子の巫王に、大蛇も圧された。仕方ねえな、と言って亜耶を見ると、既に(おすい)を巻いて準備万端だ。

「大蛇、心配しないで。私は階から落ちないわ」

 気怠げに巫王に従う亜耶を、大蛇は女御館の入口まで見送る。亜耶の歩き方はもう、だいぶ重心が後ろに傾いて居た。




 御館には綾と大龍彦(おおつちひこ)も来ている。そう知らされて、亜耶は厭な予感がした。丁寧に一段一段階を上り乍ら、あの二人は巫王に告げたのだろうと思う。

 巫覡(かんなぎ)同士の約束には、(うから)の者は触れてはならない。其れは、(もり)の掟。しかし、先日の綾と大龍彦の反応を見れば、亜耶は無理をして映るのだろう。そして其れは、巫王にも同じ印象を与えた。そう考えるのが自然だ。

「お父様、也耶(やや)との遣り取りには口を出さないで頂けますか?」

 階を上り終えた途端、亜耶は先手を打つ。すると巫王は、何の話だとばかりに亜耶を振り返った。

「也耶との約に、何か不都合でも有るのか?」

「…いいえ。お父様にはまだ関係の無い事です」

 どうやら、亜耶の勇み足。神殿(かむどの)の二人は、約束を口外しなかったのだ。綾の過保護を疑った事を省みて、亜耶は気不味く御館に足を踏み入れた。

八津代(やつしろ)、本当に連れて来たの!?」

 巫王お気に入りの間に着けば、綾の責め立てる様な声が父娘(おやこ)を迎える。どうやら綾は、亜耶を此処に呼ぶ事に反対だった様だ。

「亜耶を呼ぶなら、浜辺で遣れば良かった」

 こんな桁違いに高い階を、産女に使わせるなんて。綾は怒って居るし、大龍彦も不覚を顕わに無言の侭だ。

「魚の選別なら、亜耶の方が上手いと言ったのは綾では無いか…」

「大蛇が意地でも止めると思ったの!まったく…」

「亜耶、大蛇の奴は何つってた?」

 大蛇は来させたがらなかった、と答えれば、綾と大龍彦の視線は揃って巫王を向く。巫王はおどおどと大王(おおきみ)に差し上げる魚だから、だの真耶佳(まやか)時記(ときふさ)に恥を掻かせては、だの言訳(ことわけ)して居た。

「…そんな事の為に呼ばれたのね。お父様が剰りに必死だから、付いて来てあげたのに」

「あ、亜耶…」

 亜耶まで怒りの言葉を口にした事で、綾と大龍彦の目付きに険が増す。

「八津代だって、魚の目利きくらい出来るでしょう?」

「幼い頃、大蛇に教わってたじゃねえか。鱗の揃いや疵の有無…」

「どうせなら、大蛇を連れて来れば良かったのに」

 巫王はううん、と呻いてから、亜耶に座る様促した。開き直りの境地だろう。

「大蛇に言っては、女々しいと笑われそうでな…」

「確かに女々しいわね。お父様は此の後、宮に持って行く(きぬ)も聞く気だったでしょう?」

「何だそりゃ。輿入れする姫か?」

 大蛇が居無くとも、大龍彦は居る。女々しいな、と同じ声で吐き捨てられて巫王は縮こまって仕舞った。

「で、魚は何処なの?」

 こんな温かい部屋に、いつまでも冬の魚を置いてはおけない。亜耶が諦めて訊くと、大龍彦が大きな櫃を指さした。

「大蝦は早く凍て付かせて。宮には三十人程居るのだから、全部持って行っても構わないわ」

 ああ、でも此れは駄目ね。そう言って亜耶が爪弾いたのは、数尾の笠子だった。棘に毒を持つ、派手な魚。美味いのだが、(くりや)族人(うからびと)に怪我をさせて仕舞う。

「大王にも、笠子の雑炊をと思ったんだがなぁ」

「宮の厨では、もう九月(ここのつき)も魚を捌いて居無いのよ?杜と便利が同じだと思わないで」

「す…済まん」

「其れに、帆立の粥と笠子の雑炊、どちらも出して如何(どう)するの?」

 (みお)が厭な記憶として仕舞わない様に、帆立の粥を出して。そう言った亜耶の言葉を、巫王は忘れて居た様だ。又してもしょんぼりとして行く巫王に、亜耶は惘れた、と零す。

「お父様、無理に(いお)(もり)を売り込む必要は無いの。手土産なんて、族人を喜ばせるだけで充分。大王が気にしたら、返礼が届いて仕舞うわ。其れは族に取って、禍事(まがごと)よ」

「そうだな…済まない。少しはしゃぎ過ぎて居た様だ」

「大王には、生の魚を出せば其れだけで喜ばれるわ。其れよりも伝えなければいけないのは、真耶佳に関する事よ。忘れて居無いわよね?」

 眉間に皺を刻み乍ら言い募る亜耶に、巫王ははっとした顔をする。大王は二人で話す機を設けて呉れると仰有って居るし、善事禍事(よごとまがごと)を伝えるには良い時だ。

 大王は善事には喜び、禍事は平静に受け止めるだろう。真耶佳との幸せは続く。其の事実さえ有れば、大王は全てを許容して呉れると見えて居る。

「亜耶、済まなかった」

「もう良いわ。宮に持って行く衣は、婆がこの間縫った青白橡(あおしろつるばみ)にして。宴の時は正装なのだから、後は道中の着替えで大丈夫」

 其れから、朝きちんと起きる事。ずいっと巫王の目元に怖い顔を寄せて、亜耶は強く言う。巫王は、こくこくと頷くのみだ。

「亜耶、準備は終わったよ。魚も貝も大蝦も、櫃に詰めた」

 結構重いけど、大丈夫かな、と。綾は早くも馬車の心配だ。更に桜と、今頃大蛇がもう一つ二つ荷物を増やしている。真耶佳が輿入れした時の四頭引きの馬車を借りよう、と巫王が言った。

 結構重い、と言われた櫃を大龍彦が軽々と担ぎ上げて、どうやら神殿に置いて呉れる様だ。其れならば明日、引き取れば良い。巫王の御館は、温か過ぎる。巫王は気付いて居無い様だけれど。

「亜耶、送る」

 気付けば外はもう薄暗がり。不意に綾が声を掛けて来て、亜耶は綾に抱き上げられた。其の侭滑る様に階を下り、綾の腕の中から出ようと亜耶は身動ぎする。

「送るって言ってるでしょ」

「自分で歩けるわ」

「駄目、亜耶は直ぐに無理するから。八津代の所でも、無理に霊力(ちから)なんて使わなくて良かったのに」

 宿り木の前の川で大龍彦と道を違え、綾の足は自然と女御館に向かって行く。

「何だか、凄く疲れたわ」

 そう言ったが最後、亜耶の記憶は帰路の道半ばで途絶えた。

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