百十一、二年目の桃
亜耶は、餅米と魚醤以外にも宮に贈り物をして居た。婆の繕った衣は勿論、先日時記に言われた事が気になっていたのだ。
宮には、花の気が無いと云う。詰まり、邪な気を避ける木々の力が無いと云う事。其処で亜耶は、二年目の桃の苗木を二株届けさせた。今回の馬車は、重かっただろう。
婆の衣の検めを終えた澪と時記が、丁度水鏡で桃に付いて聞いて来ている。昼餉が終わった刻限、大蛇は昼寝に勤しんで居るだろうと。
「で、亜耶。あの桃の木は、何処に植えれば良いんだい?」
「澪と時記兄様の御館の前に一株、后の宮の前に一株よ。成る可く、階の近くに」
「未だ若い木でしたけれど…」
「春には咲くし、来年には実がなるわ。実はそれぞれの御館の者しか食べては駄目よ」
え、と云う表情になった澪が、何故かを訪ねる前に時記が頷いた。亜耶の言葉は、各々の御館の邪気は各々で祓えと云う事。時記は、杜で神山にも出入りして居た。その為、大蛇の教えが生きているのだ。
「色々有るのですね…」
「子等が木登りでも始めたら、きつく言い聞かせてね。まあ、澪の子は聞き分けが良いから心配無いと思うけれど」
「そう、なのですか…」
釈然としない様子の澪を片眼に、亜耶は来たるべき日々を見て居る。宮は、子等の笑い声で嘸かし賑やかになるだろう。
「そう云えば、亜耶」
急に畏まった様子で、時記が呼び掛けた。少し、固い面持ちで。
「真耶佳の子が生まれたら、大王が生活の拠点を此の宮に移すと言うんだ」
「ええ、知って居るわ」
「亜耶さま、そうすると黒い針は…」
増えるわね、と亜耶は即答した。大王には向かない黒い針、真耶佳や皇子には降り注ぐ針が。
「だから、桃を送ったの。先ずは根付かなければ意味が無いでしょう?」
「澪、桃は邪な気を避ける。亜耶は其れを見越して送って来たんだ」
「まあ…」
「其れから、厨に毒味役が居着くわ。お喋りな男だけれど、大王が在られる内は心配無いわよ」
毒見、と聞いて澪は少し不安になった様だ。以前、大王の食事の仕方を聞いたから。
「澪、心配しないで。宮で囲む食事には変わりは無いわ。大王は、后の宮での和気藹々を楽しんで居るのだから」
途端にほっとした顔に成るから、澪は矢張り可愛らしい。そんな澪に目を細めて、亜耶は続ける。
「真耶佳の子は皇子と呼ばれて育つのだから、それなりよ。大王が儀式の在り方等も教えて下さる。けれど食事を皆で囲む習慣で、未来の后には善き夫となるわ」
澪の子等もね、と付け加えられ、澪は也耶をまじまじと見詰めた。この子は善き妹とは為らないのだろうか、と。
「澪、也耶が結ばれる人はもう決まって居る。本人ももう自覚しているわ。善き妹に成るわよ」
「もう、決まって…?え、杜にはもう、そんなお子が居るのですか?」
「未だ内緒」
亜耶は決まって、也耶の話となると途中で打ち切る。也耶と約したから。其れも有るが、知らない方が自然に運ぶ事も有るからだ。
巫覡の予言は、常に未来を委ねる形で終わる。時記も澪にそうして居る筈だ。
「楽しみだね、澪」
「は、い…」
時記には見えて居るのか、と澪の目が訝しむが、時記は笑顔を崩さない。大王の一件さえ片付いたなら、後は自然になるが良いと思うのが、杜の者だ。
「では時記兄様、桃の木をきちんと植えてね。詳しい場所は、月葉に測って貰って」
「分かったよ。宮の前は、今日の内に穴を掘って仕舞おう」
「澪、悪い未来は来ないわ」
最後に澪の不安だけを打ち消して、亜耶は美しく笑うのだった。