百八、初乳
澪と真耶佳が漸く眠りに就いた頃、也耶は亜耶の元から魂戻りして来た。ぐずる様子を、二人に見せては居無い。
恐らく、母である澪も也耶の怖い夢は知らぬ筈。けれど矢張り真耶佳の閨は落ち着かなくて、也耶は降り注ぐ黒い針を霊力で弾いた。
「也耶…?」
此れには流石に澪も起き出し、也耶を抱き上げる。お腹がぱんぱんに張って居るので、亜耶の元から戻ったのは明らかだ。
「如何したの、澪」
矢張り此方も眠りの浅い真耶佳が、澪が起き出した気配で目を覚ます。そして黒い針の気配が無いのを知り、また如何したの、と言った。
「どうも也耶が、黒い針を弾き飛ばしたみたいで…」
「…え?」
亜耶でさえ弾き飛ばせない黒い針を、也耶が弾き飛ばす。そんな事は可能だろうか。二人は顔を見合わせ、也耶の様子を昏闇なりに見詰めた。
也耶自身は、すっきりしたのかもう眠る準備に入って居る。寝座の横の灯りはまだ油が尽きて居らず、薄ぼんやりと見える也耶の白い頬は、満足げに緩んでいた。
「也耶は此処で生まれたから、少し此方の国つ神にも馴染んで居るのかも知れません」
「そう…」
「明日、亜耶さまに確認致しますね」
少し不安げだった真耶佳の表情が、亜耶の名を聞いて晴れる。同母の姉妹なりに、信頼は厚いのだ。
「きっと、亜耶さまのお力をお借りしているんですね」
澪が微笑んで言うと、真耶佳も口元を笑みの形に変える。也耶の襁褓までは少し時間が有りそうなので、澪は其の侭夜具に潜り直した。
也耶の泣き声が響いたのは、其れから一眠りした頃。襁褓が気持ち悪い、お腹が減った。どちらも混ぜ込んだ泣き声に、澪は慌てて飛び起きる。
「やっと私の前で泣いたわ」
真耶佳は寝苦しい侭横になって居た様で、澪がてきぱきと襁褓を替えるのを眺めて居る。声色が嬉しそうなのは、聞き違いでは無い筈だ。
澪は襁褓を替え終わったら、乳を飲ませる。火瓶が有るお陰で、其処まで寒くは無い。
何故だか真耶佳はそんな澪をじっと見詰め、また綺麗ね、と言った。
「私も吾子に乳を遣ってみたいわ」
生まれたら直ぐ、澪に任せる。其れが決まって居るが故の言葉だろう。そんな真耶佳に、澪は言った。
「初乳は、実の母が与えねばならないそうですよ」
其れは、産屋で聞いた産婆の言葉。御子の体の事を考えたら、真耶佳の時もそうするだろう。
産屋での初めての乳遣りは少し寒いが、何よりも我が子を初めて感じる瞬間だ。真耶佳にも、体験して貰わなくては。
「そうなのね、楽しみが一つ増えたわ」
其れに乳遣りの時は兎も角、普段御子を抱くのは真耶佳さまです。澪がそう付け加えると、真耶佳は自分の腹を撫でた。
「ああ、蹴ったわ」
「元気だと云う証ですね」
也耶は、二人の会話も気にせず乳を飲んでいる。今だけは、澪は自分の物。そんな思いを垣間見た時だった。
其の後は、定期的に起きる也耶に澪が対応し、真耶佳は眠たければ顔を此方に向けるだけ。余り眠れて居無いのだから、其れが自然だろう。完全に目が覚めて仕舞っている時は、身を起こして澪と也耶をじっと見て居た。
こうなると、也耶が泣く度に真耶佳を起こすのが、申し訳無く感じる。けれど真耶佳はそこはかとなく嬉しそうで、其れが澪の救いだった。