百二、姶良と相良
宮の面々は、時記の着替えが終わり次第水鏡の前から一旦離れた。大王の従者が既に来ていた為だ。
巫王は機が悪くて申し訳無い、と謝ったが、大王は少しでも話せた事が嬉しい様だ。
「では、また明晩に」
大王は、正装の澪と時記を言祝いでから出て行った。其の間に、杜の女御館で焼いた餅が食われて居るとも知らず。
真耶佳はいつもよりゆっくりと大王が滞在したのが嬉しかったらしく、顔を綻ばせて居る。そんな真耶佳を見て、澪と時記も笑い顔を合わせるのだ。
そして水鏡の前に戻る。不意に側女達の中には水鏡が使える者は居無いのか、と巫王から聞かれて、真耶佳、澪、時記の三人は顔を見合わせた。
「多分、姶良と相良が使えます」
すると後ろから月葉が、従姉妹同士だと云う二人の名を出して来た。
物は試しと二人を呼べば、萎縮し乍ら遣って来る。妙なものが見える事が有るでしょう、と。月葉に聞かれると、二人共おずおずと頷いた。
「真耶佳さまに向かって来る、黒い針とか…」
「いつも二人で話してるんです」
「お前達のお喋りは、其れだったのですね」
納得が行った様子の月葉に、そんな事は初めて聞いた真耶佳は驚く。
「見えて居たのね…!」
知己を得た、とでも言いたげな真耶佳に、月葉がひとつ咳払いをした。仕事中のお喋りは、月葉に取っては歓迎出来ない事だからだ。
けれど、見えるのは有り難い。真耶佳は咎める気など無い様だし、今回は不問にしようと月葉は言った。
此の宮の主は、飽くまで真耶佳なのだから。
兎に角、水鏡を覗かせてみろ。そう急かす巫王に、真耶佳と澪は二人を映した。
「私達が見えるかね?」
巫王の問い掛けに、姶良も相良も頷く。
「本当に、お美しい方ばかりの族なのですね…!」
「真耶佳さまのお父様、と妹姫君…?澪さまの姉姫君…?と其の夫君…?」
特段美しいとも言えない二人が、嘆息を漏らし乍ら口々に言った。
「そうよ、真耶佳の同母の妹姫で、澪の姉姫、亜耶と云うの。其れから父と、私の夫」
努めて明るく応えた亜耶は、巫王に任せない方が良いと判断したのだろう。巫王が応えるより先に水鏡の向こうで笑って見せた。
「此れで、真耶佳の子生みの時も安心ね。月葉は一緒に産屋に入って仕舞うし、澪は産屋の前から動かないわ」
既に闇見して居るのだろう亜耶は、本当に安堵した様だ。
「宜しくね、姶良、相良」
「は、はい…!」
「忠を持って務めさせて頂きます…!」
真耶佳を慕う二人だ、任せられる。亜耶はそう見たらしく、更に艶然と微笑んだ。
其れからふと真顔に戻った亜耶は、月葉だけれど…と口にした。すると、二人の顔にさっと緊張が走る。
「私の乳兄弟なの。言葉尻はきついけれど、悪気は無いわ」
誤解しないで上げてね、と亜耶は優しく微笑んだ。二人は顔を見合わせた後、勿論、と答える。
「誰よりも、真耶佳さまへの忠に厚い方です」
「月葉さまの事は、尊敬して居ります」
「そう、良かった」
後ろでは月葉が所在なさげに視線を泳がせて居る。きっと、側女は皆自分を恐れている、と思って居たのだろう。
年開けて未だ十六の月葉には、人を使う術に長けていない。其れを、側女の方も察し始めたのだろう。宮内は穏やかである様だ。
ただ少し、此の姶良と相良はお喋りの機会が多い。喬音が敢えて二人を分けて仕事を割り振って居るのは、亜耶も見えて居た。
月葉の頭に有るのは、少し注意を促すだけ。大事にならない様で、亜耶は安堵した。