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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇
132/263

百一、陸からの帰還

 巫王(ふおう)は疲れ切った顔で、昼過ぎに帰って来た。どうも、(くが)の宴に巻き込まれたらしい。

「お父様!」

「亜耶、頭に響く」

 酒も、呑まされたのか。巫王として平静を装うのは、辛かっただろう。心配する亜耶の腹をちらと見て、巫王は深く溜息を吐いた。

「全部、見えたわ」

「そうか…誰と共鳴(ともな)りした?」

「………母と」

 一瞬目を(みは)って、巫王は哀しげに足元に視線を落とす。海人(みなと)は笑って居た。後味は、悪かっただろう。

「お前にも辛い夜だったな…」

 巫王からの労いに、綾と大龍彦(おおつちひこ)が居て呉れた、と応えると、巫王は少し笑った。

大蛇(おろと)は、餅の残りに火を入れて呉れたわ」

「何と!もう無いのか?」

 お父様の分も有るわよ、と亜耶は勢いに飲まれる。巫王は果たして、そんなに餅が好きだっただろうか、と。

「陸の魚醤(うおひしお)は臭くて…(もり)の物を出せば良いのに…恋しくなって仕舞ったのだ」

 あれは、早く此方の魚醤を寄越せという催促だな、と巫王は虚ろな目で言う。

「直ぐに焼いてやる。杜の魚醤をたっぷり塗ってな」

 そう云えば昔、真耶佳も陸で魚醤を残して居た。ふと思い出した記憶に、亜耶は淋しくなった。

「何だ、亜耶の分も有るぞ」

 大蛇は、暢気に族人(うからびと)から乾き餅を受け取って言う。朝餉も昼餉も固辞して来たのか、巫王の腹が鳴った。




 夕べ水鏡(みずかがみ)の前から留守にしたから、女御館(おなみたち)で良いか。そう聞くと、巫王は喜んだ。素直に喜ぶだろうか、と思いつつ言ったのに。(おと)ない過ぎと怒られてから、少し足が遠のいていたのは亜耶と大蛇も感じて居たからだ。

也耶(やや)が見られるかな」

「多分、水鏡の前に居るのは真耶佳(まやか)よ」

 数段の(きざはし)を上って、亜耶の間に入る。お世辞にも片付いて居無いのは、此処だけ掃除の手が入らないからだ。勿論、亜耶の結界に起因する。

「此れは…氈鹿(かもしか)の毛皮…?」

「ああ、八津代(やつしろ)が宮へ着ていくやつだ」

 出来上がるまで見せる気は無かったんだが、と大蛇が頭を掻いて居る。(おすい)で在り乍ら袖まで付いた其れは、あと方裑(かたみごろ)縫えば完成だ。

「大蛇…!」

 今は亜耶に夢中な自由人だと思って居た兄貴分が、自分の襲を縫っていた。しかも、時間を掛けて。巫王は感動の呈で、大蛇に抱き着いて行く。

「お父様、水鏡を繋ぐわよ。大蛇を放さないと餅が食べられないわ」

 助け船を出す亜耶にも、巫王は感激の目を向けた。亜耶が許さなければ、毛皮は無い。其れは、女御館の掟だからだ。

 水鏡の前で亜耶の横に並び、巫王は何度も礼を言った。大蛇は完成してから驚かせたかったのよ、と笑い乍ら、亜耶は小さく言った。巫王には少し酒が残って居るのでは、と亜耶が疑ったのは、致し方無い。




 ゆらゆらと、水鏡を揺らす。水面の上に手を翳せば、容易なこと。

「亜耶?お父様も!」

 水鏡の前に居たのは、亜耶の言った通り真耶佳だった。其れは其れで嬉しい巫王は、でれでれと真耶佳に挨拶して居る。

 巫王どのが居るのか、と大王(おおきみ)の声が聞こえるまでは。

「お、大王…此の刻よりお越しとは…失礼致しました」

「否、良い。今宵も来られぬでな、今から元始祭に向かう所だ」  

 真耶佳の横に座った大王に、真耶佳は腕を絡ませる。仲の良い夫であり妻であり、と云った有様だ。

「真耶佳、巫王どのには也耶では無いか?」

「まあ、そうですわね(あかとき)(きみ)(みお)、用意出来ていて?」

 はい、このまま行きます、と澪の謎の返答が聞こえて、着飾った澪が現れた。普段と違う簪、上質の衣、お包みは裳と同じ茜色だ。真耶佳曰く、今日の見送りは其の格好でして欲しいと大王が仰有ったのだそうだ。

「一昨夜の言挙げの、衣装か…?澪、美しいぞ」

「お義父様…今度こそ、義娘(むすめ)として宜しくお願い致します」

時記(ときふさ)瑕疵(かし)は無い。今生を越えて続く幸せを約そう」

 巫王が涙乍らに嘉し、澪も目元を潤ませて居る。此処で足りないのが、時記だ。

「ねえ澪、時記兄様は?」

「あ、お召し替え中で…」

「慌ただしくさせて仕舞ったからのう」

 済まなそうに、大王が続ける。巫王に会える日を楽しみにして居ると言って、大王は澪に場所を譲った。

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