九十二、柘榴石
大晦を翌日に控えた日。大王は普段通り、真耶佳の宮を訪れて居た。
「時記、約束の物が出来たぞ」
年の瀬に、時記は大王に頼み事をして居たのだ。普段遠慮深い時記ならば、考えられない事。しかし、澪が絡むとそうも行かない。
「有り難う御座います。ご無理を言って…」
「細工師も、喜んで居った。無理などでは無い、時記」
大王がそう言い乍ら取り出したのは、黄金の簪二本。時記は一本分の対価しか預けて居無かったのに、と不思議な顔になる。
「一本は時記から、もう一本は我からの祝いよ。澪はもう、我が妹姫でもあるのだから」
「恐れ入ります…!」
話に付いて行けず、ただ柘榴石の簪を美しいと眺めて居た澪は、どうも其れが自分宛で有ると云う事に思い至った様だ。そんな澪とは関係無しに、大王から簪を受け取った時記は澪に向き直る。
「澪、遅れてしまったけれど、也耶を生んで呉れたお礼だよ」
一本ずつ細工の違う簪は、片方は大きな柘榴石が煌めいて居る。もう一本は、四連に加工された柘榴石を長く垂らす物。手を差し出す事に戸惑う澪に、大王が畳み掛ける。
「次の子の祝いと重なって仕舞ったがな、我の姪を無事生んで呉れた祝いよ」
「怪しい物じゃ無いよ、澪。族を出る時、亜耶が結構な数の黄金の簪を持たせて呉れたんだ」
大王の厚意に、甘え果て居る訳では無い。そう分かった澪は、やっと時記から差し出された簪を手にした。
「澪、私が選んだ簪とも合うわよ。おめかしする時にお使いなさいな」
「はい…!」
澪が無邪気に簪を髪に添わせ、似合いますか、と問う。大王も時記も、勿論だと証した。
「明日髪を結う時に、実際に付けて見ましょう」
真耶佳の提案に、澪は嬉しくて堪らない、と云った笑顔で応える。其れを見た真耶佳がほんわりと笑って、簪は正式に澪の持ち物となった。
閨に入った真耶佳は、暁の王、と呼び掛ける。
「澪に簪を、有り難う御座いました。暁の君から妹姫と呼んで頂けて、澪も嬉しそうでした」
通常乳母は、父親側の姉妹姫となる。其れを認めて呉れたのは、真耶佳に取っても喜ばしい事なのだ。
「澪は充分信頼に足る妹姫よ。我はいつ言おうかと迷って居った」
「まあ、左様ですか?」
澪を妻籠に入れたがった大王の過去を知る真耶佳は、少し目を見開いて、其れから笑う。大王は、八反目が卑しいからと、時記が来るまでは杜の男に半信半疑だった。其れ故、澪を護る為と策を巡らせて居たのだ。
誤解が解けた今、大王は澪と時記に全幅の信頼を置いて居る。真耶佳は、其れも嬉しくてならない。
少しだけ杜を思って、真耶佳は肝心な事を思い出した。
「暁の王、杜の婆が、大王に縫っても不敬にならない物を思案して居る様です」
何か、御座いますか、と。真耶佳の無邪気な問い掛けに、大王は少し驚いた顔をする。普通、大王の身に着ける物は、専門の者以外繕うを許されないからだ。
「婆とは、澪の美しい衣を繕って居る婆か?」
「はい、その婆です」
「其方は、何か頼んだのか?」
いいえ、未だ。そう真耶佳が応えると、大王は少し悪戯っぽい顔をした。
「ならば、内襟が良い。其方と揃いでな、襟を赤く縫って貰えないだろうか」
年明けの宴に、大王が着るのは黒い衣。真耶佳は紫だ。襟元から覗く付け襟が揃いならば、睦まじくは見えないかと。
「良いですね、其れは」
首元だけとは言え、暖かい生地で頼みましょう。そう真耶佳が同意して、大王の手枕に横になる。真耶佳は未だ、其の先に有る子生みが至難だとは知らない。
大王に微笑み掛けて、真耶佳はゆっくりと目を閉じた。