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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇
121/263

九十、氈鹿

 大王(おおきみ)がお下がりの際に、(みお)時記(ときふさ)は孕みを伝えた。すると、普段ならば其の侭去る筈の大王が足を止め、腹の子を(よみ)したのだ。

 真耶佳(まやか)が澪を抱き締めたのを見付けてか、大王も時記と抱擁を交わしている。男同士、何か通ずる物が有るのだろう。良く遣った、と時記を褒める大王の目には、涙さえ見える。

「本当なら未だ也耶(やや)が腹に居る筈だったのに…澪、お目出度(めでと)う」

 真耶佳が呉れる(はふ)(ごと)も、少し涙混じりの物で有った様に思う。澪が真実の幸せを得た証として、真耶佳の子を護り続ける臣として。きっと、次の子も皆に見守られ乍ら生まれ来るだろう。

「良き朝よ。我も此処で祝いたい」

 無理だと分かって居ても、大王はそう言う。

「大王、どうぞご無理を為さいません様…」

 也耶の出産の時、夜を徹して待って居たのを時記は覚えて居る。そして、落馬してまで真耶佳に会いに来た事も。だから、大王はどんな無理でもして仕舞いそうで危うい。

「ううむ…今宵、我も夕餉に参加させては貰えないだろうか?」

 執務は確実に終わらせて来るから、と大王は言い募る。真耶佳が其の腕にそっと手を添え、皆に良いかしら、と問うた。

「勿論です!ではいつもお出でになる位の刻限に、夕餉が有れば良いでしょうか?」

「いやいや、もっと早くて良い。来る時間の一刻前程度か」

 普段、大王の食事には大変な時間が掛かって居るのだと云う。一品ずつ手元に運ばれ先ず毒見、少量を食べてまた次の碗、と云った具合で、いつも訪なう時間になって仕舞うそうだ。

 以前宮に住み着いた時の賑やかさは、普段は欠片も無いと。

「まあ…」

「その様な夕餉、私は寂しいわ…」

「此処は()き所よ。自分の宮に居るより、ずっと落ち着くのだ」

 感慨深げに言った大王に、皆で今宵の膳の話をする。大王の食べたい物を、確実に用意する為だ。

「食材は後程、(くりや)に届けさせる。此処の族人(うからびと)が用意する物に、毒見は要らぬからな」

 大王としては最大限の信頼を(あかし)して祝い膳を宣言し、少し遅れたいつもの朝が始まる。皆で見送る朝だ。

「では、楽しみにお待ちして居りますわ、(あかとき)(きみ)

「其方も澪も時記も、きっと月葉(つくは)も喜ぶ夕餉になるぞ」

 まあ、と驚く真耶佳に満足したのだろう。大王は足音も軽く階を下り、従者(ずさ)と合流した。大急ぎで側女(そばめ)が厨に向かったのは、大王が宮の門を出た後の事。




 夕刻、普段の宮の夕餉と同じ時間に大王は来て、側女達も囲める祝い膳を広げた。

「也耶の生まれた日、皆で直会(なおらい)の如く昼餉を囲んだと云うのが羨ましくてな」

 側女達はあの時以上に緊張を露わにした。大丈夫、と澪と真耶佳が笑うと、少し肩の力が抜けた様子ではあったが。

「時記、澪、一番良い席に座れ。我等は其れを囲むぞ」

「えっ、其処は大王の…」

「細かい事は気にせずと良い。今日はお前達の祝いなのだからな」

 上座に座らされ、何とも落ち着かない澪と時記だったが、也耶は相変わらず欠伸をして居る。澪はそんな我が()の様子を見て、本当に大王に他意は無いのだと思った。

 すると、気になるのは夕餉の献立である。見た事の無い肉が、輪の中心に置かれて居るのだ。

「まあ、氈鹿(かもしか)ね!」

「此れが、氈鹿ですか…」

 手慣れた様子で、時記が肉塊を捌き始める。綺麗に焼き目が付いた中は少し赤色で、新鮮でなければ出来ない食べ方だと知れた。

「此れは大王の分、此方が真耶佳の分…」

「手際が良いの、時記。此の様に切り分けるのか。我に気を遣わず、たっぷり食らうのだぞ」

 側女の分まで捌き終えて漸く、時記は自分と澪の分を取った。茸粥の上に乗せられた肉は、(とて)も食欲をそそる香りだ。此方の茸粥は、厨で杜を思って炊かれた物だろう。

「さあ、食べようか。冷めてしまう」

 其れを合図に澪は氈鹿に齧り付き、美味しい、と顔を綻ばせた。

「果ての(つごもり)も近い。その夜は我が共に居る事は出来ぬ故、氈鹿は今宵にさせて貰った」

 年の行事を早めて、悪かったの。そう言う大王に文句を言う者は無く、寧ろ感謝の声が多々上がった。

 真耶佳は、大王と氈鹿を囲めた事が何より嬉しそうだ。そんな真耶佳の様子を見て、澪と月葉も心を安らがせた。

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