八十八、小さな焔
澪に孕みが予告されてから、十日程経った。共寝を終えると、今宵は珍しく也耶がぐずる。澪は纏う物も纏わずに抱き寄せて、乳を遣った。
すると、也耶は乳より澪の下腹に興味が有る様なのだ。乳を飲み乍らも、必死で下腹に足を伸ばして軽く蹴る。也耶は乳を飲み終えると、きゃっきゃと笑って居た。
「也耶、貴女には見えるの?」
「如何したんだい、澪」
「也耶が、乳より下腹に興味津々で…」
其れは、と夜着を付けた時記が覗き込む。そして利かない夜目で、澪の下腹に触れた。
「澪…夜目が利かないから良いとは言ったけれど、今は寒い。夜着を着けて呉れないかい?」
妹背とは言え、こんな風に共寝をする様になってからは日が浅い。時記は、澪の無垢に少し気不味くなった様だった。
「あ、はい、済みません…!」
慌てて也耶を時記に預け、澪は脱がれた侭の形の夜着を手繰り寄せる。その間も也耶は嬉しそうに声を上げていて、澪も時記も此れは、と思う。
「明日、亜耶さまに確認して良いですか…?」
「丁度私も、亜耶に訊こうと思って居た所だよ」
幸せの予感。妹背で笑い合って、寝座に伏す。
「澪、うつ伏せは駄目だよ」
「そっ、そうでした」
その晩は、也耶を真ん中にして眠りに就いた。嬉しい知らせを呉れた後は、也耶は深い夢の中。
間近で時記と微笑み合って、毛皮の床敷きの上で手を繋いだ。
朝、水鏡を揺らすと、既に向こうには亜耶が待って居た。お早う、と笑顔で言われて、澪と時記は完全に出鼻を挫かれた形に成る。
「夕べ、也耶が来たわよ」
「也耶が、ですか?」
澪と時記は顔を見合わせ、亜耶の言う意味が分かりかねると云った様子だ。
「夢の中にね、也耶が来たの。ぐずっていたからお腹が空いているのかと思って乳をあげたら、よく飲むわねえ」
不思議だったわ、どんどん吸い取られて行く感覚。亜耶は、手で口を覆って嬉しげに笑う。
「げっぷをさせるのが大変だ、って言うけど、也耶は難なく熟して呉れたわ」
「こ、この子…亜耶さまに乳を貰いに行って居たのですか!?」
漸く事態を把握した澪が、也耶と亜耶を見比べて慌てた。
「そう云えば、夕べは余り乳を強請って泣かなかったね」
「確かに…」
「其れだけじゃ無いわ。嬉しい知らせも呉れたの」
澪が、あ、と声を上げる。時記も本題に入るのが分かった様だ。
「お目出度う、澪、時記兄様」
間違いなく孕んでいるわ。亜耶はそう告げて、水鏡の表面に祝りの紋を描いた様だ。紋は其の侭浮き上がり、澪の下腹に吸い込まれて行った。
「他にも色々教えて呉れたのだけれどね、今日言えるのは此処まで」
也耶は、本当に霊力が強いわ。もう闇見もして居る。亜耶が感心し乍ら言うと、時記は少し不安そうだった。
「宮で生きるのに、其れが也耶の弊害に成る事は無い?」
「也耶は、賢い子よ。幼い頃は少し注意が必要だろうけど、六つにもなれば大丈夫」
「そうなんだ。少し安心したよ」
「当面の心配は、動き出す様になって階から落ちないかでは無い?」
宮の階は高いのでしょう、と亜耶は言う。以前闇見した時、槍が充分隠れる高さが有ったからだ。
「…そうだね、大王と相談してみよう」
「其れと也耶だけど。いつ来ても良いわよ、夢の中に。私の乳で良ければ、飲みにいらっしゃい」
亜耶の言葉に、也耶が機嫌の良い時にする笑い顔を見せる。水鏡の向こうではぽちゃん、と水柱が上がった様だから、也耶はまた行く気だろう。
「亜耶、悪いね」
「悪くなんか無いわ。ほっぺたがぷにぷにで、気持ち良かったし」
見るのと触るのは、大違いね。亜耶は水鏡越しに也耶を見詰め、母の顔をした。そんな亜耶を見て、澪と時記は微笑み合う。あと二月もせぬで、亜耶も子生みを経験するのだ。
「亜耶さまは、きっと善い母になりますね」
「如何かしらね。綾に育てられた様な物よ?」
「なるよ、亜耶は」
良き母で有る澪と、良き父で在る時記からも確信を持って言われ、亜耶は照れたのか目を逸らす。
「亜耶、朝から有り難う。大蛇は未だ、寝ているんだろう?」
見透かされて居る大蛇に笑って、亜耶は何て事無いわ、と綾の口癖を真似る。其れでは、また。そう言い合って、三人は水鏡から離れた。