八十二、兄貴分
宮は、喜びに湧いていた。二月先とは云え、巫王が宮に来るのだ。懐かしい、と真耶佳が言う。澪も、水鏡越しにしか也耶を紹介して居無いので、昼餉の最中だと云うのに鼻歌を歌い出しそうだ。
月葉はと云えば、憧れの巫王に近しく接するのは幼い頃以来だ。少し、緊張して居た。
「月葉、今から固くなっていては、身が持たないわよ」
「澪さまのお喜びも、気が早すぎるかと」
月葉は、自分だけが巫王の来訪を喜んで居る訳では無い、と云った風情で言い返す。
「確かに、そうね。私達皆、気が早すぎるわ」
時記は言おうとしていた事を奪われて、苦笑して居る。その間にも澪達は、笑い合っていた。
「澪、手元をしっかり見て。粥が也耶にかかって仕舞う」
お包みは体の前面に也耶が来るので、両手は使えるが気を付けねばならない。澪が慌てて、粥の碗を持ち直した。
「今頃杜は、氈鹿狩りの季節だね」
「まあ、そうなのですか?」
杜では氈鹿は冬でも捕れる、貴重な肉だ。大晦の宴の大半は、氈鹿の肉で補われる。寒さで、海に入る男達が狩り場を山に変えるのもその為だ。
「氈鹿…食べた事、無いです」
澪の美味しい物探しに、氈鹿は引っ掛かった様だ。時記が、此方では食べるのかな、と言うと、澪の視線は真耶佳に向く。
「分かったわ、暁の王に聞いて上げる」
きっと、宮下の族人達も食べたがるわ。そう言って笑った真耶佳は、自分も食べたいと云う事を隠そうともしない。
「沢山の氈鹿が捕られるから、きっと大蛇が作る父上の新しい襲は氈鹿の毛皮だよ」
「そうね、氈鹿の冬毛ならば暖かいわ」
お父様には頼りになる兄貴分が居て、丁度良いわね。真耶佳が言って、皆大蛇を思って温かな気持ちになった。
「大蛇は、私に取っても兄貴分だよ」
澪に幼い頃の話をした時、時記は羨ましいと言われた。そんな風に自分を導いて呉れる人は、居無かったから、と。けれど今の澪には亜耶が居る。其れは迚も幸せ、と微笑まれた。
時記は澪の笑顔に弱い。はにかんだ笑顔、困った笑顔、幸せの笑顔。どれも時記の心を捉えて離さない。
最初は兄の妹が何故こんなに気になるのか、と戸惑って居た時記だったが、杜に居る内に居直った。自分は、澪が愛しいのだと。
「時記さま?」
澪の無邪気な笑顔が、時記を覗き込んでくる。約束通りに困らせられるのはいつになるか。澪は月の忌みが一度来てからだと云うが、待ち遠しい。
巫王が来るのは二月先。其れまでに、嬉しい知らせと成るかどうか。
「澪」
時記がぽんぽん頭を撫でると、澪は皆の前でと慌てて赤くなる。優しく髪を撫でて、時記は昼餉に集中した。