七十一、黄金と鱗
亜耶は澪が寝た時間を考えて、宮の昼餉は遅いだろうと判断した。なので、毛皮の襲を掛けて神殿に行く。綾に月葉の願いを伝える為だ。
「来たね、亜耶」
余り温かそうでは無い格好をした綾が、亜耶を出迎える。大龍彦は何故か、祭壇の鏡の前に亜耶と大蛇が残した鈍を置き換えていた。
「…何をしてるの?」
「僕達の、婚いの証。綿津見神様の浄めが、終わったからね」
亜耶と大蛇にも、良い賀でしょ、と綾はご満悦だ。亜耶としては、綾を傷付けた証の様で余り歓迎出来ない。しかし傷付けられた本人が賀と言っているのだから、此れで良いかとも思う。
「其れはそうと亜耶、月葉には額飾りはあげられない」
用件を話す前に、綾から断りを入れられて仕舞った。月葉も良く働いて呉れて居るのに、希望を強いた亜耶は残念になる。すると。
「月葉には、こっち」
そう言って綾が亜耶の手の中に落としたのは、鱗の耳飾り一対だった。月葉は此れから、多大な霊力を使う。その為には、護りの額飾りでは足りない、と綾は言う。
「ちゃんと黄金よね?」
「うん、月葉も疹れない」
疹れ易いから、と耳飾りを付けるのを止めている月葉に、丁度良い贈り物が出来た。亜耶が有り難う、と言おうとすると、綾に指先で留められた。
「お礼は、真耶佳と澪と一緒に、月葉が帰って来てからね」
随分先の約束をする物だ、と亜耶は思ったが、綾にも思う所は有るのだろう。分かったわ、と答えて、亜耶は微笑んだ。
女御館に戻ると、大蛇が眠り込んでいた。熊の敷物は、頭の部分が大蛇の枕に丁度良いらしい。独り寝の時は、必ず頭を枕にして居る。二人で寝る時に此れを枕にされて仕舞うと、亜耶の寝場所が無くなるのだ。独り寝の時位は、好きにさせて遣りたい。
さて、綾から貰った耳飾りを、水鏡に沈めよう、と。大蛇を避けて、亜耶は水鏡に向かう。静かに水鏡に沈められた耳飾りは、七色の光を放って水晶片の間に消えた。
水鏡の向こう側には、沈黙。矢張り、昼餉は遅いのだろう。此方でも大蛇が、昼餉を無視して寝転けて居る。今日は、鯛の身の入った白粥だ。既に知れ渡った澪の子生みを、祝っての事だろう。
七月目に入った亜耶の腹は、巫王が言った通り胃が迫り上がる様で多くが食べられない。匂いや味は平気だし、気分の悪さも無いが、少し痩せた。今度は、胸乳と腹を残して細くなったと大蛇は言う。
熊の血凝は亜耶には必需品となって居て、作り置きして置いて呉れた大蛇に感謝してもし切れない。
「大蛇、鯛の粥が冷めるわよ」
一応、亜耶は自分が食べ始める前に大蛇に声を掛ける。
「鯛…?」
「祝い膳よ」
未だ寝足りない、と云う風情で大蛇が起き上がった。鯛は大蛇を始め、神殿の面々の肉に次ぐ好物でも有る。
「亜耶、俺にも粥…」
「分かったわ」
亜耶が手際よく碗によそって渡すと、大蛇はあっという間に食べ終えた。未だ有るわよ、と言うと亜耶に碗を差し出して来る。二杯目を大蛇に渡し、亜耶は自分の昼餉を終えた。
「神殿にも供えられてるのか?」
「さあ…先程までは無かったわよ」
神殿に供えられるとすれば、尾頭付きの塩焼きだ。大蛇は羨ましくなったのか、ごくりと唾を飲み込んだ。
水鏡から返事が有ったのは、昼餉を終えて暫く経ってからだった。大蛇は二度寝を決め込んでいる、そんな時刻。
「亜耶さま」
月葉の声で、水鏡が揺れた。手には、綾の鱗の耳飾りを持って居る。
「此れは、私への…?」
「ええ、そうよ。此れから強い霊力を使うから、額飾りでは足りないと綾が言ったわ」
綺麗…と月葉は鱗に見惚れて居る。亜耶達三人が額飾りにして居るのより少し大振りの鱗は、月葉の手の内で輝いている。
「ちゃんと黄金で作って呉れたわ。月葉も疹れない、って」
「ありが…」
「月葉、お礼は杜に戻ってからで良いそうよ」
其れまでに、酷い負担を掛けるから。亜耶は、真耶佳の子生みの産屋で、力の限り子を護る月葉を闇見して居た。
「分かりました…綾様に宜しくお伝え下さい」
ええ、と答えて亜耶は、話を真耶佳の事に持って行った。今、お呼びします。そう言って、月葉は真耶佳を水鏡の前に連れて来た。