1 空想は現実に
──────バサッ
深く被っていた一枚の毛布を勢いよく押し除ける。
「ハァ・・・ハァ・・・・・・夢か」
冷や汗が頬をつたる。
五月中旬の暖かい気候にも関わらず毛布をかけていたせいか。もしくは悪夢にうなされたせいか全身汗まみれだ。
「あれからもう一年か・・・・・・」
暗闇の中、手探りで置き時計を見つける。2072年5月13日、時刻は19時を指している。
「風呂入るか。はー、洗濯もしないとだよな」
洗濯かごに山のように積まれた衣類を洗濯機投げ込み、その間にシャワーを浴びる。
──────ピンポーン
風呂場を出て身体を拭いていると玄関のインターホンが鳴る。
慌てて服を着てドアスコープを覗くと見慣れた人物が立っていた。鍵を開錠しドアノブをひねる。
「こんばんわ。あれ、律くんお風呂上がりだった?」
「まあね、こんばんわ結月。お仕事お疲れ様」
夜風になびき淡く波打つプラチナブロンドの髪。くすみ一つ見当たらない透明感のある肌。
スタイリッシュでクールな印象を与えるスーツがギャップになって目が離せない。
軽く挨拶を交わすと慣れた様子でリビングに向かった。
「暗い!まだ電球変えてなかったの?」
「いゃぁ、買いに行こうとはしたんだよ。行動に移せなかっただけで」
「はぁ、そんな事だろうと思って買ってきたよ」
少年、律が全力で感謝すると「やれやれ」と言いやがらも少しだけ嬉しそうに笑みを浮かべる結月。
安っぽい生地のソファーを少しずらし乗り上げると、受け取った新品の電球を古い物と交換する。
バチバチと音を鳴らすと数日ぶりに、律の部屋に明かりが灯る。
「律くんは夜ご飯はもう食べたの?」
「食べてないよ。さっきまで寝てたし」
「もう、また変な時間に寝てる。ちゃんと生活リズム整えてって言ったよね」
「ちょっと寝落ちしちゃっただけだよ。最近は夜更かししてないし」
「それならいいんだけど」
結月はソファーに座ることなく直接台所に向かった。
「キッチン借りるね。あと冷蔵庫の中も」
「自由に使ってよ。そこはもう僕の立ち入る領域じゃない」
律がキッチンに入るのなんて食料を漁るときだけだ。収納されている調理道具を選んだのは結月だし購入後、律はほとんど触っていない。それこそ洗い物の時くらいなものだ。
「食材買ってきといてよかった。ほとんど何も入っないし。律くんカレーかシチューどっちがいい?」
「うーん。シチューがいいかな」
「わかった。ちょっと待っててね」
完全に母と子である。律は結月に最大限甘えた生活している。ちなみにお母さんと呼ぶとなんとも言えない表情になるので滅多に言わない。
「緊急速報です。台東区浅草三丁目で魔獣災害≪モンスター・ディザスター≫が発生しました。近隣にお住まいの方や現場周辺にいらっしゃる方は、直ちに安全な場所へ避難してください」
律と結月の穏やかな日常に不快な音が響く。
垂れ流しにしていたバラエティー番組が突然切り替わると場慣れしたニュースキャスターが冷静に避難を促す。
「浅草か、まぁまぁ近いけど大丈夫だろ」
「今日は三回か。最近多いね」
日常風景に溶け込み、当たり前のように放たれる魔獣災害≪モンスター・ディザスター≫という言葉。
だが現実として魔獣災害≪モンスター・ディザスター≫は台風や地震などの自然災害と同様に扱われ、地球に住まう人類ならば誰もが知る災害。
ニュース番組へと切り替わったテレビ画面には現場上空からの中継映像が流れている。
四車線道路の中央、大気に亀裂が走るようにできた巨大な裂け目。まるでひび割れたガラス窓のよう。
絶えず避難誘導するニュースキャスターはより一層声を張り上げる。
カメラを構える映像スタッフの緊張も、画面の些細な揺れから伝わってくる。
大気に走った亀裂を鮮明に捉えるためにズームされたカメラに映るのは異形の怪物。地球上に存在する生物とはまるで異なる生命体。幽霊、UMA、地球外生命体など噂の範疇に留まるそれらと同様のはずの魔獣。異世界冒険小説に登場する妄想の産物であるはずの存在が、現実として目の前に広がっている。
と言っても、テレビ中継を眺める律らからすれば生まれた時から魔獣は存在した。妄想の産物などという考えも80歳以上の年寄りのものだ。
亀裂から姿を現したのは、列を成した複数体の魔獣。
緑がかった体色に湾曲した鼻、ギョロリと光る黄色い目が特徴的。ゴブリンと呼ばれ昔から漫画やアニメで見慣れた魔獣。
だが問題はない――
魔獣が侵攻する正面に堂々と並び立つ三人の少年少女。
カメラのズーム越しではあるがその手には剣、盾、杖などの多種の武器が握られている。
立ち塞ぐ少年らに構わず進行する魔獣が接近すると激しい戦闘が火蓋を切る。
人智を超えた目にも止まらぬ機敏な動き。切れ味の良い剣を振り下ろすと野菜でも切るように容易く両断される魔獣。
後方に立つ杖を持つ少女は、その先端から眩い光を発すると球状に集合した炎の塊を飛ばし、敵を焼き焦がす。
テレビに映る中継では詳細な戦況を把握することはできないが、たった三人の人類が異形の魔獣を圧倒している。
「楽しみにしていたクイズ番組をどうしてくれるんだ」
「でも律くん全然当てられないじゃん」
結月はニヤリと笑い、律をからかう。
「それは仕方ないだろ。僕たちは三年間もこの地を離れてたんだから」
「・・・・・・」
結月は黙々と調理の手を動かす。
「やっと帰って来れたと思ったのに。何一つ変わりやしないな・・・異世界と。まぁ知っていたことだけど」
律はぼーっとテレビを眺めながら、キッチンから漂う食欲をそそる香り期待を膨らませる。
三十分ほど経つと背の低いテーブルに熱々のシチューが置かれる。
律はシチューは米ではなくパンで食べる派なのでカリカリに焼かれた食パンと共にいただく。
手お合わせ、木製のスプーンですくうと口に運ぶ。
「お、美味しい!やっぱり結月のシチューは絶品だよ」
「ふふっ。喜んでもらえたなら嬉しい!」
疲労をすべて忘れられそうな、満開の微笑み。
一人の時はコンビニ弁当かカップラーメンしか食べない律にとって手作り料理の温かみは全身に染み渡る。
「おかわりもあるから沢山食べてね」
「うん。無限に食べれる、ほんとに」
平凡な日常にさす一筋の光。律にとって結月はそんな存在だ。
「でさ、真面目な話があるんだけど」
「ん?どうしたの改まって」
他愛ない世間話をしながら食卓を囲んでいると結月が真剣な表情に変わった。
「異世界から戻ってきてもう一年くらい経つでしょ。そろそろ将来のこと考えない?」
「・・・・・・?急なプロポーズだな」
考えたこともなかった将来の展望。結月が頻繁に家を出入りしてるが、律との間に交際関係はない。
「そういうことは段階を踏んでだな、うん」
「・・・え?」
「・・・ん?」
お互い意図が理解できず引き起こされる膠着状態。
「いや、その将来って律くんのだよ?このままお家に引きこもってちゃ生活費も尽きちゃうでしょ?」
結月はちょっぴり頬を赤らめながらも互いの間で起きた齟齬を訂正する。
「そ、そうだよなうん。確かにこのままだと生きていけないよな」
この一年間、律が全く働かずにアパートで一人暮らしできていたのは特別な給付金があったからだ。
額にして1000万円。
「ちなみに、結月が養ってくれるという選択肢は・・・?」
「え、そうだな。う〜〜〜ん」
結月は頬に指を当てると、少し考える。
「冗談だよ冗談。そこ悩むとこじゃないでしょ」
流石に堕落を極めつつある律でも、男としてのプライドを捨てたわけではない。限りなくゼロに等しいとしてもあるにはある。
「まぁ、取り敢えずバイトでも探すかな。近くのコンビニかファミレスかな」
「律くん接客できるの?」
結月は心底不安そうな表情を浮かべる。
「知ってるだろ。僕はやる時はやる男なんだ」
「あーそうだったね」
返事が棒読みなことが少々気になるが、律としてもこのまま自堕落な生活を続けるつもりはない。
実際問題、1000万円をどれだけ節約して使ったとしても数年も経てば底をつく。だが人生は何十年と続くわけでこのまま働かないわけにもいかない。
「そこで悩める律くんにいい話があります!」
顎に片手を当てわかりやすく思考中のポーズをとるとここぞとばかりに詰め寄ってきた。結月の綺麗な顔が目と鼻の先だ。
「一応聞こうか」
ここに至るまでの話の流れを誘導され術中にはまっている気がしたが一旦話を聞くことにした。
「国立東東京高等学校の魔術科に編入しない?」
「しない」
「え〜即答。なんでよ」
律は呆れたように、頭を抱えながら説明する。
「なんでってあのね、僕は高校進学どころか中学すら卒業していないんだ。そんな人間が国立の高校に編入できるわけないだろ」
「でも私も高校一年ちょっとしか通ってないけど魔術科で先生やってるよ」
「それは結月が魔術において圧倒的な才能があるからだろ。それに結月は頭もいいし」
日本では魔獣災害≪モンスター・ディザスター≫に対抗すべく魔術関連の座学、実技が行われている魔術科を推進する高校、大学が複数存在する。
その中でも国立のつく魔術科のある高校は東京に二校、京都に一校しか存在しない。
合格するのは限られたほんの一握りの才能だけ。
「魔術だけなら私よりもずっと律くんのほうがすごいじゃん」
「はぁー。たとえそうだとしても、実技はともかく筆記試験はどうにもならない」
確かに実技だけで見れば、国立魔術科の合格点に届くという自負はある律。
だが編入試験は実技と筆記のそれぞれ100点満点で、両者共に最低でも80点を取る必要がある。
「そこはほら私が校長にお願いするから!」
「堂々と裏口宣言するな」
悪い笑みを浮かべる結月。
「それに、さ。律くんはまだ16歳なんだし高校に通えるんだよ。二年生からでも遅くないから通ってみない?」
変わって結月の表情は真面目なもので、まっすぐと律を見つめる瞳には温かさもある。
「私はいつのまにか大人になっちゃってたし・・・・・・。律くんには後悔してほしくないんだ」
「まぁ、そうだね・・・・・・。考えてはみるよ、すぐに答えは出せないけど」
「うん、いい返事を期待してる」
その後はいつも通りの日常に戻った。
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