第四話 作戦会議
夕暮れが完全に沈みきり、街が深い夜の帳に包まれた頃。
夢見ヶ原市の駅前にある24時間営業のファミリーレストランは、平日にもかかわらず多くの客で賑わっていた。
テスト勉強に励む高校生、仕事帰りのサラリーマン、遅い夕食をとる家族連れ。店内には明るいポップなBGMが流れ、グラスの氷が触れ合う音や、他愛のない笑い声が満ち溢れている。
その平和で、ありふれた日常の風景の中。
フロアの奥まったボックス席に座る四人の男女だけが、周囲の空気から完全に孤立したような、異様で重苦しい沈黙を漂わせていた。
テーブルの上には、手付かずのまま冷めきったコーヒーや、氷が完全に溶けて薄まったコーラが置かれている。
天下崎、凪、結衣、そして翼。
「……で。とりあえず、俺たちはどう動くべきか、って話だったな。ますは現状把握だが……」
天下崎が、テーブルの上の紙ナプキンを指先で弄りながら、低く押し殺した声で切り出した。
周囲の客に話の内容を聞かれないよう、極限まで声を潜めている。
「あの占い師の言葉を信じるなら、俺たちは何らかの魔術の力で、この五日前の世界に戻ったと考えるのが自然でしょう。自分で言ってて、何を言ってるんだろうとは思いますが……」
翼が、自身の胸元で冷たく沈黙しているペンダントを服の上からギュッと握りしめながら答える。
「やり直す時間、とかなんとか言ってたな……」
天下崎がため息を吐く。
「私たちがやり直さなきゃいけないことって……海還りのあの儀式を今度こそ完全に食い止めるとか?」
結衣が、両手で温かい紅茶のカップを包み込むようにしながら言った。
「……だとしたら、深田の学校での計画を止めることが先決です」
凪が、テーブルに置かれた自分の両手をじっと見つめながら、静かに、しかし鋼のような硬さを持った声で宣言した。
「奴らは学校の生徒たちを犠牲にして莫大な魔力を集め、あの巨大な邪神を呼び覚ました。なら……その前に、奴らの拠点を叩き潰せばいい」
「まあ待て」
鬼気迫る表情の凪に対して、天下崎は冷静な声で対応する。
「確かに海還りの計画を止める事は確かに最優先だが、それ以外にもやるべき事はあるはずだ」
「やるべき事…?」
天下崎の言葉に凪は疑問を投げる。
「ああ、そもそも、何故俺たちはわざわざ五日前に戻された。ただ海還りの計画を止めさせる為に、あの占い師がこんな事すると思うか? 俺たちにさせたい何かが必ずあるはずだ」
「させたい事……何か心当たりはあるんですか…?」
「………あるにはあるんだが」
翼の純粋な疑問に対して、天下崎は少し言い淀む。
「二年前の虹橋デパート爆破事故。魔術と言う不思議な力、そしてこの不可思議な現象。あの事故にこれが関わっていない方が変だ。前にも言ったが、俺と翼はあの事故と関わりがある」
(それに……黄花百合の存在。翼がいる手前言えないが、正直あの少女が一部きな臭い)
「……俺らを利用しようとしているあの占い師の目的も、そこに繋がりがある可能性が高い」
「でも、結局あの事故については、ええっと、前回?は全然分からなかったじゃない。それとも、素直に聞けば教団や海還りが教えてくれると思う?」
「それが分からないから困ってんだよ。どう考えても俺たちだけじゃ不可能な域だ。前回でよく分かった」
結衣の言葉に対し、天下崎は両手で顔を覆う。
「どちらにせよ、深田はじめの計画を止めるのが最優先な事に変わりは無さそうですね」
「でも、どうやって?」
凪に対して、翼が問う。
深田はじめという男は、表向きは夢見ヶ原高校の優秀な生徒会長として振る舞い、裏では底知れぬ狂気と魔術を操る狡猾な男だ。
翼の問いに対し、凪は顔を上げ、真っ直ぐに翼の目を見つめ返した。
「……あいつらは、僕たちをイレギュラーだと呼んで警戒していました。だから、良平を利用して僕たちを学校に誘き寄せた。タイムリミットは、恐らく明後日。……なら、今回は僕たちの方から先手を打ちます。奴らが罠を張る前に、僕たちの手で深田を直接……」
凪の真っ暗な瞳の奥で、親友を惨殺された者特有の、冷たく鋭い殺意が揺らめく。
その危うい決意を、天下崎が低い咳払いで遮った。
「だから焦りすぎだ、凪。先走ってボロを出せば、またあいつらの掌の上だ」
天下崎はコーヒーカップを手に取り、一口だけ口をつけてひどく苦そうな顔をした。
「俺たちは、奴らが経験していない五日間を知っている。深田の狙いも、奴らが潜んでいる『深口貿易』というアジトの場所もな。だが、今の時点で俺たちがそれを知っている素振りを見せれば、逆に不審に思われる。確実に、奴らの計画を止めるプランが必要だ」
「確実に計画を止めるプラン……ですか」
「あぁ。……それと同時に、この時間遡行の現象の解明と、二年前のデパート事故の本当の真実も探り出さなきゃならねぇのが、辛い所だな」
天下崎の言葉に、翼は沈黙した。
二年前のデパート事故。あの時、杉浦は病室で確かに言ったのだ。
『生存者は翼さん、あんた一人だけだ』
『黄花百合は、何者なんだ?』
その言葉が、翼の脳裏に泥のようにこびりついて離れない。
二年間一緒に暮らしてきたはずの少女。彼女の学校も、身分証も、親族も、自分は何も知らないという異常な空白。
だが、今アパートに帰れば、彼女はいつものようにリビングで自分を出迎えてくれるはずだ。いや、そうであってほしいという強烈な願いが、翼の理性を必死に繋ぎ止めていた。
(……考えすぎだ。百合は、確かに俺と一緒に過ごしたんだから)
翼は頭を振り、その不吉な疑念を強引に振り払った。
「もし、海還りの計画を止めれるのなら。協力を仰ぐついでに、見返りに教団や、警察から情報は得られないでしょうか」
「……俺たちが何故奴らの知らないような情報を握っているのか、怪しまれそうではあるが……」
「交渉の余地はあると思います」
翼の意見に、天下崎は概ね賛成だったが、やはりその計画に立ち塞がる大きな問題があった。
「その為には、やはり必ず奴らの計画を止められるプランが必要だな。警察や教団が納得するようなプランが」
一同に再び沈黙が訪れる。
「……完璧、ではないですが、僕に一つ案があります」
口を開いたのは、凪だった。
「……ひとまず、今日は解散にしましょう」
翼がスマートフォンで時間を確認しながら提案する。
時刻はすでに夜の九時を回ろうとしていた。
「俺は、自宅に戻ります。家に百合が待っているはずですから」
「あの、翼さん。……今日は翼さんの家に泊めてもらえない?」
結衣が、申し訳なさそうに翼へ顔を向けた。
「さっきから何度か、お兄ちゃんにメッセージを送ってるんだけど……全然既読がつかなくて。電話も繋がらないの」
前回では、気を失った四人を、柊生は家で保護してくれていた。だが、巻き戻った今のこの世界で、柊生が何を考え、どこでどう動いているのかは全く分からない。連絡がつかないと言う事は、既に結衣たちが知っている柊生とは別の動きをしているということだ。
「……構いませんよ。前と同じで、リビングになってしまいますが」
翼が快諾すると、天下崎が立ち上がりながら言った。
「じゃあ、明日はさっきの計画通りに動くぞ。結衣と凪、俺と天海で別のルートでの行動だ」
天下崎の指示に、結衣は少し不安そうに自分の肩を抱いた。
「……本当に、私で大丈夫?」
「大丈夫です、結衣さん」
凪が、ふっと表情を和らげて結衣に微笑みかけた。
「結衣さんなら、絶対に大丈夫です。僕が保証しますよ」
四人はそれぞれの決意を胸に秘め、ファミレスの明るい照明の下から、冷たい夜の街へと散っていった。
凪は、駅から少し離れた住宅街の夜道を、一人で歩いていた。
街灯の少ない暗い道。
冬の始まりを告げるような冷たい風が、上着のパーカーの襟元から入り込み、凪の身体をぶるりと震わせる。
五日前の世界。
それはつまり、あの地獄のような惨劇が起こる前の世界だ。
凪は歩きながら、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。
画面をスクロールし、連絡先の一覧からある名前を見つける。
『志村良平』
その文字を見た瞬間、凪の視界がふわりと歪んだ。
心臓が、痛いほどに強く、早く打ち始める。
水浸しの体育館。異形の化け物へと変えられ、破裂して跡形もなく消え去った親友の姿。血溜まりの中に転がっていた、良平の母親の凄惨な遺体。
あの光景が、呪いのように凪の脳裏に焼き付いて離れない。深田への殺意は、あの凄惨な記憶があるからこそ燃え盛り続けている。
だが、今は五日前だ。
良平は、生きている。良平のお母さんも、まだ殺されてはいない。それを確かめる為にも、凪は震える指で、通話ボタンを押した。
トゥルルル、トゥルルル……と、無機質な呼び出し音が夜道に響く。
このまま出なかったらどうしようという不安が、首を絞められるように凪の息を詰まらせる。
三回目のコールが鳴り終わる頃。
『……もしもし?』
スマートフォンのスピーカーから、少し掠れた、聞き慣れた気弱そうな声が聞こえてきた。
「……っ」
その声を聞いた瞬間。
凪の目から、せき止めていた感情がすべて決壊したかのように、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
生きている。
良平は、確かにそこで生きている。
『……凪? どうしたの、急に電話なんて』
電話越しの良平は、急に黙り込んでしまった凪を不思議に思い、少し心配そうな声を出した。
「……いや、なんでもないんだ。ごめん」
凪は必死に涙声を隠し、パーカーの袖口で乱暴に目元を拭いながら、努めて明るい声を作って答えた。
「俺、明日久々に学校行くからさ。その前にちょっと、お前の声が聞きたくなっただけ」
『なんだよそれ。変なの』
良平が、電話の向こうで小さく笑う気配がした。
その何気ない、日常の他愛のないやり取りが、凪にとってはどれほど尊く、どれほど失いたくないものだったか。
『……そっか、明日か』
良平の、少し沈んだ声に対して、凪は、冷たい夜の空気を深く吸い込み、強く、力強く頷いた。
「あぁ、明日、絶対に学校で会おう」
『……うん、おやすみ、凪』
通話が切れ、画面が暗くなる。
凪はスマートフォンをポケットにしまい、暗い夜空を見上げた。
涙で濡れたその真っ暗な瞳には、もう微塵の迷いもなかった。
(絶対に、守り抜いてみせる)
今度こそ、深田はじめの狂気を叩き潰し、親友を、この日常を守り抜く。
凪の瞳の奥に、かつてないほど強く、鋭い決意の光が宿っていた。




