第二話 邂逅
2024年11月20日 17:50
夢見ヶ原市、六丁目。
ネオンの光が届かない、薄暗く冷たい風が吹き抜ける雑居ビルの屋上。
ボウッ! と。
何もない虚空から突如として熱を伴った『炎の渦』が巻き起こり、そこから一人の男が静かに姿を現した。
深くフードを被った、黄色いレインコートを着た男だった。その腕には、朱色の宝石のような石が装飾された腕時計が巻かれている。
「……海還りの目撃情報があったのは、この路地ですか」
男が眼下の暗い路地裏を見下ろしながら、低く静かな声で問う。
「ええ。連日地下水道から這い出してくるという報告を受けています」
屋上のフェンス際に立っていたもう一つの影――同じく黄色いレインコートを身に纏った女が、ひどく丁寧な口調で応じた。
「教団からビヤーキーを数体拝借しました」
「……珍しいですね。あなたが直接、ですか?」
「上手くいけば、そのまま奴らのアジトの場所まで割り出せるでしょう」
女はそう言うと、レインコートのポケットから、ボタンほどの大きさしかない『小型のGPS発信機』を取り出し、手のひらの上で転がしてみせた。
「あなたは万が一の為に、ここで待機していてください。……ないでしょうが、私の身に何かあれば、すぐに炎を使いなさい」
「……分かりました。ですが、無茶はしないでくださいよ」
「ふふ、相変わらずですね。ご心配なく」
まさにその時だった。
――ギギギギギギギギギギギッ。
眼下の路地裏から、重い鉄がアスファルトを擦るような不快な音が響き渡った。
下水道のマンホールが、内側からゆっくりと持ち上げられたのだ。
「……来ましたね」
女が屋上から冷たい視線を落とす。
ズチャッ、ズチャッ、と。
マンホールの穴から、濡れた粘液を引きずるような嫌な足音を立てて、三つの不気味な影が路地裏へと這い出してきた。
全身を分厚い『黒ローブ』で覆い隠した、異様な三人組だった。
「コノ横ノ廃ビルニ、教団ノ一部ガ潜ンデイルトイウ情報ダ」
「今回ハ、ソノ偵察ダ。深追イハ禁物ダゾ」
「分カッテイル。偉大ナル『ディープワン』様ハ、今、大事ナ実験中ダ。下手ナ騒ギハ起コスマナ」
黒ローブの男たちは、人間の発声器官を無理やり使っているような、ひどく濁った、不気味な声で言葉を交わし合う。
彼らが廃ビルの方へと歩みを進めようとした、その瞬間だった。
――ゴオオオオオオオッ!!
黒ローブたちの目の前の空間に、再び凄まじい『炎の渦』が巻き起こった。
「ナッ!?」
炎の渦がスッと消え去ると、そこには屋上から降り立った『黄色いレインコートの女』が、静かに立ち塞がっていた。
「……教団ノ信徒カ。タッタ一人デ来タノカ?」
黒ローブの一人が、フードの奥で不気味な殺気を放ちながら女へとじりじりと迫る。
「ええ。本日は、一つ提案をしに参りました」
女は黒ローブたちの異様な気迫を前にしても一歩も引かず、極めて丁寧な、しかし氷のように冷たい口調で語りかけた。
「ここで引き下がっていただけるのなら、お前たちに危害は加えません。我々も、今日中にはこのビルを離れる予定です」
「……提案ダト?」
「はい。無駄な荒事を起こして、警察に情報を渡すのは、お互いにとって旨みがないでしょう?」
理路整然とした女の交渉。
しかし、黒ローブの三人は顔を見合わせると、フードの奥でゲラゲラと、人間離れした不気味な笑い声を上げた。
「ククク……何カト思エバ、馬鹿ナ小娘ダ」
「交渉ナド不要ダ。安心シロ。オ前ノ死体ヤ痕跡ハ、一切残サナイ。一瞬デ終ワル。偵察デ終ワルト思ッテイタガ、良イ報告ガデキソウダ」
女は小さくため息をつき、静かに首を横に振った。
「はぁ……一応試してはみましたが、やはり、化け物に理屈が通じる訳がありませんよね」
女は手に握っていた小型のGPSを、ギリッと強く握り込んだ。
――パリンッ!
それは、交渉決裂の合図、そして、双方のどちらかがこの場で散ることになるという分岐点だった。
その時。
「いきましょう!」
路地裏の角から、突如として切羽詰まったような大声が響き渡った。
バタバタと激しい足音を立てて、路地の角から四人の男女が勢いよく走り込んできたのだ。
くたびれたトレンチコートを着た大柄な男。
黒いパーカーを羽織った男子高校生。
息を切らして走る女子大生。
そして、少し丈の長いコートを着た男性。
彼ら四人は、路地裏の角を曲がった直後。
自分たちの目の前で対峙している、異様な『黄色いレインコートの女』と『黒ローブの三人組』の姿を視界に捉え、ピタリと足を止めた。
「……まさかな」
「夢じゃ、ないようですね」
天下崎が目を丸くし、天海が驚きの表情を見せる。
突然の部外者たちの乱入に、黒ローブの化け物たちも、そして黄色いレインコートの女も、予想外の事態に一瞬だけ動きを止めた。
薄暗い六丁目の路地裏。
それぞれの運命の歯車が、この瞬間、決定的に交わり、回り始めていた。




