第36話:愛情
騎士団との遠征から、遡ること数日。
SNSの喧騒が遠のいたピースキャッスル市のキャバクラ待機室。サブリナこと、千代田美香子は鏡の中の自分を見つめ、小さく毒づいた。
「……なにやってんのよ。あんな……守られるだけじゃ……立ち上がれないわよ……バカ……」
彼女の脳裏には、今はなき実家の工房の匂いが蘇っていた。
かつて、西三河で名を馳せた靴職人だった彼女の両親。表向きはおじさん(支配者)による地域再開発に伴う「円満な引退」とされていた。だが真実は、美香子の父親の指が、長年の酷使によってすでに針を握れぬほどに破壊されていたからだった。救済ともいえるが、双方が納得した上での、静かな幕引き。
両親はおじさんからの莫大な補償金により、何不自由ないセレブ生活を送る権利を得た。しかし、職人の魂は安息を拒んだ。一念発起した両親は、奥三河の山奥に古民家をリノベした手打ち蕎麦屋・千代田松亭を開店させたのだ。
水は湧き水、蕎麦粉は希少な在来種、つゆの出汁から器の焼きに至るまで、全てに職人特有の「こだわり」という名の呪いを注ぎ込んだ。その結果――素人が手を出した一級品への執着は、瞬く間に補償金を食いつぶし、膨大な借金だけを山に積み上げた。両親は今、おじさんの紹介で金属プレス工場で働いている。だが、大きすぎるその負債。
美香子が夜の街で「サブリナ」として生きるようになったのは、その負債を肩代わりするためだった。
「…私は、守られるだけなんて御免よ。絶対に、自力で立ち上がってみせる…!」
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だが、この地域の「見えざる支配者」は、全てを把握していた。
パパは、息子の幼馴染である「美香子ちゃん」が、夜の歓楽街に沈みながらも、いつかイタリアで本物の靴作りを学ぶという夢を捨てていないことを知っていた。なぜなら、パパ自身が彼女の勤務する店の「上客」だったからだ…!!
ピースキャッスル市の夜景を背負い、[Club MIKA_WA's Jewel]の最奥、VIPルーム上座のソファーに鎮座するパパ。支配者より放たれる圧倒的なオーラは、三河地方の全工場を停止させるほどの圧があった。
対するは、アフラ・タイタンを愛機とする無骨な職人、徳松 一。白魚の様な美しい手で雑巾の様に絞り上げられ、白い軍手は静かな悲鳴をあげている。そこに、パパの鋭い視線が彼を射抜く―
「いつも息子が世話になっていると聞く。助かるよ。最近では随分とヤンチャでね…。ところで……この店で君のお相手をしている女性にかなりの靴を貢いでいるようだが。事実かね、徳松君」
「ボウズに世話になってるんはこっちの方もなんで、まぁそれはお互い様っちゅう事で。で、…靴?……あぁ。娘にもバレて散々な目に会いましたわ(笑)」
「店のキャストに聞いたが……キミは靴が好きなのかね?随分と執着しているようだが ……その高度な技術により編み込まれた結晶。確かに職人としてエンパシーを感じるのかもしれないが、君のその気持ちは、もっと熱いモノの様に思えるが?……まあ、それは今は良いか……」
「……一体、何の話なんだ?」
「……ところで私が今履いているこの靴。どう思うかね」
「なッ!?…こっ…こいつは…!!」
パパは足元を覆い隠していたシルクのスカーフによる深緑のベールを、侍女に視線で指示しゆっくりと引き剥がさせる。とくさんはソファーから転がり落ちるかの如くズリ落ち、床に膝をついた。
「あの惜しまれつつも閉店し数多の伝説を残したカルツォライオ・チョダの靴じゃねぇか!!まさかこの目で拝める日が来る…」
「徳松君。キミさえ良ければだが……これを、舐めてみるかね?…フフッ……出来まい。職人の誇り。タイタンの誇り。いくら靴が好きと言えど、ここは昇龍の統べる地。魂を売ってでも愛でることができるのかね?」
パパは被せ気味で問う。伝説の職人[カルツォライオ・チョダ]の編み込み。それは、三河が誇る生産工場の放つ光を吸い込んで鈍く光る、漆黒のブラックダイアモンド。ピースキャッスルの夜、Club MIKA_WA's JewelのVIPルームは一瞬にして宗教的儀式の場へと変貌していた――




