第17話:床屋
免許証を手に入れ、ビギーを原付へと新生させた喜びも束の間。僕のスマートフォンの画面には、執拗なまでの煉獄の炎が叩きつけられていた。
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MIKA@修行中:
何その髪型www 鳥の巣ですかwww 鳥飼うの? あっ、自分が「籠の鳥」だから、巣作りしてんの? 爆笑なんだけどwww
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『な、何ィッ! 籠の鳥だとッ! 貴様ッ……! この髪は、俺がパパの用意した“偽りの美”を拒絶し、自らの力で伸ばし続けた[自由の象徴]だと言いたいところだが……! 認めよう、今の俺は、鏡を見るたびに三河の湿気を含んだモップのようだと絶望しているッ!!』
隣に控えるClockが、無慈悲にARメガネをスチャッと直した。
「合理的判断を下します、坊ちゃま。その鳥の巣を放置したままでは、これより出会うであろうアルバイトの面接官という名のゲートキーパーに、1秒で門前払いされてしまいます。……不潔感は、三河の労働市場において最大のデバフでございます」
「……、……さ、散髪……だ。……美容院、行くしか……ないのか……」
僕の脳裏には、美容院という名のダンジョンが浮かんでいた。鏡の前で晒される己の醜態。背後から放たれる
「今日はお休みですか?」
「お仕事は何を?」
という、コミュ障にとっては死に至る猛毒を含んだ会話のスーパーラッシュコンボ。
「……無理だ。……死んでしまう。……シャンプーの時に顔に布をかけられて、そのまま窒息死する自信があるっ ……」
「マスター、名案だよ! 床屋っていう選択肢があるよ!ブォォォン!」
ビギーがマフラーの苔玉を震わせながら、珍しくまともな提案を繰り出した。
「そこには会話を必要としない、職人とハサミの沈黙の世界があるはずだよ! 昭和の男たちの聖域さ! ブォォォン!」
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Clockがナビゲートしたのは、地元大手の格安理容店、『久兵衛家』。
看板には「江戸時代の髪結床店主、久兵衛の志を継ぐ」という、オーナーの捏造した胡散臭い歴史が刻まれている。
いわゆる10分カットのチェーン店だ。そこでは、一人の男がハサミを研いでいた。
鳥屋多郁夫(64)。
かつては、派手なカツラと衣装を纏い、「どんくらい~?」という決め台詞で一世を風靡した伝説のヘアメイクアップアーティスト。だが、SNSのサブアカウントと間違えて本垢でライバルを中傷するという痛恨のミスを犯し、表舞台から抹殺された男。
今の彼は、カツラを脱ぎ捨て、ありのままの「どこにでもいる白髪混じりのオッサン」として、このチェーン店に潜伏していた。
「…はぁ…どんくらい?…。今日一日、あと何人切れば終わるのかしらねぇ……」
かつての輝きは消え、客の注文通りに、ただ速さだけを求めてバリカンを動かす機械のような日々。会話はない。客もそれを望んでいない。
店名に似つかわしくない軽快なドアチャイムが鳴り、来店を告げる。メロディーチャイム、『大盛況』。郁夫にとって、それは魂を削る音色であった。
「……あ、あの……予約……あ、予約、いらないんだっけ……えっと……」
※消え入るような声
開店直後の、最も客が少ない時間帯。
入り口に現れたのは、ボサボサの髪で顔を隠し、背後に最新鋭の執事ロボットと、二本足で立つ奇妙な原付を従えた、震える少年だった。
『なぁに?これ…今時の子ってメカ執事連れてるのぉ…?』
「いらっしゃい……こっちの席へどうぞ。今日はどんくらい、切るのかしら?」
郁夫は、鏡越しに僕を一瞥した。
『出たッ! ラスボスッ! 「どんくらい切るか」だとッ!? コミュ障に加減がわかるわけねぇだろッ! ……いや、落ち着け。これはただの挨拶だ。……よし、注文だッ! Clock、例のヤツを頼むッ!』
「マスター、ボクに任せてよ! 最高のスタイルを提案するよ!ブォォォン!」
『なッ!ビギー!?珍しくまともな提案をしてきたと思ったら、コレかッ!!』
店外に待機していたビギーが、店内の壁に向かって高輝度のプロジェクターを放射した。
「……!? な、なによ、あれ……」
郁夫の手が止まった。
壁に投影されたのは、ビギーのAIがハルシネーション(幻覚)を全開にして生成した[マスター、理想の髪型]。
それは、重力を無視して幾何学的に結晶化した毛束が、後頭部から放射状に広がり、毛先がプラズマのように発光している――既存の物理法則と人体構造を完全に無視した異形のスタイルであった!!
『何ィッ! ビギーッ! 貴様、俺の頭部を外科手術ありでどうにかするつもりかッ! それはもう散髪じゃなくて、改造手術!サイボーグの領域だろうがッ!!』
「……こっ…これは…!!」
郁夫の瞳に、かつて失われたはずの「美への狂気」が、火花を散らして再燃した。
「……アタシがいない間に、ヘアメイク界はここまで進化していたの……?……この『カオス』。……この『不条理』。……どんくらい、私の魂を揺さぶる気なのよ、あんたッ ……!」
郁夫は、震える手で愛用のハサミを握り直した。
チェーン店の安いハサミが、伝説のアーティストの指先に触れた瞬間、聖剣のような輝きを放ち始める!!
「……分かったわ。……やってやろうじゃないの。……あんたのその『鳥の巣』を、三河の……いや、世界の『頂点』に変えてあげるわ」
「……え、あ……ふつうで、いいんです……けど……」
僕の消え入りそうな声は、郁夫が霧吹きでシュッ、と吹きかけた水の音にかき消された――




