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砂の鯨は天(そら)に啼く  作者: 銀子


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第43話 家族じゃなくて、




 部屋の隅に置かれていたソファに、ナナシがイツヒを横たえさせる。『砂生みの鯨』が海と呼んでいるものの正体、そして『砂生みの鯨』と『刃持ち』の因果を、説明を放棄したイサナに代わってヨミが説明した。


 ミツカはショックを受けたように俯き、イツヒの傍でそれを聞いていたナナシも、その顔をしかめて黙り込んだ。


「これはやはり、特定しておいた方がいいのだろうね、海とやらを」


 一通りヨミに説明をさせたイサナが、ようやく口を開いた。


「また体を借りると言ったということは、例の音を鳴らして『遣い』を差し向けてくるということはひとまずないだろうが、なんらかの手段でもってうっかり奪われてしまっては困る」


「困るだなんて、キミがそんな言葉を使うとは珍しいね」


 そう言ったヨミを、イサナが振り返る。


「当然だろう。目的の海を手に入れただけであれが元いた場所に帰れるようになったとして、そうなった場合、この場所が無事に済むとは思えないのでね。私は今のこの場所が特段大事だとは思わないが、自分以外の者の手でそれが壊されるのは我慢ならない」


「……そっちかい」


 呆れるようにヨミが言うと、考え込むように俯いていたムツキが顔を上げた。


「では、海と呼称される者をここに連れてくるとしよう。もちろん、保護を目的としてだ」


 イサナの顔が不機嫌さを帯びる。


「この忙しい時に、よもや隊長が本部を離れるとは言わんだろうね。次席で構わんだろう」


 迷惑そうに言ったイサナを、ココノエが困惑したように振り返る。


「その呼び方はやめてください、イサナさん。それに僕は、因子の強い者なんてわかりませんよ」


「あれに気配が残っているとまで言わしめたのだ。濃厚な接触があった者と見て間違いないだろう。心当たりはないのかね。この新顔が、この本部以外の者で接触した人間だよ」


 すると僅かに俯いたココノエが、イチを振り返った。あまり見ないような真剣な顔で、ことさらゆっくりと言う。


「イチくん、僕は、覚えがありません。君は、わかりますか?」


 答えは慎重に選ぶように、そう言われている気がした。ココノエは、トトハだと思ったのだろう。だがそう答えたが最後、トトハをここに連れてくることになる。本当にそれでいいのかと、ココノエは言っているのだ。


 保護を目的と言った、ムツキの言葉は信じるつもりだ。だがもし状況が変わったら。もしトトハを差し出すことになったら。そしてイチがトトハを護り切れなかったら――。


 だがイチは、すぐに内心で強く首を振った。トトハは護る。そう決めた。それに、仮にトトハが海と呼ばれるような存在だった場合、誰も護れる者が傍にいない、今の状況の方が危険なはずだ。


「わかる……と思う」


 まだそうと決まったわけではない。そんな思いが言葉を濁させたが、イサナにとってそれは既に決定事項のようだった。


「なら早く連れてきたまえ。ああ、その前に、その弓遣いを移動させねばな。あれと鉢合わせてしまうようなことがあれば、目も当てられん。個室を空けよう。誰か、弓遣いを連れてきてくれたまえ」


 そう言うと、誰の返事も待たず、部屋を出ていく。重い表情をしたナナシが無言のままイツヒを抱き上げ、不安そうな表情のミツカと共に、イサナに続いて部屋を出ていった。




 仕事を別の者に引き継ぎ、イチはココノエと共にトトハのアパートへ向かった。避難指示は昨日のうちに解除されており、トトハもアパートに戻っているはずだった。階段を上り、トトハの部屋のドアをノックする。


「トトハ、いるか? 俺だ、イチだ」


 そう声をかけると、バタバタと足音がしたと思った途端、ドアが開け放たれ、飛び出してきたトトハがイチに抱き着いてきた。勢いに少々よろめいたイチに、トトハが涙声で言う。


「無事でよかった……」


 昨日の夜は、また泣いて過ごしたのだろうか。それを思うと、無意識にその体を抱き返していた。しがみつくように抱き着いてくるトトハを、イチも強く抱き締める。


「あのー……」


 しばらくそうしていると、隣から聞こえてきた声に、ハッとする。


「ちょっと、いいですかね?」


 ニコニコしながらそう言ったココノエに、トトハが驚いたように離れる。ココノエの存在に気付いていなかったのか、その顔が見る間に赤くなった。


「あっ……あのっ、……うちっ……」


「初めまして。チトセ所属のココノエと申します。イチくんとは同じ班で『遣い』の討伐をさせてもらっています」


 丁寧に自己紹介をするココノエに、トトハも向き直り、背筋を伸ばす。


「えっと、初めまして。うち、トトハって言います。イチとは、家族……じゃなくて、えっと……」


 トトハが顔を赤くしたまま、イチをちらりと見てくる。


「いや、えっと……トトハとは…………」


 あの夜のことを思い出し、顔が熱くなった。その先が言えずにいると、ココノエが妙に温かい笑みで見つめてきた。


「はい、わかりました」


 なにがどうわかったのかはわからないが、聞いてその答えを聞くのも恥ずかしい。流れを変えようと、イチは無理やり話を変えた。


「それで……ここに来た理由なんだけどな」


 だがそれについては、本当のことを話すと怖がらせてしまうだろうから、ひとまずそのことは話さずにおこうという話になっていた。具体的にどうするかはココノエに案があるということだったので、目を向けて促す。するとココノエが、いつもの穏やかな笑みをトトハに向けて言った。


「イチくんがですね、あなたのことをそれはそれは心配していて、もうこれは、ずっと傍にいた方がいいでしょうとなりまして」


「……ココノエ?」


「それで、うちには家族用の隊舎というものもありまして、本来なら籍を入れた者しか入れないんですけど、トトハさんにはそちらに来ていただこうかと。あぁもちろん、籍を入れていただいても結構ですよ。ただ今は色々と忙しいので、正式な手続きはしばらくあとになるかと思いますが」


 流れるように話すココノエに、イチは突っ込みたいのを思いとどまった。これはいわゆる方便というやつなのだろう。だがそれにしても、もうちょっと他になかったのか。


 当のトトハはまたも顔を赤くし、足元に落とした視線を、せわしなく彷徨わせていた。


「え……えっと……」


 その目をゆっくりとイチに向け、上目遣いに見上げる。


「イチの迷惑にならんのなら、うちはええけど……」


 それはココノエのどの言葉に対する答えなのか、気にはなったが、今ここで問い質すことはしづらかった。だがどちらにしろ、答えは変わらない。


「迷惑なんかじゃない」


 するとトトハは顔を赤くしながらも、嬉しそうに微笑んだ。


「ならうち、イチんとこ行く」




 アパートの世話人には、ココノエから説明がなされた。さすがにイチがトトハを心配し過ぎて、というものではなく、事情があって、というものだったが。


 そして軽く手荷物をまとめたトトハは、本部に行く前に、ハノンのところに行きたいと言った。なにも言わないままいなくなると、心配させるからだ。


 ハノンのアパートは、本部にいくらか近い場所にあった。ノックをしてトトハが声をかけると、ハノンは嬉しそうな声と共にドアを開けたが、その後ろにいるイチとココノエに気付くと、その全身が一気に警戒に染まった。


「……なにか用」


「えっと、あのね、ハノンちゃん……」


 トトハが慌てて、先ほどココノエがした説明をハノンに対して行った。トトハが心配だったのは事実だったものの、放っておいた挙句に殴られた手前、どの面下げてとハノンが思っているのは、今にも殴りかかってきそうな気配から、手に取るようにわかった。


 籍を入れても――の辺りをトトハが省略したのは、恥ずかしかったからなのかはわからないが、一通り聞き終えたハノンは、しばらく険しい顔をしたあと、大きく息をついて言った。


「……わかった。その方が、トトハの心配も減るでしょうしね。でも……」


 殺意すら孕んでいそうな睨みがイチに突き刺さる。


「あんた、トトハと同じ部屋で寝起きするってこと?」


 そう聞かれたが、そもそもが聞いていなかった話なので、思わずココノエに目を向ける。すると穏やかな笑みを浮かべたココノエが代わりに答えた。


「今回は特例措置なので、別々の部屋ですよ」


 さすがに空気を読んでくれたらしく、イチはそっと胸を撫でおろす。


「そう。ならいいわ」


 そう言うと、ハノンはふっと表情を緩め、手を伸ばしてトトハを抱き締めた。


「ふえっ? ハノンちゃん?」


 驚くトトハに、ハノンは優しく言い含めるように言う。


「あたしがいなくても、ちゃんとご飯食べるのよ」


「うん」


「無茶はしちゃだめよ」


「うん」


「今まで心配させた分、この男にはめいっぱい我が儘言いまくるのよ」


「ふふっ……。うん」


 そうやってしばらく抱き締めたあと、ハノンはトトハを離した。ほんの少しだけ、隠しきれない寂しさを混ぜながら、それでも笑顔で。


「こいつに愛想が尽きたら、いつでもあたしのところに来ていいんだからね」


「ありがとう、ハノンちゃん」


 トトハを見送るハノンが、ドアが閉まる瞬間、手を振るトトハにその手を振り返す。手袋をしていない右手が、一瞬だけ見えた。





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