喜び
ここは人の感情を預かる場所、感情預かり所。
奥まった通りにあって、ここを知ってる人は少ない。それでもやっぱり、今日も利用者が来る。
カウンターの前の椅子に座って、ぼーっと人を待ってた。抱えた感情を僕に教えてくれた人たちを。預けたままの人たちを。
手を閉じて開いて、髪をくるくる回して、机をなぞって、待ってた。
この場所に立札、看板なんて立ててない。だからたまたまここの通りを通った人は、僕をチラと見て変な顔して通っていく。
それでもどこからかここの情報を知った人は、僕の前で足を止める。
「あのー」
靴音が消えて、前が影になって、僕は顔を上げる。知らない人。
二十代くらいの人。髪を下ろして、ストリートな服を着てる。様子と服装があんまり合わない。
「ここって……喜びの感情を預けてくれる場所ですか?」
利用者か。
この人はきっと『優しい人』だ。
僕は柔らかく口を曲げて、
「そうですね。ご利用されますか?」
「はい。お願いします」
「ではどうぞ、お座りください。足元にご注意してくださいね」
カウンターの下にある取っ手を掴んで、奥に押す。やっぱり利用者がいないときは邪魔だったから、こうやって動かずとも出し引きできるようにしてよかった。
椅子に座ったのを確認したら、くるっと椅子を回して紙とボールペンを掴み上げてくる。
紙をクリップボードに挟んだら、ボールペンを持つ。
「では、確認していきたいことがありますので、一緒にご確認お願いします。
ここに来られたのは、感情を預けるためで間違いないですか?」
「はい」
「……一応、感情をお返しすることもできるのですが、お返ししてもすぐに感情は戻ってきません。一ヶ月ほどかけてゆっくりと戻ってきます。
本当に感情をお預かりしても構いませんか?」
「はい」
紙の「ご利用者同意」の欄にチェックをつける。
「それでは、今回はどのような感情を預かりましょうか?」
「『喜び』です」
珍しい。『喜び』を預けにくるなんて。
でもここに来た時にそう言ってたかな。
紙の「お預かり感情」の欄に「喜び」と書く。
「一回のご利用につき一感情までなので、他の感情を預けたいのであれば、続けて手続きするので言ってくださいね。
えーっと、今回『喜び』を預けに来たと思うのですが、どのような理由ですか?」
カウンターの隅に置いてるメモ用紙を一枚ちぎってクリップボードに挟む。
「理由……」
「難しければ預けたいと思ったきっかけなど言ってもらえたら」
「きっかけ……。
そうですね。私、スポーツが得意なんです。得意で、動くことも好きだから、試合とかにも出たりしてたんです。……それで、勝つんです。なにをしても。初めのうちは嬉しかった。喜びました。でも、私の相手になった人、つまり負けた人を見たらみんな悲しそうにして、泣いてる人だっていました。
それを見て、私が喜ぶことで人を傷つけるんだなって、思って……。
試合に出ることをやめたらいいって思うじゃないですか。でもそれをしたら、私にはなにもなくなる。だからやめずに人を傷つけない方法。勝って喜んでしまう感情を、その感情をなくさせれば少しでも人を傷つけない……って思って、ここに来ました」
メモ用紙に書いたメモを見る。
『・スポーツが得意で好き→勝ってしまう』
『・負けて悲しんでる人を見て傷つけている』
『⇒喜びの感情を預けたい』
なるほど……。
「では理由としては、『人を傷つけないようにするため』でいいですか?」
「……はい」
理由の欄に書く。不器用な人だ。
もう一度くるっと椅子を回してもう一つの紙を掴んでくる。これは利用者が書く紙。
それを利用者の前にボールペンと一緒に出す。
「ここの預かり所は、僕が書いた内容と、あなたが書いた内容が一致しないと、預かれないんですよね。ある程度合ってたら預かれるので、さっきの問答をもとに『今のあなたの気持ちのまま』書いてください。書き終わったら用紙中央にある『本人確認同意欄』に、こちらのインクであなたの指紋を押してください」
机の隅にあったスタンプ台を近づけてパカッと開ける。
利用者は一度僕を見てからボールペンを手に取って書き始めた。
その間に僕は最後の作業に入る。利用者の容姿を絵にして描かないといけないんだ。
クリップボードに挟まってるメモ用紙を引き出しの中のファイルに入れて、鉛筆に持ち替えて下書きを書いていく。
この利用者の容姿を描かないといけないってシステム、どうにかならないかなぁ。名前を聞かない代わりではあるんだけど。利用者のプライバシーはきちんと守らないといけないから。
昔に絵を描いて売ってたのもあって、絵を描くこと自体はべつに苦じゃない。ただ、ちょっと時間がかかるから少し面倒。でも、やっぱり楽しい。
利用者がスタンプ台に親指を押し当てて、『本人確認同意欄』の四角に押すのが見えて顔を上げた。ちょうど僕のほうも終わったんだ。
記入漏れがないか確認して、そのあと僕が書いた内容と照らし合わせる。
「うん、内容も一致してるかな。これでお預かりしますね。
あ、そうそう。感情を返すときにゆっくり戻るのと一緒で、感情を完全に預けきるには少しだけ時間がいります。戻るときよりは早いんですけどね。だいたい、寝て起きたら、その感情があったことも忘れてると思いますよ」
「そうですか」
「それではこのあとこちらで『感情処理』をしますね。それと、感情を戻したくなったときはいつでも来てくださいね。僕はいつでもここで待ってますから」
利用者は不思議そうに「はあ」と言ったあと立ち上がった。
僕はニコリと口を緩めて、
「ご利用ありがとうございました」




