三十五、ありがとう
無言で握り飯をかじり、咀嚼する少年。
そのすぐ目の前に立った深月は、小さく深呼吸をすると、意を決したように少年の隣に腰をおろし、正座する。
すると、環が食事の手を止めてじろりと鋭く睨みつけてくる。
「……君さぁ、物凄い面倒臭い事に僕を巻き込んでるって、自覚してる?」
居た堪れない気持ちになりながら、深月は肩を竦ませて頷きを返す。
視線をやれば、立ち去っていく先輩の背中が視界に映る。この状況、そして誘いと告白を断った事、その所為で自分と環の関係を誤解されたかもしれない……面倒な事になりそうだとは、確かに思う。
しかし立ち去る事はせず、持っていた弁道箱の袋を開き、箸を手に取った。
「……それは、ごめんなさい。でも、御堂君を利用するつもりじゃなかったの。たまたまあの人があそこにいて、そういう風に見えちゃってるだけで……」
「……わかってるなら、もうちょっと気を遣ってほしいんだけど」
「そう言われても、あなたに気を遣われた事なんてないし……あ」
ぶつくさと不満をこぼす環に、箸で白米を摘もうとした深月がぽろっと本音をこぼし、はっと固まる。
余計な事を言った、と深月が恐る恐る隣に視線をやると、環は目を丸くして深月を見つめ、握り飯を手にして口を開けたまま固まっていた。
「あ、その、えっと……」
「……まぁ、その通りかな」
激昂されるかと身構えたが、意外にも環は深月の呟きを素直に受け入れ、そのまま食事を再開する。
深月は環の横顔を凝視し、微かに安堵の息を吐く。
最初にこの場で言葉を交わした時……いや、会話にすらなっていなかったのに。彼の方で心境の変化でもあったのだろうか。
理由は不明だが、ともかく会話の糸口を見つけた気がして、深月は弁当箱を突きつつ話題を探した。
「……縁って、切ったらもう繋がらないんだよね? ぬらりひょんのおじいさんに聞いたんだけど」
「……それ聞いてどうするの」
「単に、興味本位で。面倒臭かったら、何も言わなくていいし……私も単に、ここでお昼食べてるだけだし」
案の定返ってきた冷たい言葉。
ある程度予想していた深月は、然して悲しむ様子も見せず、もぐもぐと咀嚼しつつそれ以降は黙る。
沈黙の時間が訪れると、やがて環の方から小さくため息の声が聞こえてきた。
「……縁なんて、僕が何もしなくても勝手に繋がるし勝手に切れる。擦れ違っただけで繋がる縁もあるし……数日離れてただけで切れる縁もある」
「袖振り合うも他生の縁、っていうの?」
「まぁね。逆に、何しても切れない厄介な縁もあるよ……僕の縁がそうだった。だから、神様達は切ってくれた」
唐突に始まった、少年の話。深月はおかずを頬張りつつ、視線と耳を環に傾ける。
急に話し出すとは、やはりどういう心境の変化だろうか。
そう考えた後、深月は思い出す。
前回話しかけた時は……自分は助けを求めていた。人外の力を見せた彼に救ってほしいと、縋ろうとしていた。彼の素性も知らぬまま、頼ろうとしていただけだ。
だから……拒絶されたのだ。ただ質問をしただけの今の時間を経て、ようやく気付いた。
「……じゃあ、おじいさんが言ってた、もう二度と繋がらないっていうのは?」
「僕が切った場合。僕の力は神様がくれたものだから、大体同じ事ができる。毒親の縁とか、前世の業とか、そういうのも切れる。それ以降は僕が何もしない限り、切れたまま」
ほぉ、と思わず感嘆の声が漏れる。そして、同情する。
片鱗しか、彼の生い立ちは聞いていないが……逆にそこまでしなければ切れないほど厄介な縁だったのだろうか。
切ない気分になりながら……ふと、深月はある矛盾に気づいた。
「じゃあ、その、今、私とこうして関わってるのは……まだ、縁を切らないでいてくれてるから……?」
「もうとっくに切ってるよ」
「……え!?」
仄かな希望、妖達に託された願いに繋がる期待を抱いた深月だったが……にべもなく答えた環にぎょっと慄く。始まる事もなく、既に終わった仲だというのか。
「……だ、だったら、今、話せてるのは……?」
「実に面倒臭い事に、君はもう僕の家族と縁が繋がっちゃってるからね。間接的に僕と縁ができてるんだよ。友達の友達は友達とか、敵の敵は味方とか、そういうの」
「……じゃあもしかして、御堂君が縁を切っても切らなくても、変わらないって事?」
「どうだろう。他人を間に挟んだ縁だし、本来の繋がりよりよっぽど希薄だよ。僕が切るまでもなく勝手に消えるだろうね」
一応、親友を一人確保していた深月は、なんとなく理解する。
よく様子を見にきてくれた樹希にも、自分の友人がいて交流があった。それと関わる事はついぞなかったが、確かに知り合ったとしてもまず関わる事はなかっただろうという気がする。
そこまで考えて、深月は恐る恐る環の顔を覗き込んだ。今のこの邂逅は、そんな儚い繋がりで保たれているというのだから。
「……じゃあ、私と、妖の皆さんとの縁を切ったら……」
「他人同士で繋がってる縁は、切らない。僕の理念に反するから」
内心で怯える深月の前で、少年は平然と告げる。
きょとんと呆ける深月をよそに、残り一つとなった握り飯を掴み、頬張りつつ語って聞かせる。
「自分と繋がった縁はいくらでも切る。だけど……他人同士で繋がってる縁は切らない。そういうのを予め決めてる」
「……それは、どうして」
「僕はまだ、人間だからね。他人の関係とか運命とか、そういうのに勝手に干渉したくないんだよ。そういうのは、神様とか悪魔とかのやる事だから」
最後の一口を飲み込み、腹をさする環。
よくはわからないが、彼なりの矜持というか、信念があるようだ。とっくに人間離れした力と暮らしを有している気がするが、譲れない何かがあるらしい。
ひとまず安堵した深月は、自分の分の弁当に視線を戻し、次いで躊躇いがちに口を開く。
「……あの、御堂君。だったら、このままここで、一緒にお昼ご飯食べるの、続けてもいいって事で……いいかな」
「好きにすれば? どうでもいいし」
「……話しかけるのも、いい?」
「別にいいよ。面倒な内容じゃなければ」
「……色々聞かせてもらっても、いい?」
「君、結構図々しいね。……まぁ、好きにすれば?」
頬を赤く染め、俯き口元をにまにまと歪ませる深月。
胸の奥底から暖かい何かが溢れ出し、心臓の鼓動が徐々に早く、大きくなる。
相も変わらず、優しくない少年。だが、敵視はしない、無視もしない、攻撃もしてこない。
それだけで十分、存在するだけで心が安らぐ。喜びが溢れる、そんな相手に思えていた。
「……ありがとう、御堂君」
縋り付きそうになるのを必死に堪え、腰をあげて歩き出した環にぺこりと頭を下げる。
その瞬間、環は足を止め、やがて複雑な感情を示す表情で深月に振り向き、唸るような溜息を吐いた。
「だから、助けないし、助けてないし……変な人に捕まっちゃったなぁ。恨むぞあの毛皮共」
肩を落としながら、ぶつくさとぼやき遠ざかる少年の背中を見つめ。
深月はふっと、小さく息を吐き、昼食を再開する。
己が十年近く浮かべていない、心から安らいだ表情になっている事にも、微塵も気付かないまま。




