第四話 杜若との出会い
お久しぶりでございます。
僕の王継承権は、現在第三位となっている。
ファルザルク王国は、女性も継承権を持ち、歴代の王の三分の一は女王だった。国王は、父親として公平に子ども達と最低限の接触しかしないのが慣例なのだという。
僕がもっと幼かった頃、国王陛下は周囲から不満が出るくらい僕を可愛がってくれた。
ガルフーザに、王の子ども達は母親の実家の庇護の元、己の実力を磨き王位継承権を争うのだと教えられた。
僕の場合、母上の実家はハイルランデル公爵家だ。上位貴族の筆頭公爵家で、申し分のない後見人だ。
でも、祖父は高齢で病いを患い、王都の別宅で療養中。それに、僕は祖父に数えるほどしか会ったことがない。
一人娘が王妃として嫁いだので、公爵家の縁戚から後継者が選らばれた。なのに、不幸な事故や病で、次々と亡くなって、適当な人物がいなくなった。今では、公爵家の存続さえ危ういそうだ。
だから、僕の異母姉であるアレクサンドリア王女が後見人に付いた。
それでも、足りない部分があったのだと、グレイルード義兄上は、後に話してくれた。
春先に、マリーが突然、高熱を出して倒れた。三日三晩続いた高熱に、姉上も義兄上もマリーにつきっきりだった。四日目の朝に熱が下がりマリーが目覚めたと聞いてとってほっとした。すぐに会いに行きたかったのに止められた。うつる病気だといけないし、マリーの体調も良くないと言われて渋々承知した。それから一週間経ってもマリーのお見舞いに行けなかった。
そんな時、珍しくガルフーザとフレデリクが言い争いをしているのを見かけた。
ある夜、寝室に大人の女の人がいた。女官でも侍女でも下働きの者でもない。一瞬、暗殺者かと思った。
でも、こんなに香水のキツイ暗殺者なんていないだろう。女の人は、僕を見て目を丸くした。
「子供? アイツら! 何を考えてんの?!」
「は?」
「いえ、貴方じゃなくて …… 」
胸の大きさと腰の細さを強調したドレスは、どこか流行遅れの擦れた布地で、新調したばかりの煌びやかな衣装を着て歩く貴族の婦女子とは違い過ぎた。
女性は、美しい部類に入る容姿をしているのだろうが、母上を見馴れていた僕の審美眼は、どこかズレていたのでよく分からなかった。
ただ、彼女が誰であれ、ガルフーザが寝室の準備を直前までしていたのだ。それが意味する事を、僕は理解しきれない。すっかり混乱していた。
「前金貰ったし、今さら何もせず帰ったら最悪殺されるか …… うー。上手く行かなくてもいっても口封じかしら? 参ったわねー」
「?」
「かわいそうな王子様。母上様を早くに亡くしておさびしいでしょう? よく眠れるように添い寝いたしましょう? って、貴方をお慰めして欲しいと言われているの」
「ガルフーザ! フレデリク!」
「無駄よ。朝まで誰も寝室には来ないわ。そういう約束なのよ」
「?!」
「こんな子供に、貴族の考えることはわからないけど、これも仕事だから …… 。さあ、仲良くしましょう? ふふふっ。バカみたいね …… ! 私は、貴方に女がどんな存在なのか教えて、仲良くなって、言うことを何でも聞いてもらえるようになれって言われてるだけよ」
「僕は、そんなのお断りだ!」
クスクス。赤い唇がゆがみ笑みの形を作る。近づいてくると、香水の匂いが鼻を刺激する。僕は、気持ち悪くなって、その腕から逃げた。彼女は、あっさり僕を手放した。
「ねえ、今夜ここで眠ってもいいかしら? 私、朝までちゃんと仕事しないと殺されるの。だから、貴方とずっと一緒だった事にしてね。そうね、仲良くした事にしておいてくれたら助かるわ。ふふふっ」
「僕と一緒にいないと、誰に殺されるのですか?」
「わからないわ。店に来て店主と話してるのを盗み聞きしたけど、名前は言わないし、前金だけでも三ヶ月分の売上げになるかも。こんなお城の奥に入れるのもおかしいし、かなり高位のお貴族様か、その使いだわ」
彼女は、頭を軽く左右に振って、深くため息を吐いた。
僕は、母上に教わった『裏庭』の入り口に向かって駆け出した。僕の背に、女性の声が投げかけられる。
「りこうな王子様。よく考えなさい。どうすれば、一番いいのか? …… ああ、やだ! こんな貴族のドロドロなんか、関係なくなったと思っていたのに …… 。はあ …… 」
通路の入り口の一つがある壁の、細工を夢中になって押して部屋を出た。キツイ香水が、暗い通路にまで、僕を追いかけてくるみたいで吐き気がして嫌だった。
僕は、王宮図書館を目指して歩いた。僕の部屋のある『奥宮』の『王子宮』からかなり距離がある。
でも、避難通路の『裏庭』から安全に行ける場所を他に知らない。『裏庭』は城に作られた秘密の通路と、地下深くに埋もれた古代遺跡を利用した部分がある。どちらにも、順路を外れるとワナがしかけられている。
僕が、夜の王宮図書館にむかった理由は、ゼルガセラータ伯爵、通称『図書館の主』がいるからだ。伯爵は、母上の友人で、『図書館の精霊』の祝福を受けた素晴らしい人物だ。でも、世間の評価は変人だった。伯爵は、困った事があれば、いつでも僕の相談にのってくれる。
ただし、伯爵に相談すると答えを何も言わずに、本を数冊貸してくれるだけだ。不思議だけど、伯爵の貸してくれた本を読むと、なぜだか悩みがなくなったり、どうすればいいか方法が見つかる。
僕は、真っ暗な通路を非常用のランタンの灯りだけで歩いて、一つの扉にたどりついた。隠し扉を開けると、図書館の壁に掛かった分厚いタペストリーの裏に出る。
僕は、月明かりで明るい図書館の室内に、そっと入った。
王宮図書館は、精霊神殿の礼拝堂だった場所だ。新しい礼拝堂が出来たので、こちらに王宮図書館が移された。夜は閉館になるので、吹き抜けの高い天井から吊り下げられた照明の明かりは消されていた。
僕は、いつも伯爵がこもっている禁書書庫に向かった。伯爵は、特別に図書館に寝泊まりする事を許されているそうだ。
規則正しい並ぶ、高い本棚をいくつも通り過ぎると、閲覧室が広がっている。暗闇に一人用の机が何列も並んでいた。その机の一つに照明が点いていた。
僕は、伯爵がいるのだと思って近づいた。
違う、伯爵じゃない。
薄手の黒い異国風の衣装に、濃紺の髪に涼やかな顔立ちをした青年だ。机の横に立てかけられた黒い鞘の剣は、騎士が使う物より細くてゆるやかに反っていた。姿勢良く背筋を伸ばして座り、紙をめくる姿は隙がない。騎士にしては細い身体つきの青年は、熱心に本を読み続けていた。その姿から、伯爵と同じくらい本好きなのだと思った。
僕は、高窓からのぞく月を背景に、本を読み続ける青年に、声をかけることが出来なかった。
禁書書庫に伯爵はいなかった。僕は仕方なく、近くの本棚の奥の死角に座り込んだ。
僕は、今夜起きた事を考えていた。
僕は、マリーが倒れたと聞いた日、どうしてもお見舞いに行きたかった。母上は、流行り病であっという間に亡くなった。マリーもそんな事になったらと思うと怖かった。
ガルフーザに、マリーと結婚の約束をしているのだから、お見舞いに行くのは当たり前だと言って、先触れを出してもらおうとした。
でも、ガルフーザは呆れたように僕を見てこう言ったのだ。
「殿下、貴方は第二王子です。王族の義務として、貴方はいずれ他国の王族の配偶者になるしかありません」
「他国の?」
「殿下の後見人は、御母堂のシリスティアリス様の父上のハイルランデル公爵閣下です。しかし、御病気で隠居同然の身。異母姉上のアレクサンドリア殿下も同様に、ハイルランデル公爵が最大の後ろ盾です。現在、宰相閣下のバルデンハイム侯爵が後見についたアレクトレス殿下が王位に一番近い現状で、殿下はファルザルク王家に残れないでしょう。王位継承の争いの種にしかならないからです」
僕は、ガルフーザの言葉を信じていた。彼は、子供に語るようにかみ砕いた言い方をしてくれない。それを、誠実につつみ隠さず、真実を語っているからだと思っていた。僕は、まだまだ未熟な子供だった。
「ガルフーザ、どうしたら僕は他国に行かなくてすむのだろう?」
「殿下に相応しい、新たな後見人をご用意いたしましょう。それには、殿下も色々とご努力いただきますが、よろしいでしょうか?」
「僕は、他国になんて行きたくない。努力する」
ガルフーザの言っていた『努力』が、今夜起きた事なのだろうか?
僕は、ブルリと身体が震えた。いつの間にか、眠っていたらしい。図書館の高窓から、薄っすらと明るくなり始めた空が見えた。僕は、伯爵がいないか禁書書庫や閲覧室をのぞいた。伯爵の姿も、あの青年の姿も無かった。
僕が寝室に戻ると、あの女性はいなかった。ただ、香水の残り香があれが夢ではないと言っていた。
ガルフーザとフレデリクはいつも通り僕の世話をしていた。二人とも、いつもより無口だった。
勉強室から部屋に戻ると、ガルフーザとフレデリクが奥の寝室で言い争いをしていた。
こっそり居間から聞いていたら、ガルフーザは、兄王子殿下も同じ様に育てられたのだから、別に変な事ではない。フレデリクは、いくら王族でも変だと言っているようだ。ガルフーザは、少ない王族をふやして、王制を安定させるのも、王子付きの従者の役目だと言っている。すると、フレデリクは黙ってしまった。僕は、自分がわがままを言っているような気がしてきた。ガルフーザに、なにも言えなくなってしまった。
今夜も、違う女性が寝室にいた。
「あら、やだ、可愛い子ね!」
彼女は、甲高い声をあげながら、僕にすり寄って抱きついてきた …… !
「何をしている?」
昨夜の青年が、僕を見降ろしていた。僕が黙っていると、不機嫌そうな顔をしてじろりとにらまれた。
「子供が遊ぶにしては、遅い時間だ。何故こんな所にいる? まさか、迷子か?」
「迷子ではありません。ゼルガセラータ伯爵を訪ねて来たのです」
僕の声は、震えるて小さくしか出なかった。青年の翡翠色の瞳が強い輝きを放っていて、すごく怒っているように見えたからだ。
「ゼルガセラータ伯爵は、留守だ。隣国に新しく出来た図書館に夢中になっている。しばらくは戻らないだろう。子供が、真夜中に一人で出歩くな! 送ってやるから、立て ……!」
僕は、黙って座ったままでいた。『王子宮』の部屋に帰れば、寝室に女の人がいる。そこに戻るなんて絶対に嫌だった。
「おい?」
「朝になるまで帰れません …… 」
僕は、何もかもこの青年に打ち明けた。
「二日前から、寝室に女の人が来るのです。この事は、従者たちも知っていて、僕のためにしている事だそうです。でも、女の人は、一緒に眠りましょうと言って、ベタベタ触ってくるのが嫌です。早く大人になりましょうって言って、なんだか怖いです。香水のにおいが気持ち悪くて、どうしてもがまんできなくて、逃げてしまいました。従者と、努力するって、約束したけど出来ません。寝室に避難通路があって、出口が王宮図書館とつながっているので、ゼルガセラータ伯爵に相談したくて来ました。朝になれば女の人は帰るので、ここにいます」
青年は、何度も何か言いかけて声にならないようだった。深刻な顔をして、しばらく考えているようだった。深いため息をついて、僕の前に座り込んだ。
「 …… わかった。俺は、竜族の杜若だ。俺は何も知らない。聞いていない。お前が誰かも知らない。俺に出来る事は、何もない。 …… わかるか?」
杜若と名乗った青年は、僕の目を見て言った。翡翠色の瞳の中心が縦にほそくなる。僕は、驚いていた。初めて竜族に会ったからだ。
「あなたは、本当に竜族の方ですか?」
「ああ、だから人族の王族になんか関われない」
「 …… はい」
ーーーー これが、僕と杜若の出会いだった。
お読みいただき、ありがとうございます。