第十九話 芽ばえた想い
翌日、父上が私を部屋まで迎えにきてくれた。竜族との会談はお昼からだ。まだ朝食を食べて間もないから、ずいぶん時間に余裕がある。
「マリー、昨日は大変でしたね。体調は、大丈夫ですか?」
「はい。もう、すっかり元気です。あの、父上?」
「どうしました?」
「小ホールは、どうなりました?」
「当分、立入禁止ですね。『茨の塔』の魔術師達が、研究班を結成して、徹底的に調べていますから …… 」
「『茨の塔』の魔術師達がですか?!」
「『精霊の種』が、『精霊』として目覚める前に顕れたばかりか、あれだけの魔力と魔法の跡を残したのです。奴等が、目の色を変えて調査するのも頷けます。普段なら、通行の邪魔ですし、文句の一つも言いたいところです。しかし、この件はマリーに深く関わっていますから、魔術師達に、きっちり調べてもらって、詳細な報告書を提出させましょう」
「あの、宰しょ …… 」
「気にする必要はありません。アレに、マリーが心配するような価値はありません。記憶に残さず、きれいに忘れましょう。いいですね、マリー」
「は、はい」
父上が、きっぱり強い口調でそう言った。私は、これ以上聞けなかった。でも、あの宰相の事など、あまり知りたくなかったので良かった。
私が、というより『精霊の種』の『やらかしちゃった!』件が、今後の王族にどんな風に影響するのか、予想出来なくて不安だっただけだ。
「マリー、今回の件は、何も心配せず、私達に任せておきなさい。本当の事を表沙汰に出来ないのは、あちらの方です。『禿げろ』の呪いは冗談でしょうが、あれだけの少しは『精霊』を畏怖して謙虚になってもらいたいものです。さて、早目に来たのは竜族との会談の件で、マリーと話をしておきたかったからです」
「『精霊の種』の『禿げろ』の呪いは冗談なんですか?!」
「一般的に、精霊に呪いは使えません。使える時点で、存在自体が精霊ではなくなりますし、宰相はそういう家系です」
「納得です!」
父上の提案で会談に向けて作戦会議をすることになった。
私は、父上に色々聞きたいと、思っていたから丁度良かった。
私は、エルシアにお茶をお願いした。この場に居るのは、私、父上、エルシア、イトラスの四人だけだ。護衛騎士のロベルトは、まだ近衛騎士団の詰所から戻ってきていない。
「マリーは、『純血主義』という言葉を耳にしたことがありますか?」
「いいえ、ありません。エルシアはありますか?」
私は、テーブルにお茶菓子を並べていたエルシアに尋ねた。エルシアは、小首を傾げて考え込んだ。
「侍女仲間や城勤めの者達の会話に出たことがない言葉ですね。ただ、最近読んだ小説の新刊に、『純血主義』の国王が、特定の一族だけを優遇した政治体制を執って、国が亡ぶ話を読みました」
私は、エルシアの読書歴が、少々心配になってきた。
「エルシア、参考までに、その本を貸してもらえますか?」
「はい。承知いたしました。お持ちいたします」
エルシアは、きっちりお辞儀をして退室し、すぐに、本を手に戻ってきた。
藍白との静かな対立があってから、エルシアの侍女としての身のこなしが、更に磨かれている気がする …… 。
「父上、シィ様の従者ガルフーザの容態は、良くなりましたか?」
「ベイルクス医師は、ガルフーザが飲んだ毒に効果と別の魔法がかかっていて、解毒と同時に解術も平行して治療するので、難しい状態だそうです」
「毒に魔法ですか …… 。ガルフーザは、何故そこまでしなければならなかったのでしょう」
「わかった事もありますが、まだまだ、これから裏を取っていかなければ …… 。ガルフーザの実家は、旧家のトラフィニオ伯爵家です。だいたい、旧家と呼ばれる家はどっち付かずの中立派が多いのです。だが最近、そういった旧家が、裏で『純血主義』と呼ばれる派閥に属しているとわかってきました」
「『純血主義』は、具体的にどんな思想の集団なのでしょうか?」
父上が、私の質問にどう答えたらいいのか悩んだらしい。顎に手を当てて、しばらく唸っていた。
「マリーには、難しい話になりそうです。つまり、アレクシリス殿下を正統な血統と主張する貴族達が『純血主義』です。殿下の母上、シリスティアリス様のご実家は、ファルザルク王国建国当時から存在する旧家のハイルランデル公爵家なのは、知っていますか?」
「はい。確か、古くから王位継承から外れた、王女の降嫁先として続く、もう一つの裏王家といえる存在ですよね」
あ、しまった! これは、『精霊の種』の知識の情報だったかもしれない。
父上は、私の答えが意外だったらしく、まばたきを数回した。そして、ニヤリと黒い笑みを浮かべた。
「マリー、今は聞きませんが、ずいぶんと、王国の事情を詳しく知っていますね。今度、ゆっくりお話しましょう」
「はい。父上 …… 」
やはり、父上は誤魔化しきれない。あの会話で、何を悟ったのだろう。凄いな、魔王様。尊敬しちゃう。でも、怖いです …… 。
「事実、シリスティアリス様の母上は、先代国王陛下の、年の離れた妹姫でした」
「つまり、お祖父様の叔母上にあたり、シリスティアリス様とお祖父様は、いとこの関係になるのですか?」
「そうです。だから、アレクシリス殿下は、王家の血をより濃く受け継いだといえるのでしょう。そして、前王妃、マリーのお祖母様は、リコルダ帝国の第三皇女でした。『純血主義』の貴族は、王太子殿下と王女殿下に流れているリコルダ王家の血を、厭わしく思っているようなのです。アレクシリス殿下を将来、国王にと望む『純血主義』という新たな派閥の存在を、マリーもよく頭に入れておいて下さい。まだ、どんな危険がある派閥か、把握しきれていませんからね」
「はい …… 」
前王妃は、王女を産んで間もなく亡くなった。当時、まだ二歳のアレクトレス王子や、産まれたばかりのアレクサンドリア王女に、親身になってくれる味方はいなかった。
国家間の婚姻の場合、供に自国を出て、婚姻先の国に帰属し、後ろ楯になる貴族が存在する。彼らは、王妃の後ろ楯になって支えるはずだった。王妃が亡くなったのなら、その子供達の後見人になるのが筋だ。しかし、計略に嵌められて、すっかり没落して全く役に立っていなかった。
幼い二人には、上位貴族の後見人をつける必要があった。
しかし、上位貴族が誰も二人の後見人に名乗りを挙げなかった。上位貴族達は、隣国の王族の血を引く後継者の支援よりも、まだ若い国王陛下に自分の娘を後添いにして、産まれた子供の後見人になったほうが、よっぽど利があると考えたからだった。
国王陛下は、王子の後見人に宰相のバルデンハイム侯爵を、王女の後見人にハイルランデル公爵を指名した。
国王陛下は、最も力を持った二つの家に、子供達を託すしかなかった。つまり、苦渋の選択をしたのだった。
『純血主義』の実家の意向を受けて、ガルフーザ=バリン=トラフィニオは、女性をアレクシリスの寝室に招き入れていた。
まだ、幼いアレクシリスに、乳母や侍女、女官意外の女性など必要ないのは、百も承知だっただろう。
しかし、母親を早くから亡くしたアレクシリスに、優しく甘やかし依存させてくれる女性を与えて懐かせておき、将来的に特別な女性となれば良し、そんな下衆なシナリオを描くものがいたようだ。
男とは、特別な女性の存在を忘れたり、邪険に出来ない生き物なのだったりする …… 。あわよくば、アレクシリスに生涯影響力のある愛人として、女性を側に置ければかなり有益な存在になったであろう。
王太子殿下派の貴族は、傀儡の王であれば、血筋に拘らないのと逆に、『純血主義者』は、ファルザルク王族の血筋に拘っている。
うわぁ、そうなのか。確かにゲスなお話だった。『精霊の種』の知識から、情報と分析結果ぽいのを知ることができた。
だんだん、私の記憶と彼女の知識の区別が分かってきた気がする。
私は、『精霊の種』の知識の補足おかげで理解している部分が多い。でも、父上は、アレクシリスにどう話しているのだろう。
「父上、シィ様には、ガルフーザの話はしたのですか?」
「アレクシリス殿下には、まだ話しません。徐々に、受け止めていただく内容の話でしょうから …… 」
あれ? 父上は、アレクシリスに、詳しくは話してないのに、私には話すの?
「父上は、なぜ私に全部話すのですか?」
「マリーは、難しい話でも大丈夫でしょう?」
「大丈夫でしょうか? まあ、理解してしまいましたけど …… 」
「私も、マリーぐらいの年には、大人達の話を理解してしまう、早熟な子供でしたからね」
「そうだったのですか?!」
「それに、マリーは教えておかないと、どんどん自分で調べて、必要以上に知ってしまいそうなのが、一番心配ですからね」
「う、否定しきれません …… 」
父上は、親子は似るものですからと、嬉しそうに私の頭を撫でた。その例えは、どうなんだろう? まあ、父上が嬉しいのなら、いいのかな。
「あ。父上、どうして『アレクシリス殿下』と、シィ様を呼ぶのですか?」
「気がつきましたか? サンドラが、アレクシリス殿下の後見人から外されて、私も父親役を降ろされます。それに、私はアレクシリス殿下の剣の師になるのですから、これまで通りの『シシィ』呼びでは、けじめが付かないのです。ああ、マリーは、今まで通りでいいのですよ」
せっかく、内緒話をするのに最適なメンバーが揃っているので、先日のアレクシリスの寝室で、イトラスが何を言いかけたのか尋ねてみた。
「姫様の御前では、憚られる内容です。後程、グレイルード様にだけ、お話しいたします」
「イトラス、構わず話しなさい。この子は、幼くても王族の姫です。『精霊の姫君』でもあるのですから、出来るだけ早くから危険や内情を知っておかなければなりません。ただし、私かサンドラが一緒の場合に限りますけどね」
イトラスは、しばらく考え込んでいたけれど、ゆっくり言葉を選びながら話しはじめた。
「あの日、アレクシリス殿下のお話しを、拝聴いたしまして、思い出した事がありました。数年前まで、私は王太子殿下の護衛騎士でした。初めて護衛騎士となったのは、アレクトレス殿下の学園入学直前の頃でした。夜番の時、殿下の寝室に女性が出入りするのを知りました。 …… あまり、好ましいと思えるご関係ではありませんでした。アレクトレス殿下も、話を聞けば、女性と過ごすのがお辛そうでした。私は、国王陛下にご相談しようと、ご提案いたしました。しかし、『私が、奴等の好意を拒むと、妹姫の部屋に、男を手引きしようとするから、誰にも話すな!』と、…… 」
ギリ、ギシリ、バキッ!!
父上の足元、絨毯の下から、初めて聞くような音がしてきた! え、えっ?! 父上の踏みしめていた床板が、割れた音?! 自慢じゃないけど、この王宮は、国の威信にかけてそんな安物の手抜き工事で建てられてなんかないよ。ちょっと、古いかもしれないけれど …… 。
父上の顔は、無表情だった。でも、殺気が少しも隠せていませんから!
「ああ、すまない。イトラス、話を続けて、マリーも驚かせてしまいましたね。エルシア、後で修繕の手配を頼みます」
私達は、顔を見合わせた。一瞬で殺気を抑えた父上は、すっかり普段通りだった。イトラスは、躊躇いながらも話しを続けた。
「王太子殿下ご夫妻が、婚姻してから約五年が経ちます。王太子夫妻には、未だに子供がいらっしゃいません。王族に子供が出来にくいのであれば、側室を多く持てばいいと、公言する貴族も多いのです。国王陛下が、許可を出さないので、王太子殿下に正式な側室はいませんが、今でも多くのご令嬢が、王太子殿下の寝所に送り込まれています。おそらく、全て王太子殿下派の貴族の仕業でしょう 」
「母上は、王太子殿下の事情を、どこまで知っているのでしょうか?」
「マリー、今のイトラスの話は、サンドラに絶対話さないでいて下さいね!」
父上が、急に強い口調で私にそう言った。私は、ちょっと驚いた。イトラスとエルシアも狼狽えていた。
「父上? どうしてですか?」
「いえ、今更な、話ですから …… 。マリー、お願いします。然るべき時に、私から、サンドラには、きっと話しますから …… 。イトラス、エルシアもそのつもりでいて下さい」
父上は、しどろもどろでそう言った。うん? まあ、今更な話といえば、そうなのだろう …… 。でも、母上に伝えても、問題なさそうなのに? 父上は、真剣な顔で、私に念押ししてきた。
「マリー、お願いします」
「??? 父上がそうおっしゃるのなら、私から、母上にはこの話はしません」
「ありがとう、マリー。まだ、時間がありますね。後でもう一度、迎えに来ますから待っていて下さい」
父上は、曖昧な笑みを浮かべて私の額にキスをした。それから、エルシア達に二、三指示をして、イトラスと一緒に近衛騎士団の詰所に戻っていった。
うん、床の修理しないと不味いよね。絨毯の上からでもへこんで見えるよ …… 。
「ねえ、エルシア。父上は、どうして王太子殿下の話を口止めしたのかしら?」
エルシアは、微妙な笑顔で私の想像ですが、と前置きしてから話した。
「 …… 嫉妬、でしょうか?」
「は? 嫉妬? 父上が、誰にですか?」
「イトラスの話の中の王太子殿下に、でしょうね。グレイルード様は、ご自身が王女殿下をお守りすることに、かなり執着されていますから、 …… つまり、軽く『ヤンデレ』?」
「ええっ?! そうなのですか?」
エルシアの『ヤンデレ』が、正しい使い方なのか疑問だったけど、父上は、魔王様だけじゃない、隠された属性もあったのか?!
確かに、父上と母上のラブラブぶりを見ていれば、エルシアの言う通りかもしれない。
「私も、王太子殿下の境遇には同情いたします。あの宰相を、後見人にお育ちになったのですから、相当なご苦労があったでしょう」
「私も、 …… そう思います」
私は、王太子殿下が次期国王として、宰相や配下の貴族達に、甘やかされて育てられた愚か者だと思い込んでいた。
そして、母上は私が知る限り、とても兄を嫌っている。私も、両親がお仕事に忙殺されるのは、王太子殿下が元凶だから大嫌いだった。
「私の母の話では、お二人は対立する派閥の元で、交流もあまり無くお育ちになったそうです。王女殿下は、シリスティアリス様と王太子殿下が婚約された時に、初めてお会いになったそうですよ。その頃から、お二人は不仲なのだそうです」
「王太子殿下が婚約された時、母上は何歳だったのでしょうか?」
「確か、王太子殿下が六歳、シリスティアリス様が五歳でしたから、王女殿下は、まだ四歳だった頃でしょうか?」
「その頃から、不仲だなんて、何があったのでしょう? それにしても、六歳で婚約 …… 。それも、対立する派閥の筆頭公爵家の姫君とですか …… 。」
当時、派閥間でどんな駆け引きがあったのか想像するのも恐ろしい気がする。結果的に、婚約破棄になってしまったのだけど …… 。
「先ほどのイトラス殿の話で、王太子殿下が実は、王女殿下を影で庇われていたように解釈できます。グレイルード様が心配されているとしたら、王女殿下がこのお話しをお聞きになって、お二人の距離が近くなってしまわれる事でしょう」
「母上と王太子殿下が、和解してはいませんか?」
「両殿下の関係の変化は、貴族の派閥の勢力図の変化に繋がります。そうなると、都合が悪い貴族も出てくるでしょうね。最悪、王女殿下を狙う暗殺者が、ますます増えてしまう可能性もあります。グレイルード様は、王女殿下を少しでも危険から守るため、口止めされたのかもしれません。きっと、お二人は対立されたままの方が、色々とご都合が良いのでしょう!」
エルシアは、少し興奮気味に話していた。でも、ちょっと待って、私は何か大切な事を忘れてはいない?
「ねえ、エルシア。本当に、お二人が仲直りしてはいけないのですか? 」
「えっ? ええ、そうですね」
「でも、王太子殿下は、母上の実の兄上なのでしょう? 別々に育ったけど、同じような境遇の、たった二人だけの兄妹でしょう? 仲が悪い方がいいだなんて …… 。そんなの、とても悲しいです」
「姫様 …… 」
エルシアは、私が唐突にそんなことを言い出すなんて、予想外だったようだった。いきなり、私にそんな事を言われても、エルシアだって困るだろう。
私だって、王族に生まれたのなら、王位継承争いは、避けては通れないのは分かっている。王位継承者は、多くの有力貴族の支持を集めていき、時に、骨肉の争いをしなければならない。事実、兄王子が王太子となっても、有能な妹姫を時期国王にと望む貴族は少なくない。それは、王太子殿下が、政務に熱心ではないからだった。
今まで、私も、王太子殿下のことを、馬鹿王太子とか、最低殿下とか、散々心の中で罵倒してきた。でも、様々な事を知ってしまい、それぞれの事情を考えると、とても『王族』である事が、悲しくなってきた。
「王族だからって、派閥があるからって、家族が仲良く暮らせないなんておかしいです! 私は、そんなの嫌です …… !!」
私の中に、はっきりと、ある思いが芽ばえた瞬間だった。
お読みいただき、ありがとうございます。