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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
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第八十二幕 或る家令の過去(1837年)

 気がつけば、六年の月日が流れていた。


 ネリーの元へオフィーリアからの手紙が届かなくなって久しかったが、戦場に物資が運び込まれる事も少なく、食糧や水すら枯渇した状況であった。ましてやイギリス人の女性から、奴隷身分に等しい傭兵への手紙など、運ぶ人間はいない。

 彼は疑っていなかった。妻子は安全な場所にいて、平和に暮らしているのだと。そう信じて生きて来た。だから、その新聞を見たのは偶然だったのだ。


 その日、ネリーの友人が真剣な表情で尋ねて来た。彼は軍司令部の資料整理係として雇われており、数多の資料から戦況分析をする後方支援部隊に所属していた。そんな彼が前線までわざわざやってきたのだ。その表情に、ネリーは嫌な胸騒ぎを覚えた。

 彼は一枚の記事の切り抜きを取り出すと、何も言わずにネリーへと手渡した。



『ライン家の呪い再び 行方不明事件、未だ解決の糸口見えず!


 かの有名なるライン伯爵が妹、オフィーリア・ライン嬢の失踪から早二週間が経とうとしている。深夜、メイドの少女達と共に消え去りし事以外、スコットランドヤードは彼女の足取りを何も掴めないでいる。


 オフィーリア嬢は以前印度へと旅行した際、現地の傭兵につきまとわれていたという情報もある。


 もしや彼の国の民が卑怯にも、そして身の程知らずにも美しきオフィーリア嬢を手に入れんとしたのであろうか。それともライン家の没落を狙い、英国の栄光に暗い影を落とさんが為に人質としたのであろうか?


 ムガルの民はその手を血に染め身の毛もよだつ魔術を行使するという。兄であるライン卿はオフィーリア嬢の無事を願うものの、その瞳は疲れと悲哀に濡れていた。このように素晴らしき人物が心痛に苦しむとは、何と残酷な事であろうか。今はただ、オフィーリア嬢の無事を信じるのみである。



 また、心無い人の中にはライン家の呪いが蘇ったのだと噂する者もいる。

 現在のライン伯爵、トマス・ライン卿が三男であることは、ご存知の方も多いだろう。ライン家は由緒正しき血にして、能力の高い者を排出するが、総じて短命であることが多い。不幸な事故もあれば、正体不明の病に侵される事も、行方知れずになることもある。


 特に、金の髪を持つ者が成人を迎える事は稀である。これらを総じて『ライン家の呪い』と呼ぶのである。

 しかし、今回失踪したオフィーリア・ライン嬢に関して、この法則は当てはまらない。何故なら彼女の髪は滑らかなチョコレートブラウンであるからだ。噂の真偽はさておき、ラインの家から再び人が消えたのは確かである。


 繁栄にあるライン家を妬んだ何者かの策略か。はたまた本当に呪いなのか。事件を担当したバグショー主任警部はこう語る。


「ばかばかしい、呪いなどあるはずが無い」


 未だ犯人の目星もつかぬ無能な警察の言い分を信じるのならば、そうなのであろう。しかし、ライン家の呪いは、全てが偶然なのだろうか?


  ディディモ誌 イースター特別号 1834年3月発行 』


 ゴシップ誌に印刷されていた日付は今から三年前。そしてネリーが迎えに行くと約束したあの日から、三年後であった。


 もし、ネリーが約束通り三年前に家族を迎えに行っていたら。そこには平和な家族の光景があったのだろうか。


 翌日、ネリー・アッシャーは傭兵部隊から姿を消した。追手も向けられたが、誰も彼を捕える事はできなかった。その後の消息は分からず仕舞いだった。二年後、英国に現れるまでは。


 彼は探し続けていた。家族を。真実を。油で肌に張り付く黒髪の奥底から爛々と光る瞳は、密林に潜む飢えた虎を彷彿とさせた。


 ライン卿がネリー達の結婚に賛成したのは、自分を信用させるためであった。それも全て、自分の罪を押しつける駒とするために。


 抵抗勢(ゲリラ)達が、最新の武器を手に入れている理由は? 圧倒的不利な状況にも関わらず、何年も正規軍と拮抗できる理由は? 此方の物資は、情報はどこから漏れている? 自分が配属される部隊は、何故いつも危機的状況なのか。


 幾つもの何故が、当てはまり一つの絵画を作っていく。パズルのように組合わさっていくそれに一度気がついてしまえば、どうして今まで思い至らなかったのか不思議でならない。


 煮詰められた怒りが、彼を復讐へと駆り立てた。妻を、我が子を害した男を消さねばならなかった。それが終われば自分の番だ。守ると誓っておきながら、自ら妻子を危険に放り出した責は、取らねばならない。



 一八四〇年、十一月。ネリーに真実を告げたライン家のメイド、メイベル・ベッカーが死んだと聞いた時、ネリーは静かに、そして速やかに自分の計画を始めようと決めた。しかし、その為には共犯者の同意を得る必要があった。


 メイベルは当時、オフィーリアの世話係として雇われたメイドであった。彼女は知っていた、ネリーの事も、ヴィクトリアの行方も、オフィーリアがライン家でどういう仕打ちを受けていたかも。

 彼女の口から、ネリーはオフィーリアが生んだ娘の事を知った。メイベルはネリーを警戒していたが、徐々に口を開く様になってきた。その矢先にメイベルが死んだのは、ネリーにとって出鼻を挫かれる形となった。


 メイベルの死因は、暴走していた馬車の車輪に巻き込まれたことによる圧死なのだと言う。下手人である御者は近くにいた若者たちに取り囲まれ、そのまま殴り殺された。どちらも身元が分からぬほど、酷い有様であった。


 偶然ではない。メイベルは殺された。御者も恐らくはそうなのだろう。ネリーはそう直感した。


 全てライン卿が裏で手を回した殺人に違いない。あの人でなしは、悪魔の所業を顔色ひとつ変えずに行えるのだ。しかし、彼がやったという証拠はどこにも無く、事件性を疑う人間もまた、何処にもいなかった。


 呪い、とは便利な言葉である。

 その一言さえ添えれば、どんなに不可解な事件だろうと、連続した殺人だろうと、超自然の現象へと変化してしまう。犯人は消え、代わりに死んだ人間が現れる。真に恐ろしいのは「呪い」に擬態した人の悪意がいつまでも見逃されてしまうことだ。誰も考えない。疑問に思わない。自分が「考えてもいない」と気がつくこともない。「呪い」という見えない呪文スペルの恐怖はそこにある。


 ネリーはメイベルの双子の妹、ケイトリンの身も危ないと判断した。何故なら、メイベルは自分が罪深い存在であると、事ある事にケイトリンに告げていたからだ。トマス・ラインという男は、少しでも疑わしい者の存在を許さない。


 ケイトリンは子供を産むため、現在は実家であるベッカー家に戻っている。ネリーは少し考え、ケイトリンの夫であり、当時はライン家専属商人でもあったノーマン・アシュバートンに連絡を取った。

 今すぐ荷を纏めてケイトリンと共に逃げる様に告げると、日が沈む頃合いを見計らってラインの屋敷へ足を踏み入れた。


 トマス・ラインの共犯者にして犠牲者。そしてネリー・アッシャーにとっても共犯者となる、ライン卿正妻メアリー・ラインと言葉を交わす為に。



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