10 大魔術の発動
小さな太陽が、ザルヴァドルクの頭上で膨れ上がっていた。
光球の直径は既に十歩を超え、なお膨張を続けている。周囲の空気が蒸発し、大地が抉れ、結界の紋様が軋みを上げて亀裂を走らせていた。ザルヴァドルク自身が展開したアンチマジックの結界すら、この魔術の前には維持できない。
「消し飛べ、人間」
ザルヴァドルクの叫びと共に、光球が放たれた。
空間を焼きながら迫ってくる。大地が溝を掘るように抉れ、空気が焦げ、光の奔流が全てを白に染めた。直撃すれば、平原そのものが消滅する。
グレイは動かなかった。
鉄剣を上段に構えたまま、迫り来る光の壁を見ていた。
脳裏に、一瞬だけ——記憶が過ぎった。
六歳の朝。朝日の中で木剣を振っていた自分。手の皮が裂け、血が柄を伝った日。雨の中で泥に塗れながら振り続けた夜。雪の中で手がかじかんでも止めなかった冬。
ダグラスの小屋の前で、三日三晩振り続けた夜。
滝を斬った朝。
何千万回。気の遠くなるほどの回数。血を吐き、骨を軋ませ、筋肉を断裂させながら、ただひたすらに繰り返した——一つの動作。
素振り。
唐竹割り。
真っ向からの、振り下ろし。
基礎中の基礎。剣術の始まりにして、終着点。
グレイは——振り下ろした。
鉄の刃が、光に触れた。
特大魔術の中心線——エネルギーが最も凝縮された一点を、刃が正確に捉えた。
滝を斬った時と同じだった。
流れの中心を、最も自然な角度で、極限の速度で通過させる。
力ではない。速さと、刃筋。何千万回と積み重ねた、一振りの完璧な再現。
——裂けた。
特大魔術が、真っ二つに分かたれた。
白熱したエネルギーの壁が、刃の軌道に沿って左右に割れた。分かれた光の奔流がグレイの両脇を通り過ぎ、後方の大地を抉り、地平線の彼方まで焼き尽くした。
だが、グレイの体には——傷一つなかった。
そして、剣は止まらなかった。
魔術を裂いたその勢いのまま、鉄の刃はザルヴァドルクの巨体に到達した。
角の頂点から——股間まで。
一直線に。
大魔族の体が、真っ二つに分かたれた。
深紅の目が、最後に驚愕に見開かれた。理解できないまま——自分が両断されたことすら認識できないまま——ザルヴァドルクの体が左右に崩れ、灰となって散っていった。
同時に、結界が砕けた。
紫色の紋様が亀裂を走らせ、ガラスが割れるように四散した。ドーム状の暗闇が消え——
青空が、戻った。
太陽の光が、戦場に降り注いだ。
剣を振り抜いた姿勢のまま、グレイは静かに残心をとった。鉄剣を正面に構え直し、ゆっくりと下ろす。
その時——微かな音が聞こえた。
ピキッ。
手元を見た。鉄剣の刀身に、細いヒビが走っていた。魔術を両断した衝撃に、鉄の塊が耐えきれなかったのだ。
ただの鉄剣。ダグラスから渡された、何の魔力も宿さない、ただの鉄。
グレイは刀身を見つめ、小さく息を吐いた。
頭上では、剣圧が空の雲を真っ二つに割り、青い裂け目が地平線の端まで伸びていた。
静寂が訪れた。
大魔族が消滅し、結界が砕け、太陽が戻った。生き残った魔族の兵士たちは——指揮官を失い、恐怖に駆られて四散していった。
戦場には、騎士たちの死骸と、魔族の残骸だけが残された。
グレイは鉄剣を鞘に収めようとした。
背後に、殺気を感じた。
薄い殺気。弱々しく、震えている。だが——確かな殺意。
「——死ねぇぇぇっ!!」
絶叫。
振り返らなかった。
ガイウスが、泥水の中から短剣を拾い上げ、グレイの背中に突き立てようと走ってきていた。結界が消えたことで微かに魔力が戻り、足に力が入ったのだろう。だが——その足運びは、基礎の型すら身についていない、ただの素人の突進だった。
グレイは振り返らなかった。
鉄剣を鞘に収める動作——残心のついでに、鞘の尻を後方に突き出した。
ガイウスの手首を、鞘の先端が正確に打ち抜いた。
骨が砕ける音がした。
短剣が手から飛んだ。
続けて、鞘が低く横に払われた。ガイウスの膝を打ち、もう一方の膝も打ち抜いた。
ガイウスの体が崩れた。両膝が折れ、両手首が壊れ——泥水の中に、前のめりに倒れた。
グレイは——そこで初めて、ゆっくりと振り返った。
泥の中に伏したガイウスを、見下ろした。
かつて、この男に見下されていた。「素振りしかできない案山子」と。「辺境へ失せろ」と。
今、その男が——泥の中で、手首を抱え、膝を押さえ、涙と鼻水を垂らしながら、口をぱくぱくと動かしていた。声にならない声。恐怖と屈辱で、完全に心が折れた顔。
グレイの目に、怒りはなかった。復讐の喜びもなかった。
ただ——呆れたような、どこか哀れむような。それすらも薄い、ほとんど無関心な目。
「——もっと素振りをしろ」
それだけ言って、背を向けた。
泥の中に伏したガイウスを一瞥もせずに、グレイは歩き出した。
青空の下。腰の鉄剣が、微かにヒビの入った刀身を鞘の中で揺らしていた。




