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魔剣に選ばれなかった凡人剣士、辺境で『素振り』を極める  作者: 汐見 ゆゑ


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1 選剣の儀、そして追放

 儀式の間に、光が降っていた。


 天井を貫くステンドグラスから、赤、青、金の光が交差して石畳に散らばり、その中を微かな埃が舞っている。壁には歴代の剣聖たちの肖像画が並び、彼らが握る魔剣の絵はどれも淡い光を帯びて描かれていた。


 祭壇には、無数の魔剣が突き立てられている。


 長剣、短剣、大剣。大小さまざまな刀身が石の台座に突き刺さり、それぞれが微かに異なる色の光を放っていた。炎の赤。雷の青紫。風の透明な緑。氷の白。その光は静かに脈動し、まるで呼吸をしているように見えた。


 見習い騎士たちが、二列に整列している。


 グレイはその列の中ほどに立っていた。革の胸当てと簡素な制服。腰には訓練用の木剣の代わりに、儀式用の白い帯が巻かれている。手のひらが汗で湿っていた。拳を握り、開き、また握る。


 手のひらには、何年もの素振りで潰れた豆の痕が幾重にも重なっていた。皮膚は硬く盛り上がり、指の付け根から掌底にかけて、岩肌のようにざらついている。


「次、ガイウス・ヴァレンティア」


 選剣官の声が、高い天井に反響した。


 列の前方から、一人の若者が進み出た。同じ十七歳。だが、纏う空気がまるで違う。仕立ての良い制服は皺ひとつなく、磨き上げられた革靴が石畳を鳴らす。背筋はまっすぐに伸び、口元には余裕の笑みが浮かんでいた。


 ガイウスが祭壇に歩み寄る。


 その手は、白かった。傷一つない、滑らかな手のひら。剣を握ったことがないわけではないだろうが、繰り返し握り潰された豆の痕も、皮膚が裂けて固まった古傷も、そこにはなかった。


 グレイは無意識に、自分の手のひらを見た。岩のように硬い、醜い手。


 ガイウスの手が、祭壇の中央——ひときわ大きな赤銅色の大剣に触れた。


 瞬間、儀式の間が、赤に染まった。


 炎だった。


 赤銅色の刀身から噴き上がった炎が天井に届き、ステンドグラスの光を塗り潰した。熱風が見習いたちの列を揺らし、何人かが思わず腕で顔を庇った。石畳が軋み、壁の肖像画の額縁が揺れる。


 炎の中から、ガイウスが剣を引き抜いた。


 赤銅色の刀身は白熱し、炎の紋様が生き物のように這い回っている。柄には宝石が埋め込まれ、赤い光を脈動させていた。


 国宝級の魔剣。『灼獄の牙』。


 見習いたちの間から、歓声が上がった。


「すげえ——」


「国宝級だぞ、あれ」


「さすがガイウスだ」


 ガイウスは炎の剣を軽々と片手で掲げた。その所作は流暢だったが——足が、少しだけ内側に崩れていた。踏み込みの軸がぶれている。剣を掲げる腕の角度も、重心の乗せ方も、基礎の型からは逸脱していた。


 だが、そんなことに気づく者はいなかった。炎の眩さが、全てを覆い隠していた。


 選剣官が厳かに宣言した。


「ガイウス・ヴァレンティア。『灼獄の牙』の適合を確認。正式騎士への任官を認める」


 拍手が響いた。ガイウスは見物席に向かって優雅に一礼し、剣を腰に佩いて列に戻った。すれ違いざま、グレイの方を見た。


 目が合った。


 ガイウスの口元が、僅かに歪んだ。


「次、グレイ」


 選剣官の声。


 グレイは一歩を踏み出した。祭壇までの距離が、やけに遠く感じた。


 石畳を踏む足音だけが聞こえる。背後から、囁き声。


「——あいつ、毎日素振りしかしてない奴だろ」


「魔力の素養ゼロって聞いたぞ」


「選ばれるわけないだろ」


 聞こえている。全部、聞こえている。


 祭壇の前に立った。


 無数の魔剣が、光を放っている。赤、青、白、緑。どれもが微かに脈動し、適合者を待っている。


 グレイは右手を伸ばした。


 最初の剣——風の短剣に触れた。


 何も起きなかった。


 光は揺らがず、脈動は変わらず、刀身は冷たいままだった。まるで、石に触れたのと変わらない。


 次の剣。氷の長剣。


 指先が柄に触れる。何も。沈黙。


 三本目。雷の刺突剣。


 四本目。土の大盾剣。


 五本目。六本目。七本目。


 一つとして、反応しなかった。


 グレイの手が祭壇の上を彷徨った。もう触れていない剣はほとんど残っていない。指先が震えているのを、自分でも感じた。


 最後の一本に手を置いた。小振りの両刃剣。刀身は鈍い銀色で、他の魔剣ほど華やかな光は放っていない。


 祈るように、手のひらを押し当てた。


 ——沈黙。


 何も起きない。光も、熱も、振動も。ただ冷たい金属の感触だけが、豆の痕だらけの手のひらに伝わった。


「不適合」


 選剣官の声が、高い天井に響いた。感情のない、事務的な声。


「グレイ。全魔剣との適合なし。騎士任官資格を認めず」


 背後で、笑い声が聞こえた。小さな笑い。だが、複数。


 グレイは手を下ろした。指先がまだ震えていた。だが、顔は動かさなかった。唇を引き結び、一礼して祭壇を離れた。


 列に戻る途中、ガイウスが腕を組んで立っていた。炎の魔剣が腰で揺れ、赤い光を投げかけている。


「まあ、そうだろうな」


 ガイウスの声は、声量を落としてはいたが、周囲に聞こえるように調整されていた。


「素振りしかできない案山子は辺境へ失せろ。これからの時代、必要なのは魔剣の閃きだ」


 グレイは足を止めなかった。


 一歩。二歩。三歩。列の自分の位置に戻り、背筋を伸ばして前を向いた。


 手のひらの豆の痕が、じくりと痛んだ。





 夕陽が、詰め所の窓から差し込んでいた。


 長い影が石畳を這い、グレイの少ない荷物の上に伸びている。革の鞄ひとつ。着替えが二組。使い古された木剣が一本。それが、見習い騎士グレイの全財産だった。


 木剣を手に取った。柄は汗と脂で黒く変色し、刃に当たる部分は何万回もの素振りで削れて丸くなっている。木目に沿って、薄い亀裂が走っていた。


 鞄に入れようとした時、足音が聞こえた。


 複数。重い革靴の音。


「おい、案山子」


 振り返ると、同期の見習いが三人、入口に立っていた。ガイウスの取り巻きだ。先頭の一人が、グレイの手元を見て笑った。


「まだそんなもの持ってんのか。素振り用の棒切れ」


 グレイは答えなかった。木剣を鞄に入れようとした。


 取り巻きの一人が、足を出した。


 木剣が蹴り飛ばされた。


 乾いた音を立てて石畳の上を転がり、壁際で止まった。柄の部分に、新しい傷がついていた。


「おっと、悪い悪い。足が滑った」


 笑い声。


 グレイは黙って壁際まで歩き、木剣を拾い上げた。新しい傷を指でなぞった。何も言わなかった。


「グレイ」


 別の声。入口の奥から。


 騎士団長が、書類を手に立っていた。初老の男。灰色の髪と、感情を映さない目。


「辞令だ」


 書類が差し出された。グレイは受け取り、目を通した。


 辺境の砦。北方第七前線基地。魔獣出没の最前線。補給路が不安定で、駐屯兵の生存率が低いことで知られる場所。


 事実上の、死地への追放。


「明朝、荷馬車が出る。それに乗れ」


 騎士団長の声には、同情も悪意もなかった。ただ、不要な部品を処分する時の事務的な響きだけがあった。


「……了解しました」


 グレイの声は、平坦だった。


 騎士団長が去った後、取り巻きたちも「じゃあな、案山子」と笑いながら出ていった。


 詰め所に、グレイだけが残された。


 夕陽が沈みかけている。影が伸び、壁の半分を覆っていた。


 グレイは辞令書を丁寧に畳み、鞄に入れた。木剣も入れた。それだけだった。


 拳を握った。


 血が滲むほど、強く。


 だが、顔は動かなかった。

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