幕天席地
「……では、読み上げるぞ」
氷炎伯は母親のすぐ傍らに静かに膝をつくと、ポルターの手紙を朗読し始めた。
――王女殿下へ
殿下にお手紙など、誠に畏れ多いことと存じます。
本来であれば、このような想いは直接お口から申し上げるべきものなのでしょう。
けれど私は、ついにその勇気を持つことができず、このような形で想いを残してしまう非礼を、どうかお許しください。どうかお許しください。
私が殿下に仕え始めたのと時を同じくして、故郷の父が病で逝き、老いた母が独り残されたとの報せを受けました。
本来であれば、その場ですぐに母の元へ戻り、息子として生きることをお許しいただくよう願い出るべきでした。なれど、その言葉はどうしても口にできず、迷いの中でお側に仕え続けてしまいましたことを深く謝罪いたします。
結局、何一つ申し上げられないまま、この手紙を書く卑怯者になりました。
その上で、大変厚かましい願いとは承知しておりますが……一つだけお願いがございます。
――ここに、一輪の押し花を同封いたします。
これは、私が生まれ育ったミース村に咲く花です。
剣よりも、花の香りに囲まれて育った私ごときが、騎士として殿下にお仕えできたことは、人生で最も誇らしい出来事でございます。そして、もしも私が殿下をお守りして命を落としたのであれば……どうかこの花を目印に、ミース村の母を訪ねて、この花をお渡しくださいませんでしょうか。
貧しき身ゆえ、母に遺せるものがこの花くらいしかないことに恥ずかしさを覚えずにはいられませんが……母もこれを見れば、きっと悔いなく余生を送れるでしょう。
そして、叶うならば……母に『息子は、最後まで己に恥じることなく誠実に生きた』と、一言だけ添えていただけませんでしょうか。
最後に。
このような身の程知らずの願いを殿下に託しますこと、誠に畏れ多く存じます。それでもなお、お許しいただけるのであれば、これ以上の望みはございません。
「騎士殿!貴様の願いは聞き届けたぞ!」
氷炎伯の手から渡された一輪の押し花は、長い歳月を経て色褪せ、ひび割れていた。
けれどそれは――かつて幼きポルターに母親が作り方を教え、初めて上手く作ることができた、想い出の花だった。
「ああ……あああ……っ!!」
母親と王女は再び深く抱き合い、声を上げて大粒の涙を流した。
その泣き声は静かな村全体に優しく響き渡り、家々から出てきた村人たちは、母親の泣き伏せる姿からすべてを察し、静かに胸の前で手を合わせて黙祷を捧げた。
「これが、俺の『未練』だったのか……」
ポルターが呟くと、雲間から射し込む陽射しが、急に強くなったような気がしてそっと空を見上げた。
『さあ、ポルター。素晴らしい像が建ちましたよ』
ポルターの頭の中に、王妃の澄んだ温かな声が響いた。驚いて振り返り周囲を見回したが、どこにも彼女の姿はない。
「……王妃、また何か企んでいませんか?」
『ふふふ……クライマックスですからね』
「クラ……また別の世界の言葉ですか」
王女たちの一団が丘の小径へと向かい始め、村人たちもゾロゾロとその後に続いていく。ポルターもそれに倣って歩き出そうとしたが――不意に体がフワリと宙に浮き上がった。
「うおっ!? お、王妃! 何ですかこれは!?」
見上げると、宙に漂う王妃の全身が眩い光に包まれ、その姿はうっすらと透けていた。
「『特等席』と言いたいところですが……あなたは間もなく、天界へと導かれるのです」
「いや待ってください! 俺の像を見てない……!」
「分かっていますよ。さあ、手を取りなさい」
王妃はポルターの手を優しく引くと、完成した石像の前へと二人で降り立った。
王女が晴れやかに式典の開催を宣言し、その脇では母親を優しく支える氷炎伯とモエが、誇らしげな表情で像を見上げていた。
「……あのう、思ってたより全然冴えない顔でした」
自分の顔をペタペタと撫で回しながら王妃に感想を述べたポルターは、自分の手や足もまた、王妃と同じようにうっすらと透明に透け始めていることに気づいた。
「未練は、果たせましたか?」
「はい。姫様のおかげ……いいえ、ここにいる皆さんのおかげで、完璧に果たされました!」
「それは何よりです。では、最後になりますが――」
「ちょ、ちょっと待ってください! 王妃も一緒に行くんですよね!?」
「……私は、残らねばならないのです」
「えっ……? だって、俺の未練を果たせば、それで一緒に……!」
「『代償』です。私は……色々と望み過ぎてしまいましたから」
「そんなの……俺が不甲斐ないせいで……ッ! 待ってください! 俺も残ります! 俺を止めてください!!」
「……ふふ、それも理というものです」
ポルターの体はフワフワと上方へと上がり始め、焦って必死に空を掻いたが、ジリジリとした上昇は止まらない。
「クソッ、神様!! 新しい未練ができました!!! 頼むから止めてくれーッ!!」
「……ああ、忘れるところでしたわ」
王妃はスッとポルターの目の前に浮かび上がると、その顔を寄せ、耳元でそっと囁いた。
「……あなたの本当の名は――――」
――その瞬間。
サァッと心地よい突風が吹き抜け、一面の橙色の花びらが一斉に宙へと舞い上がった。
式典に集まった人々は、雲間から一筋伸びる神々しい陽射しに目を細めた。
そこにいるはずの「救国の騒霊騎士」の姿など、誰の目にも見えはしない。
けれど誰もが、その姿なき英雄の誇り高き活躍を胸に浮かべ、誇らしげに微笑みながら、雲が晴れていく大空を見上げていたのだった。
終




