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第20話 光希の洞察と変質の匂い

「お前、変わったな」


 光希が言う。指先が、何もない空気を撫でる。小さな術式の印か。陽太はそれを見逃さない。


「何がだ」


「匂いだ。孤独と……焦り。それに、何か腐ったような霊気がまとわりついている」


 直截な指摘に、陽太の呼吸が一瞬止まる。筋肉がこわばる。手足が鉛のように重い。


「……でたらめを言うな」


「でたらめか?」


 光希がまた一歩近づく。吐息が届く距離。彼の金色の瞳が、陽太の灰色の目を捕らえる。


「昨日の夜、お前はどこにいた? 妙な気配が街に漂っていた。草木が枯れ、小動物が逃げ出した。まるで……」


 光希の声が低くなる。


「まるで、何かが暴走した跡のようだな」


 陽太の顔から血の気が引く。冷たさが、骨の髄まで浸透する。彼は唇を噛んだ。鉄の味がした。


「……お前、見ていたのか」


「偶然さ。俺も夜は眠れんからな」


 光希の目が光る。好奇心が覗く。


「で、その暴走の原因は? お前の中にあるのか? それとも……」


「黙れ」


 声が、思わず強くなる。鬼道の力が、抑えきれずに少し漏れる。周囲の空気が歪む。光希の髪が、わずかに逆立つ。


「……なるほど」


 光希が呟く。驚きよりも、納得の色が濃い。


「やっぱりな。お前はただの落ちこぼれじゃない。中身が……違う」


 陽太は目を閉じた。疲れが全身を覆う。もう隠し通す力はない。ここで全てを話すわけにはいかないが、この男にすら、核心が見抜かれつつある。


「光希。お前に用はない」


「あるさ」


 光希の声が、急に真剣になる。


「俺だって、同じようなものだ。中身が壊れかけている。術法が暴走しそうで、手に負えない」


 彼は自分の掌を見つめる。


「だから、お前に興味がある。どうやって、あの力を……制御している? それとも、できていないのか?」


 問いかけが胸に刺さる。陽太はゆっくりと目を開けた。青柳静雅の屋敷の塀が、朝日に白く浮かんでいる。


「……制御など、できていない」


 初めて、他人に口にした。声は震えていない。ただ、虚ろだった。


「手に負えなくなっている。周りを……壊し始めている」


 光希の息遣いが止まる。金色の瞳が、鋭く凝視する。


「青柳静雅に、それを止める手助けを求めるつもりか」


「……ああ」


「馬鹿な真似だ」


 光希が即座に言い放つ。


「青柳静雅は、仙門百家の申し子だ。秩序と抑制の化身。お前のような『暴走』を、彼女が許容すると本気で思っているのか?」


 言葉が、冷たい刃のようだ。陽太の胃が攣る。


「彼女は……違う」


「根拠は?」


 光希が詰め寄る。


「お前を止めに来た、あの時のことか? あれは同情か、義務感だ。次は違う。お前が本物の脅威になったら、彼女は剣を向ける」


「……それでもいい」


 陽太が言う。声には力がない。だが、決意は固い。


「俺が望むのは、許容じゃない。制御する方法だ。彼女なら……知っているかもしれない」


 一瞬の沈黙。通りを風が渡る。光希が、大きく肩をすくめた。


「好きにしろ。俺は止めない」


 彼は振り返り、屋敷の中へ歩き出す。だが、入り口で足を止め、振り返らないまま言った。


「ただ一つ忠告しておく。青柳静雅に全てを打ち明けるなら、覚悟しろ。お前の正体が、仙門百家全体に知れ渡る覚悟をな」


 格子戸が、音もなく閉じた。陽太は一人、塀の前に取り残された。胸の内側で、脈が騒ぐ。喉がひりつく。


 彼はもう一度、深く息を吸った。青柳静雅が戻るのを、ここで待つ。たとえ、その結果が剣であろうとも。 焔城陽太は青柳静雅の屋敷の塀から離れた。足が夷涼の地へ向かう。理由は分からない。ただ、かつての場所へ引き寄せられる。家の鍵が懐で冷たい。


 焼け残った家屋跡は、午後の傾いた陽に照らされていた。黒こげの柱、崩れた土壁。記憶の断片が、硝子のように鋭く突き刺さる。彼は立ち止まる。胃の底が重く沈む。


 黄金光希は既にいた。焼けた梁にもたれ、手帳をめくっている。金色の瞳が陽太を捉える。


「遅いじゃないか、落ちこぼれ同志の深夜の散歩はどうだった?」


 陽太は無言で跡地に入る。足元の瓦礫が軋む。左手首の奥が、じんと熱い。


「いい空気だったよ。でも変な気配もあったな。」


「変な気配?…まさか、今まで気づいていなかっただけか。お前、そんなことまで感じ取れるのか?」


 光希の声が近づく。陽太は焼けた柱に手を触れた。触覚が、遠い炎の轟きを呼び覚ます。胸が締め付けられる。


「ただの感覚さ。深く考えるなよ、光希。」


「お前の感覚はただの直感じゃない。もっと深い何かがあるはずだ。俺と同じように、何か隠し持っているんだろ?」


 振り返る。光希の目が真剣だった。陽太は懐から鍵を取り出した。黄銅の鍵が、すすけた光を反射する。


「隠しごとなんてないよ。変な勘繰りはやめてくれ。」


「そうか?じゃあ、証拠を見せてくれよ。その変な気配の痕跡を。」


 光希が焼け跡の中心を指さす。地面が妙に窪んでいた。周りの草だけが、黒く萎びている。鬼道の腐敗の痕跡だ。陽太の喉が乾く。


「気配を感じたって言ったな。詳しく話してくれよ、空羽。」


「ただの気配の話だよ。暗闇と騒ぎの違いくらいの。」


 口ごもる。左手が震え始める。抑えていた熱が、指先まで奔る。周囲の空気が濁る。光希の息が乱れる。


「……これか?」


 光希が呟く。金色の瞳が恐怖ではなく、熱に輝く。


「お前、ただの落ちこぼれだと思っていたのにな。」


 陽太は目を閉じた。まぶたの裏に、青柳静雅の顔が浮かぶ。穏やかな表情が、次には剣を構える姿に変わる。胃がむかつく。


「制御できない。この力は……また暴走する。」


 声が震えた。認めた。光希の前で、弱さをさらした。


「面白いじゃないか、白雪空羽。」


 光希の手が差し出される。掌の上に、小さな霊石が転がっている。不気味な紫色に脈打つ。


「俺も同じだ。暴走しそうな力を抱えてる。だから、教えろ。どうやって……まだ人間でいられる?」


 陽太はその石を見つめた。答えはなかった。ただ、左手の熱が、静雅を想う罪悪感に変わっていく。彼女だけは、壊したくない。 焼け跡の中心。黒く窪んだ地面は、夜露を含んで鈍く光っていた。周囲の草は根元から腐り、異臭が微かに漂う。黄金光希はその痕跡の前にしゃがみ込む。指先が土に触れる。紫色の霊石を握ったままの掌が、微かに震える。


「お前、ただの落ちこぼれだと思っていたのにな。」


 声には嘲りがない。ただ、確かめるような響きがあった。白雪空羽――焔城陽太は、その背中を見下ろす。自分の左手首が、見えない炎で焼かれているような疼きを覚える。胃が重く沈む。喉の奥が渇いてひりつく。


「……それが何だ?」


「何だって。これが、お前の『変な気配』の正体だろう?」


 光希が振り返る。金色の瞳が、陽太の顔をじっと捉える。朝の屋敷前とは違う。探るような、貪るような視線だ。


「一族の連中は、こんな痕跡を見ても気づかん。穢れの気配だとか、瘴気の残滓だとか、適当な理屈をつけて片付ける。だがな……」


 彼は立ち上がる。掌の霊石が、紫色の脈動を強める。焼け跡の異臭と共鳴するように。


「これは、『何か』が暴走した跡だ。制御を失った力が、地脈を焼き、霊気を腐らせた。俺には分かる。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

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