第1章 桜庭 桜の、まだ終わらない一日
これから毎日0時に1章づつ上げます。
毎日投稿のため1章1000文字程度になってしまうこともあるかもしれませんがご容赦ください。
桜庭 桜は、広い自室の
ベッドの上で、ゆっくりと体を起こした。
白を基調とした部屋は、朝の光を受けて柔らかく輝いている。
「……朝かぁ」
そう呟いてから、桜は無意識に頬をかいた。
考え事をするとき、緊張したとき、そして少し居心地の悪さを感じたときに出る、昔からの癖だ。
桜庭家は、いわゆる“裕福な家庭”だった。
両親は共働きだが、それぞれが社会的に高い立場にあり、家には家政婦もいる。
不自由のない生活。整った環境。周囲から見れば、何一つ不満のない人生。
――それでも。
「……今日も、学校か」
桜は小さく息を吐いた。
嫌いなわけではない。
ただ、教室という空間は、どうしても息が詰まる。
学校では、桜は目立つ存在だった。
成績も悪くなく、家柄も知られている。
だからこそ、距離を取られることも、ひそひそとした視線を向けられることもあった。
誰かに直接何かを言われるわけではない。
それでも、見えない壁のようなものが、いつもそこにあった。
「気にしすぎ、かな」
そう言って笑おうとして、うまく口角が上がらない。
また頬をかいて、桜は制服に袖を通した。
朝食の席では、母が新聞を読み、父は静かにコーヒーを飲んでいる。
会話は必要最低限。
それがこの家の日常だった。
「行ってきます」
桜がそう言うと、母は顔を上げて微笑む。
「行ってらっしゃい、桜」
優しい声だった。
それでも、桜の胸の奥に残る空白は埋まらない。
通学路を歩きながら、桜は空を見上げた。
今日は少し雲が多い。
風も冷たく、季節の変わり目を感じさせる。
(私、ちゃんと生きてるのかな)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
理由は分からない。
大きな不幸があるわけでもないのに、心がどこか置いていかれている感覚。
「……変なの」
桜は自分にそう言い聞かせて、足を進めた。
学校では、いつも通りの一日が流れていった。
授業、休み時間、形だけの会話。
笑顔を作ることにも、もう慣れてしまった。
放課後、校舎を出たときには、空が少し暗くなっていた。
雨の予感がする、重たい空気。
(早く帰ろう)
そう思った、そのときだった。
横断歩道の信号が青に変わる。
桜は一歩、前に踏み出した。
――次の瞬間、視界が大きく揺れた。
強い音。
衝撃。
足が地面から離れる感覚。
「……え?」
声にならない声が、喉の奥で消えた。
空が回る。
音が遠ざかる。
体の感覚が、急速に薄れていく。
(なに、これ……)
痛みよりも先に、思考がほどけていく。
頭の中が真っ白になり、景色が滲んだ。
(私……まだ……)
最後に見えたのは、曇った空と、誰かが駆け寄ってくる影。
そして――。
意識は、そこで途切れた。
桜庭 桜の人生は、あまりにも唐突に、終わりを迎えた。
まだ、何も終わらせたつもりなどなかったのに。
まだ、答えを見つけてもいなかったのに。
それでも世界は、彼女を待ってはくれなかった。
――この先に、異世界という“次の生”があることを、
このときの桜は、知る由もなかった。




