第2章 この世界で、生きていく
あたたかい光が、まぶたの裏を満たしていた。
ぼんやりとした感覚の中で、アリシアは小さく息を吸う。
空気が胸に入ってくるのが、はっきりと分かった。
「……泣いたわ」
そう言って、誰かが安堵の声を漏らす。
「元気な子だ。よかった」
別の声が重なる。
低くて、落ち着いた声。
アリシアは泣いていた。
理由は分からない。
ただ、そうするのが当たり前だと思ったからだ。
視界はまだぼやけていて、形も色もはっきりしない。
けれど、包み込まれるような温もりだけは、確かに伝わってきた。
「この子の名前は……アリシア・ルミエールにしましょう」
「光、か」
「ええ。この子が、明るく生きていけるように」
その言葉の意味は分からない。
けれど、心地よかった。
アリシアは、そのまま再び眠りに落ちていった。
◆
アリシアが“自分”という存在を認識し始めたのは、もう少し後のことだ。
最初に覚えたのは、天井だった。
木でできた梁。
昼間になると、窓から差し込むやわらかな光。
次に覚えたのは、母の声。
「アリシア」
名前を呼ばれるたびに、胸の奥があたたかくなる。
理由は分からないけれど、それが“自分”だと
自然に理解できた。
父は、口数の少ない人だった。
けれど、アリシアを抱き上げるときは、いつ
も少し不器用で、やさしかった。
ここは王都のはずれ。
城に仕える使用人たちが暮らす区画の一角。
豪華ではない。
けれど、不自由でもない。
アリシアは、この世界で、ごく普通の子どもとして育っていった。
――少なくとも、この頃の彼女は、自分が“特別”だなんて、思ってもいなかった。
◆
歩けるようになり、言葉を覚え、少しずつ世界が広がっていく。
転ぶこともあった。
泣くこともあった。
それでも、誰かが必ず手を伸ばしてくれた。
ある日、母に連れられて外に出たときのこと。
「走っちゃだめよ、アリシア」
そう言われたそばから、アリシアは小さな足で駆け出した。
「だいじょーぶ!」
そう返事をして、数歩進んだところで――。
「……あ」
足がもつれる。
転びそうになった、その瞬間。
「危ない!」
誰かの声と同時に、腕をつかまれた。
ぐっと引き寄せられ、地面に倒れることはなかった。
「……?」
顔を上げると、そこには同じくらいの年の少年が立っていた。
少し癖のある髪。
控えめな目元。
でも、とても真剣な顔。
「だいじょうぶ?」
少年は、そう言ってアリシアを見つめていた。
「うん!」
アリシアはにこっと笑う。
「ありがと!」
少年は、少し驚いたように目を見開き、それから小さく頷いた。
「……よかった」
母が駆け寄ってくる。
「ありがとう。あなた、お名前は?」
少年は一瞬ためらってから、答えた。
「……リオです」
「リオくん、ありがとうね」
リオは小さく頭を下げた。
アリシアは、じっと彼を見つめる。
なぜか分からないけれど、視線を外したくなかった。
(……なんか、この子)
無意識に、頬をかく。
それは、アリシアの癖だった。
(やさしい)
それ以上の言葉は、まだ知らない。
けれど、その感覚だけは、胸に残った。
この日から、二人はよく顔を合わせるようになる。
まだ、この出会いが――
八年後、ある約束につながることを、
幼いアリシアは、知るはずもなかった。




