73話 それぞれの想い
くすんだ夕陽が地平線へと溶け込むと、余熱を失った黄金の光はゆっくりと色を失っていった。同時に、壁へ設置された魔力灯が自動的に灯る。ガラスの灯罩を透した明るい光が広大な客間を一気に満たし、忍び寄っていた冷ややかな気配をちょうどよく追い払った。
片付けられていない盤面、慌ただしく床へ散らばった駒たちは灯りを受けて淡い影を引き、まるで足跡の代わりとなる道標のように並んでいる。その道標を辿った先——そこには、ベッドの縁へ腰掛ける二つの影があった。
幽界から空間通路を通って戻ったばかりのブエンビは、腰を深く折り曲げ、ほとんど身体を二つに折るほど前屈みになっていた。顔は見えなくとも、あらゆる光を拒むかのような濃密な陰鬱さが伝わってくる。
彼に寄り添うリフは、不安そうな表情で小さな手を伸ばし、その広い背をそっと撫でた。
「ブエンビ、大丈夫?」
「…………申し訳ありません、お姫ちゃん。俺は……君に顔向けできねぇ。」
「そんなこと言わないで!暴走したときはびっくりしたけど、わざとじゃないでしょう?それに、クリティがたくさん後始末してくれたし——ブエンビ!?なんでもっと落ち込んでるの!?」
……はぁ。リフは純真な子だからこそ、まっすぐな言葉がかえって鋭い刃になるのよね。あのときはレイの魔道具すら燃え尽きてしまったんだもの。ブエンビの肉体を覆っていた物質なんて、黒い灰一枚分しか残っていなかった。つまり……クリティとリフの前で、彼は実質的に全裸だったわけ。
そして致命的だったのは、本人が「リフに汚いものを触れさせてしまった」と思い込んでしまったこと。激しく燃え上がっていた魂の炎は鎮火できたけれど、その代償は蒼のとき以上の精神的外傷。まさに踏んだり蹴ったりね。さすがの私もちょっと同情しちゃうわ。
「ブエンビ・イェグライエイ。いつまでその出来損ない以下の醜態を晒すつもりか。これ以上リフに『ナセル』として後始末を続けさせる気なら、今すぐ幽界へ戻り、もう一度魂を冷却してきなさい。」
「ヴァンユリセイ、厳しすぎるよ。今のブエンビは大病明けみたいなものなんだから、少しくらい優しくしてあげてもいいでしょう?」
「ブエンビ・イェグライエイはプルークリティから絶対的な世界証明を求め、望みを得たにもかかわらず逃避を選びました。執念によって行動は矛盾し、幽魂使としても、君の保護者としても重大な職務放棄です。純真な君が自ら慰めることを私は止めませんが——彼が負うべき責は、一切減じられません。」
「ヴァンユリセイ……?」
リフは思わず目を見開いた。
これまでヴァンユリセイがブエンビを叱るとき、容赦ない言葉と大げさな反応の組み合わせはどこか滑稽で、旅の風景の一部のように軽やかに眺めていられた。
けれど、外側の飾りが失われた今——リフは初めて実感した。ブエンビへ向けられている威圧が、どれほど冷酷なものなのかを。
「で、でも……!『ナセル』と『ジャブ』の姿でウルクイに来たのは、わたしのわがままだもの!ブエンビのせいじゃない!」
「だから最初は容認しました。しかし決意した後に再び逃げ、君が作った機会を浪費したのは、完全にブエンビ・イェグライエイ自身の問題です。優しいあなたが受け入れようとも、事実は変わりません。」
「うぅ……でも、でも……」
困り切った視線が胸元の鎖と、黙ったまま俯く巨躯の男との間を行き来し、声は次第に小さくなっていく。
やがて言葉を失った女の子は、ぎゅっと大きな身体へ抱きついた。垂れた銀白の長髪が顔をほとんど覆い隠し、表情は誰にも見えない。
「——ブエンビ。レアーティヌがかつてリフへ尽くしたこと、そしてお前がこれまでリフに寄り添い続けた苦闘に免じて。ウルクイの地において一度きりの忠告を与えます。『逸脱者』となったことを後悔しないのなら、進み続ける『現在』に覚悟を持ちなさい。星象が乱れる大荒漠の中で、お前はもう一方的な導き手ではありません。」
「……」
鎖の隔絶状態へ移行すると同時に、リフの胸元にある鎖から伝わっていた魂の伝声は、ブエンビの意識の中で唐突に途切れた。
それは人間種の体感では、果てしなく静かで長く引き延ばされた空白——だが客観的な時間にすれば、一分にも満たない停止だった。
ずっと垂れていた頭が、ようやく持ち上がる。
ブエンビは沈んだ表情のまま、自分の腰へ顔を埋め続けている小さな影を見下ろした。両腕を広げ、悲しみ、戸惑い、忍耐——胸の内に渦巻くすべてを、小さな女の子ごと優しく抱き寄せる。
「お姫ちゃん。ボスの言う通りだ。今日の失態は全部、俺の逃避が原因だ。司刑権限を持つ俺なら、幽界で記録を調べること自体は難しくなかった。でも……俺はそうしなかった。『誰かが答えを差し出してくれたなら受け入れればいい』——そんな消極的な考え方が、最初から間違いだったんだ。」
腕の中の銀白の毛玉が、まず擦り寄るように身じろぎし、それからゆっくりと顔を上へ向けた。潤んだ紫の瞳と視線が重なった瞬間、子猫を連想したブエンビは思わず小さく笑う。
大きな手はいつものように女の子の頭へ伸び、跳ねた長髪を指先で整えていく。
「スリ一族には、『神の子』から授けられた知識が数多く伝わっている。その中でも最も影響力が大きかった学問が、時界の星空を読み、運命の流れを解析する観星術だ。この力は一族が北荒へ移住してから徐々に失われていったが、長老たちは典籍や先人の手記を守り続け、形式的な知識だけは次代へ伝えていた。」
「長老たちは教育者としての務めを果たしていた。だが……俺に呪われた才能があることは、誰も知らなかった。観星術の理を理解した瞬間から、星空はただの景色じゃなくなった。俺にとってそれは、絶えず書き加えられていく予言書になったんだ。隣人の近況も、遠国の情勢も——星の軌跡と変転を見上げれば、未来が分かってしまった。」
ブエンビは一度言葉を切り、手甲から木製の櫛を取り出して指の代わりに使い始める。髪を梳く動作は自然で滑らかだったが、身体を寄せるリフには、その指先がかすかに震えているのが伝わっていた。
「だが、変えられない未来を観測することに意味なんてない。俺はあらゆる方法で既定の運命に抗おうとした……けどな。どんな足掻きも、運命の濁流に飲み込まれて痕跡すら残らなかった。残ったのは、世界への絶望と呪いだけだ。だから俺は、かつて天族から聞き出した『運命から脱する方法』を使い、モテナヴォ帝国の未来を断ち切った。そして——世界で三人目の『逸脱者』になった。」
「その願いを叶えるための供物は……数え切れない人間の夢と未来、そして長い旅路の末に、俺たちが共に築き上げたすべてだった。」
規則正しく動いていた櫛が、いつの間にか止まっていた。
リフはブエンビの身体を伝って立ち上がり、そっと手のひらを彼の頬へ当てる。焦点を失いかけていた深い茶色の瞳は、その能動的に差し出された温もりによって、再び光を取り戻した。
ブエンビは黙って櫛をしまい、リフを再び隣へ座らせる。
「ファルザドには、俺を憎む権利がある。父親を失ったあと、彼は重責を背負わされた。国を存続させるため、母親や年長者たちを戦場へ送り出し、犠牲にするしかなかったんだ。黄金碑文は、彼の憎悪の証だと俺はずっと思っていたし、それを当然のこととして受け入れてきた。
「だから……彼とレアーが縁を結んでいたなんて想像もできなかったし、どうして二人が自分を責めるのかも理解できない。」
膝の上で組まれていた両手が、次第に強く握り締められていく。
「ナフカルカンを殺し、大荒漠を再び混乱へ戻したのは、完全に俺自身の意思だ。俺は……あの二人が勝手にそこへ踏み込み、俺だけの罪を分かち合おうとするなんて、受け入れられない。」
もう一組の小さな手が、かすかに震える拳の上へ重ねられた。けれど、その震えは収まらない。
リフは顔を上げ、ブエンビの表情を観察する。だが整った表情筋の間からは、依然として何の変化も読み取れず、感情の揺らぎも見えなかった。
それでも——たとえブエンビが完全に感情を遮断していようと、今のリフには分かる。この震えの正体が「怒り」であることを。同じく司刑の役割を担うウテノヴァと似て、彼らは罪によって生じた感情を他者と分かち合うことを拒む、頑なさを持っているのだ。
リフは小さく首を傾げ、しばらく考え込む。やがて両手を引っ込め、ブエンビの服の裾を軽く引いた。
「ブエンビ。亡霊の都の核ってナフカルカンの魂なんでしょう?ファルザドはナフカルカンの息子なんだから……その亡霊の都にいるのかな?」
あまりにも当然の疑問に、ブエンビは逆に言葉を失った。
「それは……俺は……」
「ファルザド・ジャブクフおよびアフサーネ・ジャブクフは寿命を終えた後、その父の召喚に応じて亡霊の都へ魂が導かれたはずです。」
「そっか!ヴァンユリセイ、教えてくれてありがとう!」
「どういたしまして、リフ。そこの愚か者は自ら問いを立てることを一度も考えなかったのでね。ならば、問いを知る賢い子へ答えるのは当然でしょう。」
「もう、こういうときもブエンビには厳しいんだから。でもね、わたしはヴァンユリセイの優しいところも大好きだよ!」
「リフは本当に素直ないい子ですね。さあ、心の衝動に従って、好きなだけ私に触れて構いませんよ。」
「わぁ~、じゃあ遠慮しないね!なでなで~」
リフが鎖を頬と手のひらの間で楽しそうに擦り合わせている様子を、ブエンビは呆然と見つめ、しばし言葉を失った。
先ほどまでの重苦しい空気と感情は、まるで束の間の幻だったかのように、どこか滑稽で微笑ましい「祖父と孫の触れ合い」によって跡形もなく流されていく。
——彼にとって、それは自らの上司から、ずっと目を背け続けてきた答えを与えられる二度目の機会だった。
一度目は、妻が幽界へ堕ちたあとの想いについて。そして今回は、甥の魂の行き先についてである。もしヴァンユリセイに語るつもりがなければ、たとえリフが問いかけたとしても、容易に答えが返されることはないだろう。
彼は幾度も逡巡した末、ついにその細い鎖へと、魂の伝声を送り込んだ。
「……ボス。ありがとう。」
「リフの礼だけで十分だ。お前の感謝など、賞味期限を数百年も過ぎながら腐敗寸前で辛うじて形を保っている食品のようなもの。そんな吐き気を催す感情は不要だ。」
「……」
わセイ。ブエンビの拳、上司を殴り飛ばしたい怒りバフで一気に硬化してるんだけど。こっちの観測だと、今なら一発でこの階ごと吹き飛ばしても全然おかしくないわね。あなたの毒舌、等比級数的に進化してない?もう遠くの彼女を超えられるんじゃないかしら。
「くだらないことを言うな。」
「??ヴァンユリセイ、どうしたの?またブエンビと内緒話してるの?」
「リフ。君の言う『内緒話』とは魂の伝声のことです。今の君はまだ扱える段階にありません。大人になれる頃が来たら、使い方を教えてあげましょう。」
「そうなんだ。わたし、なんだか早く大人になりたくなっちゃった~」
「成長は焦るものではありません。順序を踏むことが大切です。——リフ、まだあの愚か者に言いたいことがあるのでしょう?」
「あ、そうだった!」
リフは軽やかな動きでベッドから跳び降りると、くるりと一回転し、弾むような足取りでブエンビの前へ駆け寄った。
「ブエンビ、これからの旅は亡霊の都を探すのを目標にしようよ!わたし、絶対にファルザドを見つけてあげる。それであなたの仲間たちも集めて、みんなでお茶会を開くの!」
……さすがリフね。膝に頬を寄せ、水を湛えた大きな瞳でキラキラした視線を送りつける甘え方は、ほんの一瞬でブエンビの怒気を霧散させてしまった。今にも実体化しかけていた怒りは跡形もなく消え、拳と顔の筋肉が同時に緩む。
彼はいつもの慈愛に満ちた笑みを浮かべ、小さな頭を優しく撫でた。
「お姫ちゃんの気遣いと優しさは、本当に癒やされるな。けどな……その考えは諦めたほうがいいと思うぞ。見つけられるかどうか以前に、城門に入れなきゃ意味がない。」
「大丈夫だよ、ちゃんと考えてあるもん!ヴァンユリセイが言ってたでしょ?わたしは結璘おばあちゃんの光を継いだ『月の子』なんだって。それに黒翼の力もあるし、きっと亡霊の都をしっかり捕まえられるよ!」
「いや、それはさすがに無茶じゃ……」
「理論上は可能です。砂漠の民はいまなお月を崇拝しています。ゆえに結璘の末裔であるリフは、十分に強い地縁を結ぶことができる。時空の歪みに存在する亡霊の都へリフが直接接触した際、その存在は『錨』となり、亡霊の都を一時的に固定できるでしょう。」
「わぁ~、わたしってそんなにすごいんだ!」
「……俺の耳がおかしくなったのかと思ったぞ。こんなに積極的で親切に説明して話まで進めるなんて……あんた、本当にあのクソボスか?」
「四百年かけても任務を終えられず、他人に後始末を押しつけるしかない無能は黙っていなさい。ここにあなたの意見は必要ありません。」
「……」
ブエンビの怒りゲージ、また急上昇ね。でも足元には小動物みたいにちょこちょこ動き回る可愛い存在がいるせいで、MAX寸前だった数値はあっという間にゼロまで落ちちゃったけど。
「なんだか宝探しの冒険みたいでワクワクするね!明後日……ううん、明日出発しよう!ブエンビにはずっとわたしのわがままに付き合わせちゃったもん。だから今度は、わたしが全力で亡霊の都探しを手伝うね!」
「お姫ちゃん、待った。先にあの娘とウスタドの件を片付けないとな。君とプルークリティの会話は全部分かってる。俺に偽装魔法をかける必要はない、そのままここへ呼んでくれればいい。」
「そっか、ウルクイを離れる前にちゃんと話しておかないとね。でもブエンビ、大丈夫?」
「あれだけ騒ぎを起こしたんだ。俺たちの保証人になってくれたあの二人にも、相当影響が出てるはずだ。せめて本当の顔で会わないとな。そうしないと謝る意味がない。」
「分かった。それじゃ、今すぐフェレドゥン王に連絡するね!夕食までまだ時間あるし、メルバノとウスタドも来られるよね?」
⋯⋯⋯⋯
ソファを挟み、向かい合った四人の間に奇妙な沈黙が落ちていた。
一時的に「ナセル」へと戻ったリフがメルバノとウスタドを部屋へ案内した後、腰を下ろした二人は一言も発さぬまま、まっすぐな視線でブエンビの正面の顔を見つめ続けていた。
リフは彼らから、燃え上がるように強烈な感情を観測していた。だがそれは怒りではない。過去に感じ取った感情と照らし合わせた結果、もっとも近いのはエンルリー博物館で蒼へ向けられていた、あの二人の門番の反応だった。
その変化を理解できないリフの頭上には、目に見えない小さな疑問符がいくつも浮かび上がる。好奇心と戸惑いをないまぜにした視線が、ブエンビへと向けられた。
三方向から同時に視線を浴び、さすがに居心地の悪さを覚えたブエンビは、小さく咳払いをして沈黙を破る。
「まず……ウスタド。お前の善意と覚悟を踏みにじる形になっちまって、しかも大事な会議であんな騒ぎまで起こしてしまった。本当に申し訳なく思ってる。」
「い、いえ!どうかお気になさらないでください!あの……ブエンビさん、これは……あなたの本当のお姿なのですか?」
「そうだ。これまではナセルさんに魔法で偽装してもらってたが、もう隠し続けるべきじゃねえと思ってな。そばにいた奴の顔が急にこんな強面に変わったら、戸惑うのも無理は——」
「どこが強面なんですか!?ブエンビさんの本当のお顔、想像以上に格好良くて、思わず見惚れてしまいました!」
「……はぁ??」
「以前から外見と雰囲気がどこか噛み合っていない違和感を覚えていたんです。でも今、やっと理由が分かりました!その深い輪郭、幾多の武勇を刻んだ傷跡――まさに英雄豪傑の証!本来のお姿に戻られた今、立ち居振る舞いのすべてから、誰をも魅了してしまうほどの気品が溢れています!」
部屋の中は、再び静寂に包まれた。
数秒後、どうにか気持ちを立て直したブエンビが、苦々しげに口を開く。
「……ウスタド。今流行ってるアイドルでも見て、少しは美的感覚を矯正したほうがいいんじゃねえか——」
「そんな覇気のない優男たち、あなたと比べること自体失礼です!あなたのように男気に満ちた存在こそ、私の憧れなんです!あなたを貶すことは、誰であろうと許しません!たとえご本人でも!!」
ウスタドの声はますます熱を帯び、ついには机を両手で叩いて立ち上がった。
情熱に燃える氷青色の瞳と真正面から向き合った瞬間、ブエンビの心の中を数万匹のサンドワームが駆け抜けていく。
武芸の才能がない点を除けば、今のウスタドの様子はほとんどアワミルの再来だった。カンガル一族は、ある意味でもう本当に救いようがない――彼は改めて心の底からそう思う。
「……分かったよ。だが、それはあくまでお前個人の感想だ。さすがに極端すぎる……」
「私だけの意見ではありません!メルバノ、あなたも同じ気持ちでしょう?世俗の価値観に縛られず、ブエンビさんの魅力をきちんと見抜けると信じています!」
「ええ……その通りですね。先ほどまでの平凡な姿より、数十体のチラント翼竜を討ち取った英雄には、今の姿こそ相応しい。ウスタドの意見に私も賛成ですよ。」
メルバノはわざと顔を横に向けたものの、頬に浮かんだ不自然な赤みは隠しきれておらず、それを目にしたブエンビの額には黒い線が幾筋も浮かんだ。
賛同者を得たウスタドはすっかり嬉しくなり、熱意はさらに加速する。
「ご覧ください、ブエンビさん!あなたは格好良さ、強さ、優しさ、思いやりのすべてを兼ね備えた魅力的な存在です!どうか卑下なさらず、胸を張ってその魅力を存分に示してください!」
「……もういい。俺の話は後回しだ。会議のあと、何があった?お前たち、取り調べを受けたり責任を追及されたりはしなかったのか?」
ブエンビは本当なら、二人まとめて目を洗ってこいと言いたかった。だが、ここで話題が逸れれば収拾がつかなくなることも理解している。無理やり会話の流れを本筋へ引き戻すと、二人はようやく最初の真面目で引き締まった表情へと戻った。
「ご安心ください。ご心配されているような事態にはなっていません。あの天族様があなた方を連れて退席された後、国王陛下は私たちと他の神器継承者を政務室へ集め、いくつか簡単なお話をされたのみでした。」
「フェレドゥン……王は、何て言ってた?」
「お二人は天族様の客人であること。本日の出来事は対外的には『何も起きなかった』ものとして扱うこと。そして、お二人の素性を詮索しないこと――です。ショルパンは納得しきれていない様子でしたが、ミクアンの外交日程が終わり次第説明すると仰り、それぞれ宮殿の外まで送られました。ですが……」
ウスタドはメルバノへ視線を向ける。彼女は小さく頷き、言葉の続きを引き取った。
「その途中、叔父が私を召喚したという名目で、ウスタドと共に内宮へ戻されました。北塔一階で待機し、あなた方に何かあれば協力するよう頼まれたのです。それから……ナセルさんが『人間らしくない行動』を見せても、これまでと態度を変えず、普段通りに接するように、と。」
「なるほどね。それでこんなに早く来られたんだ。フェレドゥン王もクリティと同じで、本当に気が利くよね!」
「ナセルさん……あなたは、本当に――?」
リフがプルークリティを親しげに呼ぶのを聞いた瞬間、メルバノとウスタドの表情が複雑に揺れた。その大半は興奮と期待。そこに、わずかな驚きと畏敬が混じっている。
「ブエンビが本当の姿を見せたんだもん。わたしももちろん、そのつもりだよ。変身――!」
待ちきれない様子でリフはソファから跳ね起き、広い空間へ躍り出ると、大げさで華やかな動きでくるりと回った。
いつものように魔力の仮初の姿を一瞬で解除するのではなく、今回は魔力を糸のように細かくほどいていく。それらがゆっくりと大気の魔力へ溶けていく過程に、わざと色とりどりの光の軌跡を添え、舞台演出をこれでもかと盛り上げていった。
そして――
輝く光輪の中心に立ったリフは、自らにスポットライトが落ちたかのような主役の演出を見事に完成させる。もう演技をする必要がないことが嬉しくてたまらない様子で、ぱちりとウインクしながら可愛らしくVサインを決めた。
「これがわたしの本当の姿だよ!身長は人間種の五歳くらいの子どもと同じだけど、わたしもう二十歳なんだからね!あ、それとね――わたしのことは『リフ』って呼んでくれればいいよ!」
――二人の反応は、あまりにも対照的だった。
ウスタドの驚愕は一目瞭然で、ぽかんと開いた口には卵が丸ごと一個入りそうなほどだ。一方のメルバノは、控えめで礼を失さない微笑みを浮かべ――そのまま意識を失い、真横へと倒れ込んだ。
「メルバノ!?しっかりして――!」
「私にもたれかかるな、メルバノ!思ったより重いぞ!」
「チッ……!ウスタド、まずマヒラを寝かせろ!それからお姫ちゃん、薬袋を出すな!レアーの薬は無駄遣いになる!」
「でも、メルバノが倒れちゃったよ!」
「ただのショックによる一時的な失神だ、問題ない!俺が処置する、ウスタドは体を支えろ!」
「は、はい!」
ひとしきりの騒動の後、ブエンビが頭部のツボを揉みほぐすと、メルバノはゆっくりと意識を取り戻した。
彼女の視線が、周囲に集まる面々を順番に捉えていく。まず同情的な表情の青年、無表情の巨漢、そしてソファの縁に身を乗り出す小さな女の子――
次の瞬間、メルバノは勢いよく起き上がり、頭を抱えて思わず呻いた。
「うぅ……なんという失礼を。ナセルさんに……いえ、リフ様にこのような無様な姿をお見せするなんて。」
「『様』はいらないよ。でも、どうして急に倒れちゃったの?」
「単に、あまりにも大きなイメージ差を受け入れきれず、衝撃で身体の安全装置が切れただけだ。マヒラ本人の問題であって、お姫ちゃんのせいじゃない。」
メルバノは不機嫌そうにブエンビを睨みつけた。
「当然でしょう?『ナセルさん』の正体が小さな女の子だなんて想像もしていませんでしたし、ましてやリフ様の御身分があれほど尊いものだとは。」
「だから『様』はいらないってば。ブエンビがウスタドに敬語やめろって言いたくなる気持ち、ちょっと分かったかも。」
リフは少し不満そうに頬をふくらませる。その仕草はブエンビとウスタドには愛らしく映ったが、メルバノはむしろ耐えきれない様子で顔を覆ってしまった。
「以前、何度かあなたを子どもっぽいと感じてしまい、失礼だと思っていたのです……まさか本当に、これほど幼く愛らしいお方だったなんて……。叔父から『気にするな、普段通りに接しろ』と言われても、到底すぐには無理です。まるで天の月が目の前に降りてきたようで、到底現実とは思えません。」
「あ、わたしちょうど月――」
「待て、お姫ちゃん。それ以上続けると話が進まなくなる。さっきは非常事態だったが、何度も気絶するマヒラの相手はごめんだからな。」
「うぅ……分かった。じゃあ、いったん席に戻ろっか?」
四人が再び席に着き、向かい合う。今度は正面の二人の視線が完全にリフへ集中していた。再び事故が起きるのを心配したリフは背筋を正し、少し改まった口調で改めて自己紹介をする。
「私はリフ。ブエンビと一緒に旅をしている天族だよ。まだ大人の天族みたいに自由に姿を変えられないから、『ナセル』っていう姿を作っていただけなの。だから、これからも『ナセル』に接してくれていた時と同じように接してほしいな。じゃないと、ちょっと寂しいから。」
「……正直に言えば、まだすぐには慣れそうにありません。ですが、できる限り早く受け入れられるよう努力いたします。」
メルバノの顔色はまだやや青白いものの、少なくとも再び気絶しそうな様子はない。一方で、何かを思い出したウスタドの表情には、迷いと落胆が影を落としていた。
「リフ様。もし『ナセル』があなたの作った姿だというなら……旅の途中で私に語ってくださった数々の経験も、作り話だったのでしょうか?」
「ううん、あれは全部本当だよ。私とブエンビが主従関係じゃないってところ以外は、ウスタドに話したことは全部、大荒漠での本物の冒険なの。ブエンビは案内も護衛も料理もできる、強くて頼れる旅の仲間なんだよ!」
「!!そうでしたか、疑ってしまい申し訳ありません!やはりブエンビさんは大変尊敬に値するお方ですね!」
ブエンビは、さらに輝きを増したウスタドの視線を黙って受け止めながら、もはやツッコミを入れる気力すら失っていた。ただ会議の件を謝罪したかっただけなのに、なぜここまで話がこじれているのか理解できない。
「——ところで、ウスタドはずいぶん落ち着いているのですね。ナセルさんが実は小さな女の子だったという事実に、あまり驚いていないようですが?」
少し冷ややかな声音とともに、メルバノが静かに興奮気味のウスタドへ視線を向ける。だが当の本人は危機を察することなく、高揚のまま胸中を正直に語ってしまった。
「いえ、私も本当はとても驚いていますよ。ただ、メルバノが倒れたのを見た時、ここで私まで醜態をさらすわけにはいかない、ブエンビさんの前では格好を保たねばと——ぶふぉっ!?」
「ふふふ……なるほど。先ほどまでは紳士的な方だと思っていましたが、少し評価を修正する必要がありそうですね。」
腹を押さえて苦しげにうめくウスタドを、ブエンビとリフはそろって呆然と見つめ、暗黙の了解で沈黙を選んだ。
リフは暴力は良くないと思っている。だが今回はウスタドが完全に自業自得だったため、特に庇う気にはならなかった。ブエンビも同じ理由で、ただ静観を決め込む。
「……あ、あの外見の下に……あれほど強烈な拳が隠されているとは……」
「何か言いたいことでも?遠慮せず大きな声で言ってみたら?私、けっして王族の権力を乱用して不敬罪になんてしませんから。」
「……絶対に拳で直接解決する気ですよね……」
「声が小さくて聞こえませんね。だから言ったでしょう?お・お・き・な・声・で。ねえ、ウスタド?」
「な、なんでもありません!」
「ふふ、それならよろしいです。」
堂々たる脅――いや、友好的な「交流」を経て少し機嫌を取り戻したメルバノが、再び会話に加わった。
「叔父は会議参加者全員に緘口令を敷きましたので、お二人に関する情報は当面伏せられるはずです。ただ、ショルパンの様子が少し気になりまして……一つ確認させてください。」
「ショルパン?何かあったのか?」
「異能の暴走を抑えようとして反動を受けたそうです。数日休めば回復する程度ですが……彼女も含め、他の者たちのブエンビさんに対する印象は、あまり良いものではなくなっています。」
「あ——!そうだ、メルバノ!会議で怪我人は出てないよね?参加者は安全な場所へ移したはずだけど、その後の様子までは確認できなくて……」
「ご安心ください。死傷者は一人もいません。叔父上がすでに議事堂の修繕を手配しており、数日で再使用可能になるとのことです。」
「そっか、よかった。フェレドゥン王がいろいろ対応してくれたみたいだね。」
「ショルパンの性格と、他の神器継承者への影響力を考えると、早めに疑念を解いた方が良いでしょう。彼女は以前、ブエンビさんの力は人間離れしていると話していました。その強さは、リフ様の影響によるものなのでしょうか?」
リフは不思議そうに瞬きをし、銀白の長い髪がふわりと波打つ。
「それは絶対に違うよ!ヴァン——えっと、とってもすごい長者が言ってたの。ブエンビは継承の過程で起きた先祖返りみたいな現象のおかげで、血呪術の始祖継承者に近い力を持ってるんだって。私が手伝わなくても、ブエンビは最初からすごく強いんだよ。」
「『とてもすごい長者』、ですか。分かりました。その言葉の重みなら、ショルパンも十分納得するでしょう。今夜中に伝令を出します。」
「うん、それなら安心だね。それと、この覚醒薬をショルパンに渡してもらえる?今回の騒ぎのお詫びってことで。」
澄んだ液体の入った小瓶が魔力によってふわりと浮かび、メルバノの前へ静かに降り立つ。形状と薬の色に見覚えのあったメルバノは、一瞬息を呑んだ。
「……リフ様。もしかして、これは私とウスタドが以前いただいた薬と同じものですか?」
「そうだよ!人間種にはすごく貴重な薬みたいだし、効果もばっちり。ショルパンもきっと喜んでくれると思う!」
メルバノは薬瓶を握りしめ、何度も深呼吸を繰り返した。ようやく落ち着きを取り戻すと、わずかに震える手でそれを携帯用の袋へ収める。
「……はい。きっと喜ぶでしょう。今夜中に必ずショルパンへ届けます。」
「うんうん、これで一件落着だね!ほかにも聞きたいことがあったら、何でも聞いていいよ!」
「いえ、もう結構です。ウスタド、あなたは?」
「私もありません。ブエンビさんがどれほど偉大なお方か知ることができて、私はすでに——」
「ないならここまでにしよう。お姫ちゃん、続きは明日の朝でもいいか?」
ブエンビは容赦なくウスタドの言葉を遮り、リフへ「早く帰してくれ」と言わんばかりの視線を何度も送る。彼の疲労と辟易した感情を察したリフは、素直に話を合わせて席を立つ理由を探した。
「うん、いいよ。ちょうど厨房から料理の煙も上がってるみたいだし、夕食の時間を邪魔しちゃ悪いもんね。私とブエンビは自分たちで夕食を用意するから、二人はもう戻って大丈夫だよ。」
「承知しました。それでは、これで失礼いたします。行きましょう、ウスタド。」
「はい……リフ様、ブエンビさん。どうかごゆっくりお過ごしください。」
口では別れの挨拶をしながらも、名残惜しそうに鈍る足取りが、共に夕食を取れない残念さを雄弁に物語っていた。しかし彼はすぐ、メルバノに半ば強引に引きずられる形で部屋を後にした。
⋯⋯⋯⋯
二人が去ったのを確認すると、ブエンビは疲れ切った顔のままソファへどさりと倒れ込んだ。
「……まったく、勘弁してくれ。あの二人はいったい何なんだ?ウスタドはまだしも、あの娘まで目が腐ってんのか?」
「え~?私はウスタドの言ってたこと、すごく分かるけどなぁ。ひょろひょろで筋肉もない人間種の男の人より、ブエンビみたいなタイプのほうがずっとかっこいいよ!」
「……お姫ちゃん、お前までかよ。なあボス、世界のほうがおかしいのか、それとも俺のほうか?」
「お前の自己認識は極めて正確だ。リフの評価には、お前と旅を重ねる中で育まれた信頼が含まれている。」
「そうですかい。そりゃどうも、ありがとうございますよ……」
珍しく上司に肯定されたというのに、ブエンビの気分はまったく晴れない。完全に力を抜いて寝転んだまま起き上がろうとしない巨漢を見て、元気づけたいリフは這うように近づき、その腕にぎゅっと抱きついた。
「ブエンビ、ブエンビ~。さっき探してみたらね、腕輪の中に兄ちゃんが作ってくれたウルクイ料理が入ってたの。デザートもあるよ!今夜は宮廷料理の代わりにこれを食べよう?」
「ダメだ、お姫ちゃん。レアーがわざわざ作ってくれたもんを、こんな形で消費したくねぇ。適当に済ませりゃいい。」
「もったいなくなんてないよ!兄ちゃんは、私がいつでも自分の料理を楽しめるようにって作ってくれたんだもん。それに、ルサナティへ戻ったらまたお願いできるしね。だから一緒にちゃんと食べて、お腹いっぱいになって元気出そう!」
ブエンビの返事を待つことなく、ソファから飛び降りたリフはすぐさま食卓へ駆け寄り、準備を始めた。
野菜サラダ、フェセンジャン、|サフランリゾット《Chelow Zaferan》――主菜はあっという間にテーブルいっぱいに並べられていく。さらに食卓を豪華にしようと、小さなワゴンまで取り出し、バクラヴァやパシュマクといった高級菓子を丁寧に載せていった。
鼻歌を歌いながら動き回る小さな背中を、ブエンビは遠目に眺めたまま、なお立ち上がらない。
――なぜなら彼は、胸の奥から噴き上がる激しい怒りを、鎖で押さえつけていたからだ。
「……おい、ヴァンユリセイ。」
「リフは現在、レアーティヌに関する記憶の半分しか取り戻していない。彼女は自らの力で、レアーティヌの結末へ辿り着かねばならない。」
「ヴァンユリセイ。てめぇ▉▉▉▉▉▉、▉▉▉▉▉▉▉▉▉▉▉。」
「罵倒の技術は向上している。次回も励むといい。」
「……」
ブエンビの怒りは、ゆっくりとした拍動のようなリズムで燃え続けていた。
もし今、リフが注意深く観測していれば、その怒りの正体に気づけたかもしれない。
それはかつてウランが幽界で鎖を振るった時と同じ――極度に抑圧され、制御され、微細でありながら、厚い灰に覆われたまま世界すら焼き尽くしかねない燎原の火種。
だが……今回もまた、リフは観測の機会を逃した。振り向いた時、こちらへ歩み寄る巨漢はすでに――守るべき存在へすべての優しさを注ぎ込み、その裏で自身の狂気を覆い隠す「守護者」の姿へ戻っていた。
「できたよ、ブエンビ~!一緒に兄ちゃんの料理食べよ!」
「……ああ。すごくうまそうだな。いただこうか。」
……わかってる。きっと、あなたは私がこんなことをするのを嫌がる。だけど今は、どうしても主観的な意見を挟みたくなった。
このままだと、ブエンビは――あの洞窟にいた頃のウテノヴァと同じになってしまう。鎖で自分自身を無理やり縛りつけ、リフに合わせ続けて、結局はリフだけが楽しんでいるような状況に戻ってしまう。
今の私は、リフの視界に干渉するつもりはない。けれど、リフが大好きな兄ちゃんの料理を一緒に分かち合いたいと思ったのは、レアーと縁を持つブエンビだからこそなんだ。
このままで、本当にいいの?たとえほんの少しでも、命軌の大きな流れとは無関係な干渉ですら、許されないの?
「リフ。五分後に、もう一度この部屋の扉がノックされる。準備しておいて。」
「?ヴァンユリセイ、メルバノさんたちですか?」
隔絶状態に入った鎖を揺らしながら、リフは不思議そうに顔を上げ、ブエンビを見た。だが当の本人も事情が分からない様子だった。魂声を送っても、まったく返答が得られなかったからだ。
状況を確かめるため、リフは空間感知を北塔の外へと拡張する。塔の外、ほど近い回廊を――メルバノとウスタドが焦った表情でこちらへ駆けてくる光景が、彼女の視界に映り込んだ。
「ブエンビ。あの二人、すごく急いでるみたい。夕食はいったん延期して、待っていましょう?」
「ああ、問題ないよ。」
それから五分後。すでに扉の前で待っていたリフは、メルバノが手を上げてノックするよりも早く、扉を開いた。
呆然とした表情の二人へ向け、リフは愛らしい笑みを浮かべる。
「どうしたの?何かお手伝いが必要?」
「はい。その……」
メルバノとウスタドは顔を見合わせた。しばらく逡巡したあと、メルバノは小さく息をつき、ゆっくりと用件を伝える。
「実は……祖母から、ひとつお願いを預かりまして。私たち四人で、ぜひ一緒に夕食を取らないか、と。」
「……え??」




