白昼夢
──直人、起きなさい!──
母の声が部屋中に煩く響く。ふと、強い眠気が直人を襲う。
高校2年生の隅田直人は、再び目を覚ますと普段と何ら変わらない寝室の天井が視界に入った。しかし、直前の記憶はすっぽりと抜け落ちていて、5畳ほどの寝室のベッドにただ一人横たわっていた。母の声は聞こえない。部屋を出たものの母は見当たらない。時計の針は7時半頃を指していた。何かいつもと違う異様な雰囲気が佇んでいた。
辺りを見渡してみる。食卓には、まるでつい数分前に用意されたかのように、きれいに朝食が並べられている。──母親の姿はどこにもないのに。リビングには微かにラベンダーの香りが漂っていた。テレビをつけてみる。そこに映し出される「2158年」という文字。これが本当であれば100年も未来へ来てしまったことになる。しかし、現代と何一つ変わらないように見える家電や家具。本当にここは2158年なのか?見間違いではないのか?そういった考えが頭をよぎったが、見間違いではなさそうだ。少しお腹が空いてきた。自然と食卓に目がいく。初めは躊躇ったものの直人は我慢できず、食卓に並べられた朝食に手をつける。母はなんでもかんでも安易に手をつけるな、とよく言うが無理なことである。香ばしいトースターの香り。輝くチーズに唾液が止まらない。食べてみると、外側はサクサクしているのに内側はモチモチしていて、とてもおいしい。朝食を済ませた直人は家の外に出てみる。そこに広がるのはいつもと同じ、現代と何一つ変わらない建物の数々。しかし、やけに人気が少ない。なぜだ。母もいなかった。いつもなら煩わしく感じる母が急に恋しくなってきた。そうだ、学校へ行ってみよう。そうすれば誰かがいるかもしれない。直人は歩いていつものように学校へと向かう。しかし本当に人気がない。車も見当たらない。電車も動いていない。灼熱の太陽が容赦なく直人を照りつける。そこへ生暖かい風も吹いてくる。ようやく学校へ着いた。先生の姿もクラスメイトの姿も見当たらない。校門を抜け昇降口へ向かってみる。なんと鍵が開いていた。重い扉を開き、廊下を渡って、2年生のクラスがある2階へと階段を駆け上がる。直人のクラスは2年3組だった。3組の教室へ辿り着いた。鍵はかかっておらず、ドアを開くとそこには1人で窓の外を眺めている少女がいた。よかった。自分以外にも人がいた。心のなかで安堵する直人。恐る恐る声を掛けてみる。
「こんにちは。」
こちらを振り向いた少女は小さい声で「こんにちは」とだけ返す。何か話さなければ…
「あの、名前は?」
少女はゆっくりと声を絞り出す。
「橘葵衣…」
「あなたは?」と聞き返す。
「えっと、俺は隅田直人。」
「橘さんはどうしてここに?」
葵衣は、不安げにしかし先ほどよりも少し大きな声で話しだす。
「それが…自分でもよく分からなくて。目が覚めたら誰もいなくて…」
「俺もです。起きたら母さんがいなくて。」
冷静さを取り戻した葵衣は1つの提案をする。
「ひとまず、校舎で何か手がかりがないか探ってみませんか?」
「わかりました。そうしましょう。」
とりあえず校舎を探索することにした2人。特別教室を中心に探索を進めていく。理科室、美術室、木工室と見ていく。すると、音楽室のピアノの鍵盤の上に1枚の手紙があることに気がついた。
─これを見た者へ─
この手紙を読んでいるということは、君も私と同じようにこの静寂に包まれた異様な世界に送り込まれた人間か。私はこの世界に来て2週間ほど経った。この世界には現代でも未来でも、はたまた過去でもない異様な時の流れが佇んでいる。私は街で1番大きいショッピングモールの屋内に住むことにした。これを見た者は私のもとへ来てほしい。
─藤堂宗一朗─
読み終わった直人がゆっくりと尋ねる。
「どうしますか?」
葵衣は冷静で落ち着いた口調で提案する。
「ここにいてもすることはないですし、とりあえず行ってみませんか?」
校舎を背にゆっくりと歩き出す。
相変わらず静寂に包まれる街中。2人を強く照りつける太陽。汗が額を伝っていく。まもなくして、ショッピングモールが見えてきた。ショッピングモールのなかへ入っていくと冷房が効いていて、冷たい風がエントランスを吹き抜ける。しかし、心地よい空間ではなくどこかひんやりとした肌寒さを感じる冷たさであった。手紙をもう一度細部まで読み直すと、「3階の開けたホールで待っている」とのことだった。半信半疑でエレベーターに乗り込んで、少し汚れた3番のボタンを押す。「3階です」というどこか不気味にも聴こえる音が響き渡る。少し歩くと手紙にあった通りの開けたホールがあった。手紙の著者である藤堂らしき人物は、落ち着いた雰囲気の西洋レストランで早めの昼食をとっていた。店内へ入ると藤堂の方から挨拶を交わしてきた。
「ごきげんよう。私が藤堂宗一郎だ。まさか本当に誰かが来てくれるとは思ってもみなかったよ。」
紳士的な笑みを浮かべて、席を立ち上がる。
「君たちも私の料理を食べないか?暑いなか、歩いてきてお腹も空いただろう。」
藤堂に急かされ椅子に腰かける2人。しばらくすると、テーブルの上に涼しげなガラス器に注がれた白濁のビシソワーズと、鮮やかな夏野菜が彩るローストビーフの一皿が運ばれてきた。ほのかにハーブが香る冷たいスープが、渇ききった喉を心地よく潤していく。
「口に合うといいのだが。」
藤堂は優雅にナイフとフォークを動かしながら、目を細めてこちらの様子を窺っていた。
直人はまたもや我慢できずに一口、また一口と料理を口へと運ぶ。一方で葵衣はその場で料理をじっと見つめていた。直人は料理を半分ほど食べ進めたところで、ゆっくりと口を開く。
「橘さんは食べないんですか?」
「私はまだお腹が空いてないので結構です。良ければ私の分も食べますか?」
「良いんですか?それなら遠慮なく頂きます。」
再び静寂が訪れる。店内にはクラシックも流れず、ただフォークとナイフが皿に当たる音だけが響いていた。




