第15話 暁
焼けたパンのにおいで、目が覚めた。
夜中の見張りを終え、もう1度眠っていたらしい。窓のすき間から、細い朝日が差し込んでいる。
剣を腰へ下げて階段を降りると、食卓には5人分の皿が並んでいた。
「おはようございます、ユグリス様」
ローズが鍋から顔を上げる。
「朝食、もう少しでできますよ」
「手伝うことは?」
「では、コップをお願いできますか」
棚から昨日買ったコップを取り出す。隣では、アイリスがパンを切り分けていた。
命令を受ける前に食事を済ませ、武器を確かめて待つ。そんな朝とは違う。
今日の予定は、俺たちが決める。
「登録できたら、今日から仕事を受けるんですか?」
席に着いたリリーが聞いた。
「近場でできる依頼があれば、受けてみようと思ってる」
「西門から出れば、森へ続く道があります」
マリーが、食卓の端へ地図を置いた。
「採取に向かう人も多い場所です。今の魔物の状況は、ギルドで確かめましょう」
「そうだな。まずは日帰りで」
家賃は払ってある。当面の金にも困らないが、それを使い続けるだけでは先がない。
働いて、暮らしを続ける。そのための足場を作りたかった。
「ただ、最初から目立つ稼ぎ方はしない。ギルドでは、無理のない依頼を少しずつこなそう」
「ええ。実力を見せるために来たわけではありませんから」
アイリスの言葉に、3人もうなずいた。
地図を見ているうちに、いくつか道順が浮かぶ。同じ方角の依頼をまとめて受ければ、移動の無駄も減らせる。帰り道でもう1件――。
「ユグリス様」
目の前へ、湯気の上がるスープが置かれた。
「まず、温かいうちに食べましょうね」
「……ああ」
仕事を詰め込むのは、前の人生だけで十分だったはずだ。
危ない。自由になった途端、自分で自分に残業を命じるところだった。
誰も追加の依頼を持ってきていないのに、どうして俺が増やそうとするんだ。
俺は地図を畳み、スプーンを取った。
◇
大通りの冒険者ギルドへ入った。依頼の掲示板と受付が並び、武装した冒険者たちでにぎわっている。
その視線が、こちらへ集まった。
正確には、俺の後ろに続いた4人へ。
紫の髪を揺らすアイリス。小柄で目を引くリリー。落ち着いた笑みを浮かべるローズ。そして、槍を携えた端正な顔立ちのマリー。
昨日も何度か振り返られたが、ここでは特に分かりやすかった。話の途中で口を止めた男までいる。
「……ずいぶんいいご身分だな」
どこかで、そんな声がした。
聞こえなかったことにして、空いている窓口へ向かう。
いいご身分、か。ここまで来るのに払ったものを説明する気はない。4人が目を引くことは、俺にも分かっている。見とれたまま歩いていたら、自分もあの連中と大差ない顔になるだろう。歩調を変えず、受付へ向かった。
「すみません。冒険者登録をしたいんですが」
「はい。初めてのご登録でしょうか?」
茶色の髪を肩の辺りでそろえた、眼鏡の女性が顔を上げた。丸い目元が柔らかく、笑うとかわいらしい。
「担当のミラです。よろしくお願いいたします」
「ユグリスです。5人とも初めてなので、登録をお願いします」
「5名様ですね。パーティも一緒に登録なさいますか?」
「はい。5人で仕事を受けるつもりです」
ミラは5枚の用紙を取り出し、記入する場所を示した。
名前、年齢、使用武器。仕事を紹介するため、得意なことも簡単に聞かれる。ステータスを見せるようには言われなかった。
俺は剣と書いた。ほかの4人も、自分の武器を記入していく。
「新規登録は、皆さんEランクからの開始です。昇格は依頼の実績などを確認して判断しますので、経験があっても最初は同じになります」
「分かりました」
今さら肩書のために力を見せつける必要はない。
用紙を返そうとしたところで、ミラが別の欄を指した。
「パーティ名は、どうなさいますか?」
「名前……」
考えていなかった。
服も、武器も、金も確認した。登録に来るのに、名前だけ抜けていたとは。
俺の準備も、案外穴だらけだ。用紙を置き、顔には出さずに候補を探した。
隣のリリーを見ると、彼女もこちらを見上げていた。
「5人まとめて呼ばれる名前ですね。……考えてなかったな」
「少し相談してもいいですか?」
「もちろんです」
窓口の脇へ寄り、4人と顔を合わせる。
個人の名前は、自分たちで選んだ。今度は、5人で名乗る名前だ。
朝の食卓が浮かんだ。窓から入っていた光。起きてきた仲間へ、おはようと言える暮らし。
「……常闇の暁、はどうだ」
「とこやみの、あかつき」
マリーが、静かに繰り返す。
「ああ。ずっと明けないと思っていた夜にも、朝が来たからな」
4人の顔を見た。
「これからの俺たちには、合ってると思う」
アイリスが、胸元へそっと手を添えた。
「はい。私は、その名前がよいです」
「ぼくも。呼ばれたら、ちょっと背筋が伸びそう」
「わたしも好きです。これからが楽しみになる名前ですね」
ローズに続き、マリーもうなずいた。
「わたくしたち5人の、始まりですね」
窓口へ戻り、用紙の空欄を埋める。
「《常闇の暁》でお願いします」
「はい。では、こちらのお名前で登録いたします」
ミラは記入を確かめ、笑顔でうなずいた。
渡された5枚の登録証には、それぞれの名前とEの文字が刻まれていた。
◇
「西の森で、日帰りで受けられる仕事はありますか?」
登録を終えて尋ねると、ミラは依頼の紙を2枚並べた。
「でしたら、薬草の採取と、こちらの牙狼の討伐はいかがでしょう。どちらもEランクで受けられます」
薬草はシロハ草。葉の裏が白く、傷薬の材料になるという。ミラが見本の乾燥葉を出し、採る時の注意も説明してくれた。
「根は残して、葉を採ってください。似た草もあるので、迷ったものは別に分けて持ってきてくださいね」
ローズが葉を裏返し、形を確かめる。
「ありがとうございます。覚えました」
「牙狼は森の浅い所にも出ます。討伐の証明は左右の牙ですが、魔石や、状態のよい毛皮なども買い取れます」
続いて、ミラは地図の小道を指した。
「群れで動くので、囲まれないよう気をつけてください。大きな個体が混ざっていたら、無理に戦わず戻って報告を。採取だけでも、仕事になりますから」
「分かりました。気をつけます。では、両方お願いします」
食料と採取用の袋を確かめ、外へ出る。
西門へ向かおうとしたところで、3人の男が前に立った。
さっき、壁際のテーブルにいた連中だ。
「よう。登録は終わったのか?」
真ん中の大柄な男が、しまいかけていた登録証へ目を落とした。
「Eか。俺たちはDだ。この辺のことなら、教えてやれるぜ」
「それはどうも」
脇を通ろうとすると、男が半歩動く。
見ているのは、俺ではなかった。
「なあ、姉ちゃんたち。今夜、俺たちの酒の相手をしねえか?」
「いい店、知ってるぜ。なんなら朝まで付き合ってくれてもいいんだがな」
隣の細い男が、にやにやしながら続ける。
「結構です。仕事がありますので」
アイリスは、短く答えた。
「そんな堅いこと言うなよ。初日くらい、先輩に付き合ったらどうだ?」
リリーが目を細めた。ローズは困ったように息をつき、マリーは黙って男たちを見ている。
男たちは、4人の表情が変わったことにも気づいていない。
「断られただろ。道を空けてくれ」
これ以上騒ぎを大きくしたくなかった。だが、男は動こうとしない。
大柄な男は、俺を見て鼻を鳴らした。
「お前には聞いてねえよ。俺は姉ちゃんたちと話してるんだ」
「その返事が、今の断りだ」
「姉ちゃん、こいつに気を遣うことねえんだぜ」
男がアイリスの肩へ手を伸ばす。
触れる前に、その胸ぐらがつかまれた。
「……ぐっ?」
アイリスの片腕が、すっと上がる。
男のかかとが石畳から浮いた。襟が首元へ食い込み、笑っていた口が半開きになる。
「は、離……っ」
男は両手で彼女の手首をつかんだ。力任せに振り払い、引き離そうとする。
動かない。
アイリスの腕も、足も。まるで男の方が、地面に据えつけられた柱を揺らそうとしているようだった。
残る2人が動きかける。
アイリスが目だけを向けた。
殺気が、冷たく空気を刺した。
2人の顔から笑みが消える。片方は腰の剣へ伸ばしかけた手を止め、もう片方は後ずさって壁に背をぶつけた。
「断ったはずだ。次はない」
声は低く、冷たかった。




