第1話 覚醒
10月10日連載開始
初日、9話投稿いたします(^^)
よろしくお願いします!
皇帝陛下のためなら、この命を捧げられる。
大陸全土を、陛下の御旗の下に。
その覇業を阻む者を、我らは人知れず葬る。
王であろうと、貴族であろうと、帝国に背いた同胞であろうと。
命令が下れば、そこへ赴き、殺す。
我らは決して表には出ない。
勝利を讃えられることも、死を悼まれることもない。
それでよかった。
この命は、皇帝陛下のものなのだから。
◇
「対象の処理は完了しました」
人を殺した報告をしている最中に、頭の中で声が響いた。
『固有スキル《解放》が発現しました』
『洗脳から解放されました』
『前世の記憶が解放されました』
頭の奥を締めつけていたものが、ふっと消えた。
白い蛍光灯。机に積まれた書類。冷めた弁当。
夜中になっても鳴りやまない携帯電話。
「大樹。悪いけど、これも今日中に頼むわ」
大樹。
そうだ。俺の名前は――。
待て。洗脳って、なんだ。
今の声を問い返すより先に、目の前から別の声が落ちてきた。
「No.8。続けろ」
低い声に、息が詰まった。
目の前にあるのは、会社の机ではなかった。冷たい石床。その上についた、自分の膝。
黒い服と手袋。右腕には金色の「8」が、小さく刺繍されている。腰には剣。顔の下半分は厚い黒布で覆われている。背後には、4人の部下が控えていた。
書類から目を上げた男と、視線が合う。
皇帝直属暗部統括官、ゲルハルト・ヴォス。
灰色の髪を後ろへなでつけたこの男の前に、俺は何度もひざをついてきた。
「回収品は、指定の保管庫に収めました」
考えるより先に、口が動いた。
声が少しも震えていない。
頭の中は、こんなにめちゃくちゃなのに。
誰か説明してくれ。頭の中では、そればかりだった。なのに口は、俺の混乱を置き去りにして報告を続けている。
夜の廊下。抜いた剣。命令書にあった顔。
逃げようとした男を壁へ押しつけ、剣を突き立てた。服に広がる血。俺の腕をつかんでいた手が、力を失って落ちる。
殺した感触まで、覚えている。
その時の俺は、皇帝の敵を始末したと信じていた。命令の正しさを疑うことさえなかった。
殺せと言われて殺し、戻れと言われて戻ってきた。
俺は、次の命令を待っていたのだ。
息を細く吐き、膝の上の手が震えていないか確かめた。
「けがは」
「任務に支障はありません」
「よろしい」
ヴォスが書類へ目を落とす。その隣で、細身の男が俺を見ていた。
白い手袋。銀縁の眼鏡。口元だけに浮かぶ笑み。
暗部管理責任者、セヴェリン・クロイツ。
そいつの顔を見た途端、手首が痛んだ気がした。
拘束具で締めつけられた手。冷たい床。助けを求めても開かなかった扉。
「まだ声が出るでしょう。返事をしなさい」
何度も繰り返された拷問。泣いても、謝っても終わらなかった。何を答えれば許されるのか、そればかり考えていた。
今は何もされていない。それでも、背中に汗が流れた。
「No.8。こちらを見なさい」
顔を上げる。
「今日は反応が遅いですね」
――気づかれるな。
「失礼しました」
「謝れとは言っていません。異常があるかどうかを答えなさい」
「異常ありません」
白い手袋の指が、俺のあごを持ち上げた。
抵抗するな。息も止めるな。
こうして顔を確かめられることは、何度もあった。あの時と同じように、相手の目を見て待てばいい。
クロイツは、しばらく俺を眺めていた。
「……記録では、今日で18歳でしたね」
「はい」
「成長しても、命令への忠実さは変わりませんね。君は、よくできた道具です」
指が離れた。
道具。
さっきまでの俺は、それを褒め言葉だと思っていた。
腹の底が、かっと熱くなる。
前の人生では、便利な社員だった。帰ろうとすれば仕事を積まれ、断れば困った顔をされた。
今度は、断ろうと考えることさえ奪われた。
2度目の人生まで、勝手に使ってんじゃねえよ。
怒鳴りたいのをこらえ、いつもどおり顔を伏せた。
「管理は後にしろ、クロイツ」
ヴォスが書類を閉じる。
「ゼルガディウス皇帝陛下から、次の命令だ」
その名を聞いても、もう忠誠は湧いてこなかった。顔を伏せたまま、次の言葉を待つ。
「帝国を裏切った財務官が、西のヴァルディア王国へ逃げている。帳簿を持ち出した疑いがある。お前の班で回収しろ」
「承知しました」
「出発は明朝。夜明け前に、通る道と対象の居場所を伝える。それまでは施設内で待機。装備を整えておけ」
「はい」
明日の朝には、ここから出られる。
正式な命令で、4人を連れて。
胸の奥に、わずかな熱が灯った。
まだ、終わりじゃない。
「No.41」
クロイツが俺の背後へ声をかけた。
「はい」
赤い髪をフードに収めたNo.41が、穏やかな声で答える。《再生》を持つ、背の高い女性だ。
「けが人を治療室で待たせています。いつもどおり、任務に使える状態まで治しなさい」
「承知しました」
「顔や古い傷跡には手をつけないように。君たちに、見栄えは必要ありません」
「はい」
仲間の痛みには気を配る彼女も、この命令を疑わない。
「終えたら、そのまま自室で待機しなさい。君たちの居場所は、この施設か任務先の闇の中です。化け物に、ほかの居場所は必要ありません」
化け物だと?
右手が剣へ伸びかけた。
こらえろ。
膝に置いたまま、指の力を抜く。
背後の4人は、俺の配下であり、何度も一緒に任務をこなしてきた。だが、帝国に命じられれば俺を取り押さえる。
俺への信頼より、皇帝への忠誠が必ず勝つ。
今、剣を抜けば、あいつらとも戦うことになる。
「下がれ」
俺たちはそろって頭を下げ、体に染みついた手順どおりに部屋を出た。
◇
窓のない地下施設を、照明の魔道具が白く照らしている。ここを知るのは皇帝と一部の上層部だけだ。
すれ違う暗部にも、無口な奴や皮肉屋がいる。仲の良し悪しだってある。
ただ、皇帝に仕えることだけは、誰も疑わない。
No.41が治療室へ向かう。呼び止めずに見送り、残る3人とも別れた。
自室には、ベッドと机、装備を掛ける金具しかない。
扉を閉じても、気は抜けなかった。誰かが来るかもしれない。監視されている可能性もある。
いつもどおり剣を外し、手袋を取った。
手首を1周する、拘束の跡。袖の下へ続く火傷。形の違う傷が重なり、その上を別の傷が横切っている。
胸も背中も、同じだった。
傷跡を見ていると、別の手が浮かんだ。
まだ傷のない、小さな俺の手。それを包む、母の温かい指。
「アルヴィン。こちらへいらっしゃい」
今度は、この世界での記憶だった。
リュゼリア王国の王妃、セリーナ・リュゼリア。その隣で笑っていたのは、父のエドガル国王。
俺は、あの国の第1王子だった。
アルヴィン・リュゼリア。それが、奪われた名前だ。
8年前、俺が10歳の時に帝国が攻めてきた。
扉の外で響く怒鳴り声。剣を抜いて前に立った父。俺を抱き寄せた母の腕。
次に浮かんだのは、床に倒れた2人だった。
呼んでも、揺すっても、返事がない。母の服をつかむ俺の手を、帝国の兵が引きはがした。
「この子供は殺すな。《配下》スキルは使える」
言った奴の顔は思い出せない。その言葉だけが、耳に残っている。
王族は、俺を除いて皆殺しにされた。施設へ連れてこられたばかりの頃、そう告げられた。
その記憶まで、洗脳で封じられていたのだ。
母の手が冷たかったことを、今になって思い出す。
胸の奥で、何かが崩れた。
泣きたかった。あの時の子供に戻って、2人にすがりつきたかった。
机に置いた手を見つめ、息を整える。顔を伏せても、声は漏らさなかった。
……なんで、今なんだよ。
父上。母上。
名前を呼ぶことさえ、頭の中でしかできない。誰かに聞かれるかもしれない。その心配をしている自分が、たまらなく惨めだった。
8年だぞ。
2人を殺した国に、俺は8年も――。
父と母を殺した国に、剣を教えられた。
人の殺し方を覚え、その国に尽くすことを誇りにして、8年も生きてきた。
机に拳を叩きつけたかった。あの部屋へ戻って、ヴォスとクロイツの首をはねたかった。
握りしめた手を、もう片方の手で押さえる。
ここで暴れたら、また捕まる。あの椅子に縛られる。父と母のことまで、もう1度忘れさせられるかもしれない。
それだけは、嫌だ。
ゆっくり息を吐き、机に置いた手を開いた。胸の中の叫びは、少しも収まらなかった。
鏡はない。それでも、洗うたびに触れる顔のでこぼこを知っている。頬からあごへ広がる火傷の跡。皮膚をはがされ、最低限の治療だけでふさがれた場所。傷は厚く盛り上がり、口元も左右で形が違っていた。
無事な肌を探す方が難しい。かつての自分を知る者が見ても、同じ顔だとは思わないだろう。
あいつらは、この顔を作ってから、俺たちを化け物と呼んだ。
治す力まで手元に置きながら、元の顔に戻ることを禁じて。
部下の4人も、廊下ですれ違った者たちも同じだ。
能力の高い子供を、好待遇を約束して集める。時には、さらってくる。
拷問で抵抗を奪い、名前を奪い、過去を封じる。皇帝の命令に逆らうことなど考えられないように、頭の中まで作り替える。
帝国は、それを育成と呼んでいた。
もう、知るか。
皇帝の都合も、帝国への忠誠も。
俺はここを出る。温かい飯を食って、眠りたい時に眠って、自分の足で好きな場所へ行く。
その前に何をしなければならないのか、まだ整理もつかない。怖さも怒りも、少しも消えてくれない。
それでも、明日の朝には外へ出られる。
外した手袋を、いつもの手順で掛け直した。
顔に出さずに動くことだけは、嫌というほど仕込まれている。今夜くらいは、それが役に立つ。
あと一晩。あいつらの前では、よくできた道具のふりをしてやる。
今度の任務から、俺は帰らない。
お読みいただきありがとうございます。
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