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11.王子の騎士は、文字のない恋文を貰う

 翌日。エリックが目を覚ましたのは、昨日眠りについたのとほぼ同じ時刻だった。

 明らかに寝すぎていたが頭はすっきりしており、頭痛も消えていた。

  しかし、胸の中に残る喪失感は消えることなく、エリックを深い哀しみへと引き込んでいる。


 ……それでも、完全に絶望しているわけではない。


 心の奥には、かすかな希望の光が揺れている。

 朝の静寂の中で、エリックはその一縷の望みにすがりつくように深呼吸をし、空の色が薄明るく変わり始める中、新たな一日を迎える準備を始めた。


 ゆっくりと身支度を整えたエリックは、時計を見てまだ時間が早いことに気付いた。

 食堂もまだ空いておらず、執務室に向かう気分でもない。


 となれば──


(……体でも動かすか)


 さすがに昨日のようにジェレマイアのもとに突撃することはできないエリックは、訓練場へと向かうことにした。

 昨日は寝不足のせいで判断を誤ったが、夜と朝の境界のような空が薄暗い時間帯に、一国の王子へ謁見を求めるのは、不敬極まりない行為だ。


 エリックにとっては緊急だったが、ジェレマイアにとってはそうではなかったのだ。幸いにも彼は許してくれたものの、次はないと思っておいた方がいい。ザイルとエイブが『ぶっ殺すぞ』とでも言いたげな目でこちらを睨んでいた。


 ぎい、と訓練場の重く厚い扉を押し開くと、訓練場の端で男が剣を振っていた。


 ギルバートだ。


 静かに息を整えながら、その動きを見守るエリックの目に、ギルバートの一挙手一投足が鮮やかに映る。


「ギル」


 そう大きな声でなかった。むしろ、呟き程度のものだった。

 だが、ギルバートはその音を拾い、振り向いた──やはり、この男は耳がいい。野性的な感が強いとでもいうのだろうか、嗅覚も優れ、悪党を見破る目も持っている。

 ギルバートの『勘』のおかげで未然に防げた事件は少なくない。


「早いな、エリック」


 ギルバートは、少し落ち込んで見えた。


 エリックは「そっちこそ」と返しながら、オリヴィアのことで落ち込んでいるのだろうと当りを付ける。


(……二人は仲が良かった)


 エリックが剣を抜くと、ギルバートはニカッという効果音のつくような顔で笑い、それを合図に剣を合わせた。



 ◇



 ギルバートと手合わせを始めてからおよそ一時間が経った頃、平民のみで構成された部隊の新人たちがぞろぞろと訓練場に入ってきたので、二人は端に移動し、場所を譲ることにした。


 これに新人たちは恐縮しきりだったが、ギルバートが「俺たちも新人の頃はお前らの団長さんに場所を譲ってもらったんだ」と笑い、「後輩ができたときは譲ってやれよ!」と明るく声をかけると、気まずそうな空気は一気に和らいだ。


 やはりこの男は近衛騎士団に必要だ──エリックは改めて実感する。



 汗を拭きながら、新人の訓練を何ともなしに眺めるエリックに、ギルバートは目線を訓練場の真ん中に固定したまま話し始めた。


「俺さあ」

「うん?」

 エリックはギルバートのほうを見るが、彼の目線は先ほどと寸分違わない。


「ちゃんとしようと思う」

「……どうした、いきなり」


 エリックは予想外の言葉に目を瞬かせる。


「いや、前から思ってたんだ。このままじゃだめだって。でも、あいつの件で物事を知らないって怖いことだなって思ったんだ。『自分は特別だ』なんて思い上がることも怖い。俺はちょっと……いや、結構思ってたんだ。調子に乗ってた。平民で初の近衛騎士様だ! ってな。でも、いや、だからこそ、これからは、自覚と誇りを持って取り組みたい」


 ギルバートはエリックと目を合わせ「今まで、迷惑かけて悪かった」と頭を下げた。


 新人たちもいるので、すぐに顔を上げさせると、顔を上げたギルバートは「多分、これからも迷惑はかけると思うけど……」と若干沈んだ様子で言うではないか。


(まったく、この男らしくない)


 エリックが「そのたびに口うるさく言ってやるよ」と冗談めかして言うと、ギルバートは一瞬ふいをつかれたように、きょとんとした顔をしてから「頼むぜ、親友!」といつものように豪快に笑った。


 エリックがホッとしたように息を吐くと、ギルバートは悪戯っ子のように──いや、クソガキめいた表情で、「俺が『あいつの減刑を殿下に頼んでくれ』って言うかと思ったか?」と確信を突かれた。


【国王をはじめ、王妃、王位継承者、摂政に対し、侮辱あるいは中傷あるいは敵意を向ける者。これ、何人たりとも三年から一五年の懲役刑を科す──刑法:第一二一条】


「ああ、思った」


 即答すると、ギルバートは「ひっでえなあ!」と言って、ゲラゲラ笑う。


 あれ? とエリックは思った。それは、彼の様子から、怒りの空気を感じたからだ。


 エリックが驚いていると、ギルバートはニカッと笑った後、はあ、と溜め息を吐いた。


「ザイルさんとエイブさんに言われたから、エリックには先に言ってみた。……あのさ、俺、絶対言わねえよ。望んでもない。あいつの減刑なんて。だって、俺あの女のこと嫌いだもん」


 そういえば、今日顔を合わせてから、彼はオリヴィアの名前を口にしていない。


「……でも、そんな素振りなかった、よな?」

「『女性に優しく』って騎士道じゃん」


(全然、気付かなかった……。やはり、侮れない男だ)


「なあ、腹減った。飯行こうぜー」


 ギルバートの台詞に、エリックはふっと吹き出し、彼にぶうぶう文句を付けられながら訓練場を後にした。




 ◇◇◇




 食事を終えたタイミングで、ザイルに「殿下が呼んでる」と伝えられたエリックは、ジェレマイアの元へ急いだ。

 息を整え、ノックし、許可が下りた後入室すると、それと同時にエイブが退室した。


「よく眠れたみたいだね、兄さん」

「お陰様で。……昨日は悪かった。どうかしてた」


 微笑むジェレマイアに、エリックは少々気まずい。


「まあ、仕方ないよ……って、失恋した兄さんを慰めている暇はないからサクサク進めるね」


 これ、見て。そう言ってジェレマイアはテーブルに広げている書類を指差す。

 なんだ? と思い、ソファーに腰を下ろし、書類を確認すれば、それはシーグマンの悪事の証拠書類だった。


「これは、一体……?」


 戸惑い驚くエリックに、ジェレマイアは「愛だよねえ」とわけの分からないことを言うので、エリックの『これは、一体?』という気持ちがますます膨らむ。


 これは一体、誰が? どういう経緯で? なぜジェレマイアが持っているのか?

 そんな疑問符だらけのエリックに、ジェレマイアは教えてくれた。今度は茶化す様子なく、真剣な声色で。


「私と兄さん宛に届いたんだ。昨日、兄さんがシーグマン領に行ってすぐ。差出人は書いていなかったけれど、私はアイラ嬢だと思っている。調べさせたら、除籍申請書の文字と筆跡が同じだった」

「じゃあ、アイラが……」


 エリックは皺が寄った書類を数枚手に取り、それを撫でる。

 きっと、アイラは苦労してこれを見つけたのだろう。

 除籍書類の作成も一人で行ったのだ。

 そう思うと、心臓を掴まれたかのように苦しくなった。


「兄さん宛に封筒が入っていて……悪いけど、ここで開封してもらえるかな?」


 エリックは拳を強く握りしめ、何度か力強く頷いてから封筒を受け取った。


 真っ白で飾り気がまったくない、どこか素朴な封筒──年頃の女性が選ぶにはあまりに質素なものだった。

 しかし、だからこそエリックは、アイラの『らしさ』がにじみ出ているように感じた。


 エリックは静かに封を切り、中を覗き込む。


 そこに入っていたのは、一枚の小さな栞だった。


 手に取ってみると、それは押し花で作られた栞だった。

 淡い白い花びらが、まるで空気の中に溶け込むような繊細さで、栞に収められている。


 プリュムの花──エリックはその花が持つ意味を知っていた。



『プリュムの木は、春に白い花を咲かせます。花言葉は──』



 だけど、栞以外には何も入っていなかった。一言も、一文字も。


「……」


 無言の封筒。無言の栞。


 まるで彼女の沈黙そのものが、エリックへの想いをどうしようもなくこぼしているかのようだった。


「……その栞は、何か意味があるの?」


 ジェレマイアの問いに、エリックはただ首を振った。


「分からない」


 誰にも言いたくなかった。


 話してしまえば、余計なものまでこぼれてしまいそうで。


 ジェレマイアは少しだけ目を伏せたが、それ以上は何も聞かなかった──時間がなかったからかもしれない。あるいは、エリックの気持ちを汲んだのか。


 そして次の瞬間、何事もなかったかのようにシーグマン伯爵の捕縛計画について話し始めた。


「さあ、()()()()。四日後の段取りの話をしようか」





 四日後。


 シーグマン伯爵家当主リアンジェロ・シーグマンは、エリックとギルバートによって捕縛された。

 そして、この半年後、武器の製造及び密売と、人身売買等に関わった者たちにとって非常に厳しい法改正案が通ることとなる。


 折しも、その日はリアンジェロ・シーグマンの死刑執行と同じ日であった。





 ◇◇◇





 あれから一年が経過した今もなお、アイラは見つかっていない。


 王都の喧騒の中。

 どこか遠い村の片隅。

 あるいは誰も足を踏み入れない荒野の向こう。


 彼女がどこかで息を潜めて生きているのか──それとも。


 エリックは思わずその考えを振り払う。そうではない。そうであってはならない。彼女は必ず無事でいるはずだ、と。


 季節が巡るたび、アイラの姿を追い求める日々が淡々と積み重なっていく。

 目の前にあるのは空しい書類の山や任務に追われる日常ばかりだが、エリックの心は一度も彼女を手放したことがない。


 探し続ける理由は、単なる義務感や責任ではなかった。

 もっと根深く、もっと切実なものが、胸の奥で静かに疼き続けている。


 あの日、アイラが残していったプリュムの花の栞を、エリックは今も肌身離さず持っている。


 彼女が自分に託した、言葉なき贈り物。それを手に取るたび、エリックは小さな決意を新たにする。


(たとえ時間がどれほど過ぎ去ろうとも、どれほど多くの道を無駄にしたとしても、アイラを見つけ出す)


 その決意がエリックを突き動かしていた。

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― 新着の感想 ―
アイラのいじらしい様子やエリックのもどかしい気持ちが伝わってきて良いです!! この先どうなるのかとても楽しみにしています。 >『あいつの減刑を殿下に頼んでくれ』 >ザイルさんとエイブさんに言われたか…
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