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ep.1 『侍』


 2025年。東京、豊洲。


 季節は初春、快晴の午後。



 ここ豊洲の公園には、休日に思い思いの過ごし方を楽しんでいる人々がいる。お散歩、ウォーキング、ジョギング、サイクリング。デートや家族連れ。フリスビー、縄跳び、水遊びをする子どもたち。平和な時間が、キラキラと輝いて流れている。


 すぐ側には大型商業施設もあり、たくさんの人で賑わっている。気候のいい昼下がりに、太陽の下で食事を楽しむ人も多い。また、近くにライブハウスもあるせいか、推しのバンドのシャツやタオル、リストバンドをつけた老若男女も目立っている。芝生で寝転んだり、ビールや酎ハイなどを飲んだりして、ライブの時間に備えている。


 実は私が豊洲に来た目的も、推しのバンドのライブなのだ。はるばる九州から、ライブハウス『豊洲PIT』目指してやって来た。大好きなバンドが数組出演する、待ちに待ったイベント当日。お酒はまだライブまでとっておくことにして、私は一人ぶらぶらと、広くひらけた公園を散策していた。


 キッチンカーや移動カフェなどが点在しているエリア。ここで私は、何かお腹に入れておこうと考えた。ラーメンやハンバーガー、タコスやスパイスカレーなど食欲をそそる香りが、私に容赦なく襲いかかる。迷いに迷って、結局決めきれず彷徨う私。とりあえず喉が渇いた。


──もう、ビールかハイボールいっとくか!


 そう思ったが…… いや、まだ我慢だ。ライブ会場で最高の一杯をいただくことにした。


 て、なると………… ほう、なるほど。おしゃれで可愛い、それでいてグレーを基調としたシックなデザインの車が目にはいる。移動カフェだ。

──よし、まずは冷たい珈琲でも飲んで落ち着こう。

 そう考えながらも、すでにカフェの前で足を止めていた。


 先客が一組いたので後ろに並んだ。一組と言っても、スポーツウェアを格好良く着こなしているお姉さんと、お連れは賢そうな小型犬。ワンちゃんはお散歩用の給水器から、水をペロペロと美味しそうに飲んでいる。ワンちゃんに水を飲ませつつ、オーダーしたドリンクを待つお姉さん。

 

 ふとカウンターの奥を覗くと、私と同じくらいのアラフィフと思しきマスターが、美しい所作でドリンクを用意している。眉ひとつ動かさない、雰囲気強めのマスター。こだわり抜いて、決して妥協を許さない。高い位置からカップに落とす一筋の線は、琥珀色に煌めいている。その美しい線を見守るような眼差しは、真剣そのもの。さらに、ゆっくりと愛情たっぷりにマドラーを沈める。そして、自身の人生全てを込めるかのように、これまたゆっくりかき混ぜる。私は武士道を感じた。


 マスターはカップの蓋を丁寧にかぶせ、ストローをシャっとさした。侍が刀を鞘に納めるように。

──豊洲には、本物の侍がいたんだな……


 男性はカフェのマスターという名の、神聖な鎧を(まと)っているように思えた。隙のないカフェ侍。何人(なんぴと)たりとも、その鎧を貫くことは出来ないのだろう。


 マスターは、出来上がったドリンクを女性客に…… 

──はっ!

 いかんいかん! 侍に見惚れて何をオーダーするか決めてなかった! えーと、えーと…… なんにしよっかなー。



──ん? 

 ワンちゃんの側にあるメニューボード。気になるメニューが目にはいる。


『チャイソーダ』


 チャイソーダ……? 田舎者の私は勉強不足で、チャイソーダなるものを知らなかった。膝が震えた。侍をチラリと見る。まだ女性客の相手をしており、こちらの動揺に気付いてない。危ない危ない、ファーストコンタクトでズバッと斬られてしまうところだった。


 チャイは知っとるよ。ミルクティーみたいなやつでしょ。チャイティーラテとかでしょ。それは知っとるさ。どちらかといえば好きやもん。あれのソーダ? えー…… 美味いんそれ? なんなん、想像つかんて。思考を巡らせていると、


「お決まりですか?」マスターの穏やかな声に、ハッとする。

「あ、えーと……」

 ここは見栄を張ってもしょうが無い。素直に相手の懐に入り込もう。

「あのチャイソーダって、チャイのソーダですか?」無知を恥じるな、成長の一歩だ。

「ええ。そうですね。チャイのスパイスが入ったソーダです」

 余裕たっぷりで、下手に出た私に柔らかく微笑む侍。まるで「刀を抜くまでもない」とでも言わんばかりに。


 私は「ふーん、そうですか」「あー、あれね」感を出して、

「じゃあ、チャイソーダで」オーダーをした。

「はい。かしこまりました」カフェ侍。


 支払いを終えると、また侍の時間が始まる。先ほどと同じく、いや…… それ以上に厳かな佇まい。完全にキッチンを支配するカフェ侍。たっぷり手間をかけ、何やらシロップのようなものを、祈りを込めるかのようにカップにたらす。そして炭酸の泡を、絶妙なテクニックでコントロールしながら注ぐ。

 珈琲だけではない。ソーダに対しても繊細で手加減なしの姿勢を崩さないカフェ侍。「この鎧を貫いてみよ!」とでも言われてるようだった。


 細くて軽いはずのマドラーを、重厚感たっぷりに駆使する。仕上げにストローをシャっとさす。侍はそのストローを、しばし見つめる。『残心』だ!


「お待たせしました」

「あ、ありがとうございます」

 私は「あーこれこれ」「そうそうそう」感を出して、生まれて初めて遭遇するチャイソーダを受け取った。見た目は薄いジンジャーエールのような、綺麗な色をしていた。



「ありがとうございました」

 カフェ侍の言葉を背に、私は歩き出した。


 数歩、歩いた所でストローをくわえる。チャイソーダを流し込む。

──……


 さらに数歩。チャイソーダが喉を通る。

──…………


 そしてまた、飲む。カフェ侍から10メートル程、離れていた。


「なんだよ、ちくしょう! マジかよ」

 侍に一言、言わなければ気がすまないと思い、踵を返した。



 


 チャイソーダ片手に、再びシックで可愛いキッチンカーの前に立つ。カフェ侍は、新しく来た若いカップルの接客をしている。私は黙って順番を待つ。


 侍は私に気付いて、絵に描いたような2度見をしたが、接客を続けた。

 しばらくして、カップルがドリンクを受け取り店を離れた。私は意を決してカフェ侍に詰め寄る。





「めっちゃ、美味しいです!」言ってやりましたわ!


 カフェ侍は両手を胸の前でクロスさせて「あぁ、良よかった」と、乙女のようにキャピキャピとしている。表情は砕けて、さっきの雰囲気強めが嘘のように、目尻に皺を寄せて照れているいるように見える。

 

「これ最高です! めっちゃ好きです!!」言ってやりましたわ!!


「よかったー。なんて言われるかと思ったー」


 私は、鉄壁の鎧をあっさりと破壊し、カフェ侍の気のいいおっさんの部分をさらけ出した。


 2025年。東京、豊洲。季節は初春、快晴の午後。キッチンカーのカウンターを挟んで、二人のおっさんの平和な笑顔の花が咲いた。



 初めていただいたチャイソーダはとても美味しく、ぽかぽか陽気にピッタリなドリンクだった。スパイスと炭酸が鼻と喉を刺激して、心地よく喉を…… 身も心も潤してくれた。



 太陽の下、満ち足りた気持ちでカフェ侍に背を向けて歩き出す。冷たいチャイソーダを楽しみながら。


 その後のライブはもちろん最高だった。トリを務めたバンドの『その向こうへ』という曲を浴びながら、私はカフェ侍と一緒に『その向こうへ』行けた気がした。


 ライブ目的で来た豊洲。ライブの思い出の1日は、チャイソーダのスパイスが効いて、最高のものになった。



 おしまい 原口 モ でした。

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