2 マイロード、マイファミリー
秋色に華やいだ木々が穏やかに揺れ動いた。人里離れた山中から臨む見事な景色は、私に年齢というものを自覚させた。もし、この風景を一緒に楽しめるような円熟したパートナーが隣にいたならば、なんと幸せなことだろう。現実には、無機質な物体と共にある私は不幸せな状態にあるといえる。
魔法界きっての発明王、エドガンの自宅から拝借した狙撃補助魔道具『永遠の眠り』の設置は完璧。あとは照準を合わせて起動の為の魔力信号を送るだけ。過去の経験をもとに分析した結果、私のような一般的な魔女があの男に一撃を加えるには、超遠距離攻撃以外にないという結論に達した。この作戦も、果たしてどこまで通じるやら。スコープが捉えている映像を宙に映し出してみると、青みがかった黒髪がサークルの中に出たり入ったり、忙しく動きまわっていた。おそらく気付かれてはいないが、このままだと狙撃は難しい。私は両目を閉じて意識を集中させ、標的のいる5キロほど先の様子を伺うことにした。
広大な湖に面したウッドデッキには、六角形のガーデンテーブルが設置されている。瞼の裏に映された風景は、そのテーブル上から見たものだった。すぐ近くに、胸元が大きく開かれたドレスワンピースを着た妖艶な女性が腰掛けていた。波打つ黄金色の髪を腰まで伸ばし、完成された芸術品のような美しさを持つ彼女は、いかにも退屈だと言わんばかりの表情で、なにやら騒がしい湖のほとりを眺めていた。
彼女の名前はソフィー。大賢者レオナルド・セプティム・アレキサンダーの婚約者であり、異世界を支配する王の娘であり、引きこもり体質な大妖精である。
「あ、タルちゃん?」
ソフィーさんは、全長10センチにも満たない私の使い魔に気付いて話しかけてきた。私は大賢者によって『イブ』と名付けられた単眼の使い魔をテーブル上で頷かせた。
「ちょうどいいタイミングね。面白いものが見られるわよ」
とてもそんな表情には見えなかったが、ソフィーさんとはそういう人だ。勝手に納得した私は、彼女の指差した方向にイブの顔を動かした。
湖の岸辺では、体長10メートル超の巨大な白いザリガニがひっくり返っていた。タンザニア原産のその魔法生物のすぐそばで、人間でいえば5歳児相当の大きさをした男児が地面に両手をついて悔しがる様子を見せていた。彼の名前はゼノ。諸々の事情により普段は幼体として過ごしている人型軟体動物であり、言葉が『ピィ』としか喋れないため、私はピィちゃんと呼ばせてもらっている。
ピィちゃんとザリガニの数メートル先で、彼らのいる場所に手のひらを向けていたのは我らが主君、大賢者レオナルド・セプティム・アレキサンダーだった。母親譲りの端正な顔立ちと粗野な言動を両立させるこの男は、時々こうして身内に自分を殺させようとするという、悪趣味なお遊びをすることがある。強すぎるが故の悲しい退屈しのぎに、私たちは付き合ってあげている真っ最中だった。
「なんかすげぇ落ち込んでるけど、そんな水鉄砲で、本気で俺に勝てると思ってたんか? アホめ!! つ」
金属音が聞こえた。話している途中で大賢者に斬りかかったのは中年の侍、ムガ・アシハラだった。鍛えあげられた筋肉と分厚い脂肪を兼ね備えた、いかにも頑丈そうな体つき。にもかかわらず、身軽に動けて、むさくるしい顔からは想像もつかないほどに繊細な魔力操作が行える。大賢者の命を取れる人間がいるとしたら、おそらくはこの男が一番近い位置にいるんじゃないだろうか。
「……何の真似だ、アシハラァ? そんな普通の攻撃が、俺様に通じるとでも?」
大賢者は金色の光を纏った腕でアシハラの太刀をしっかりと受け止めながら、眼光鋭く言い放った。
「ぐっ……」
驚異的な力で払いのけられ、身体ごと刀を弾き返されたアシハラだったが、すぐさま距離を詰めなおし、再び大賢者へと斬りかかった。今度の斬撃は私の目では追いきれない速さだった。しかしその全ては大賢者の金色の腕によって受け止められてしまった。体格的には有利なはずなのに、せり合いになると力負けをしてしまう。これにたまらなくなったのか、アシハラは大賢者の腹に蹴りを入れようとした。すかさず大賢者は後ろに飛んで、攻撃をかわした。二人の間に安全な距離が生まれると、アシハラは刀を鞘に納め、身を低くして構え直した。
「好きだなぁ、その蹴り。お望みの位置に動いてやったぞ? 何を狙ってるんだ?」
間髪をいれず、超高速で飛び込んだアシハラが繰り出した攻撃は突きだった。しかしこれも当たることはなく、大賢者に避けられてしまった。大賢者は薄笑いを浮かべながら、突きの動作のまま動かなくなってしまったアシハラを見下ろしていた。もはやこれまでか。そう思った時、余裕を見せていた大賢者の表情が変わった。なんともう一人のアシハラが現れ、突きの体勢のまま固まっていたアシハラごと大賢者を斬りつけた。
「は? 何だこれ!? 上等だよ、まとめて地獄に送ってやる!!」
不意の斬撃を受け止めきると、大賢者は出の速い掌底で二人目のアシハラの存在をかき消した。三人目と四人目のアシハラたちが左右から大賢者に襲い掛かった。彼らの斬撃は届くことすらなく、大賢者の魔体術によってかき消された。その時、大賢者の足元が一瞬だけ光り輝いた。四人のアシハラたちは攻撃を繰り出しながら地面に体の自由を奪う魔法陣を描き、その中に大賢者を閉じ込めていた。
「まったく……よく知ってやがるなぁっ!!」
圧倒的な魔力を足の裏から放出し、大賢者は魔法陣を破壊した。そこに五人目のアシハラが現れ、とうとうやってくれた。彼は鞘で地面の土を抉り、大賢者の顔に砂利入りの泥を浴びせた。難攻不落の超人の視覚が奪われた瞬間だった。
「やべっ!!」
「今だ、吉良殿!!」
「はぁぁぁぁ!!」
それまで傍で見ていたエルフの少女、キラの魔力が一気に膨れ上がった。長い髪の毛を逆立てて、大きな木製の杖を手に持ちながら宙に浮かび上がると、彼女は全身から眩い光を放った。
「行くぞ、オラァァ!!!!」
光が引くとキラは成人したエルフの姿に変貌を遂げていた。表情と言葉遣いこそ知性に乏しかったが、全体的な美しさだけで言えば大妖精にも引けを取らないものがあった。
変身したキラが手にしていたのは杖ではなく弓だった。彼女の上半身には火の精霊であるサラマンダー君が、燃え盛る炎の羽衣となって絡みついていた。エルフと精霊。それだけなら幻想的な組み合わせだったのだが、彼女の下半身を締め上げている赤いふんどしが雰囲気を珍妙なものにしていた。当の本人は満足しているらしく、白い歯をむき出しにしながら力強く弓を引き絞っていた。
「ムーンプリズム・セレインアロー!!!!」
大好きなアニメヒロインの決め台詞と必殺技をミックスさせた、とても良くない技名と共に弓から発射されたのは炎の巨鳥だった。巨鳥は甲高い鳴き声をあげ、周囲の空気を溶かしながら大賢者に向かって一直線に飛んで行った。
「甘い!! 目が見えないぐらいで、そんなデカい魔力が当たるわきゃねぇだろう!!」
強大な魔力を宿していた炎の巨鳥を片手だけで吸収してしまった大賢者だったが、私の目には頭上から猛スピードで降り注ぐアシハラの存在に彼が気付いていないように見えた。
この機を逃す手は無い。私は目を開き、照準を大賢者の頭部に合わせて魔道具に起動用魔力を伝達させた。着弾を知らせたのは時間差で鳴り響いた雷の音だった。
「……ふぅ」
「いや、ふぅじゃないが? かわいそうに。たぶん、アシハラに当たったぞ。一人だけいねぇと思ったら、こんなところでコソコソと……いくら何でもガチすぎだし、遠すぎだよ。何だ、その魔道具。そんな物騒なもん、どこから持ってきたっていうんだ?」
今回もダメだった。どこで探知されてしまったのかはわからない。ここがアレキサンダー領内であることからして、魔法で転移してきたんだと思う。今さっきまで5キロ離れた場所で戦っていた大賢者は、当然のように私のすぐ隣であぐらをかきながら着弾の報告してきた。
「期待に添えなくて、申し訳ございませんでした。ちなみにこれは、あなたのお父様のお部屋で見かけて、お借りしたものです。お返しします」
「フハハハハ!! すごいな、お前。人の実家から無断で……まあ、いいや。よくぞやってくれた。それでこそ、我が右腕にふさわしい魔女ってもんよ。さて、動いたら、腹減っちゃった。戻って、軽くなんか食おうぜ?」
大賢者は触れることなく魔道具を消し去ると、颯爽と5キロ先の拠点へと転移した。彼がいなくなったのをしかと見届けてから、私は舌打ち混じりのため息をついた。
ウッドデッキに戻ると、すでにガーデンテーブルにはメンバーが全員集まっていて、そこで飲み食いをしていた。私は背中にドラゴンの刺繍の入ったローブを着たピィちゃんと、少女の姿に戻って着替えもバッチリ済ませたキラの間の席に座ってその会に参加した。
「ピィッ!」
「おかえりっ!」
「キューン!」
「はいはい、お疲れさん」
子供たちと精霊の出迎えの挨拶に大賢者はぶっきらぼうに返事をして私の正面の席に座ると、テーブルに置かれていたピザを貪り始めた。私は温かいココアを出してくれたソフィーさんにお礼を言って、早速ひと口いただいた。
「それにしても吉良殿、さすがにテレビの見過ぎじゃない? 技名を付けるにしても、ちゃんとした、オリジナルのものじゃないとダメだよ? そんなものを付けたところで、叫ぶ必要もないし。今回だって、その分、技の出が遅くなっちゃったじゃない」
キラを諭すアシハラの服は上半身だけが燃え尽きていて、ムチムチの肉体が露わになっていた。それ以外は何事もない様子の彼を見るほどに、自分の魔力の貧弱さを痛感させられた。
「なんでぇ!? ムガも技の名前、言ってたじゃん!!」
「え? そんな時、あったっけ?」
キラは一瞬だけムッとした顔を見せて、自分の顔の前で杖を横一直線にして構えた。
「――――密刀、破邪の太刀」
「あぁ、それ、弄っちゃう? 恥ずかしいんですけど」
「キッシッシ!!」
熟練した魔女のような笑い声をあげながら、キラはテーブルの上に手を伸ばした。お目当てのピザがすで無くなっていた事に気が付くと、それまで楽しそうにしていた表情がみるみる変わっていった。
「嘘ぉ!? もう無いの!?」
「騒ぐなって。大丈夫だよ。こんな体に悪いもん食わなくても、大好きなオーマがお前の為に、健康的で愛情たっぷりのメシを用意してくれるんだから」
私たちはおろか娘の分までピザを食べてしまった大賢者は悪びれるどころか、トゲトゲしくキラに言い返した。
「なんだよぉ! オーマのご飯は美味しいけど、ピザも食べたかったのに! バカぁ!!」
彼女たちがオーマと呼ぶこの地の領主、ティナ・エーデル・アレキサンダーの手料理はとても美味しい。それなのに大賢者だけは、なぜか実の母の手料理を毛嫌いしていた。
「へへっ、諦めろ。今のうちにたくさんオーマに甘えとけ。しばらくはここに戻る予定はないからな」
キラは頬を膨らませて隣に座るアシハラの肩を強く叩いた。
「あとでピザ作って」
「あいよ」
仲睦まじい二人のやり取りを見て、その場にいる全員が笑った。
新たな旅はいきなりの寄り道から始まった。魔法界で最後の領地と呼ばれるアレキサンダー領。この地の集落では、毎年十月の末日になると祭事が行われる。その祭りというのは、集落で一番よく育った豚を領主自らの手で捌くという奇祭で、ひょんなことから私が意地を張った結果、その祭りを見学させてもらうという約束を大賢者と交わしてしまったのが、この寄り道のきっかけだった。
私たちがアレキサンダー領に訪れてから、すでに数日が経過していた。大賢者の娘となったエルフの少女キラと、大賢者の母ティナ・エーデル・アレキサンダーとの邂逅は意外なことに上手くいった。おバカなエルフ娘は持ち前の天真爛漫さで、見事に厳格な魔女のハートをもみほぐしてみせた。血のつながりのない祖母と孫の関係は良好で、領主はキラに新しい魔法技術を直接教えるほどに可愛がった。それが先ほどキラがしてみせた爆発的な魔力の上昇と一時的な外見の成長である。
旅の本来の目的は大賢者がソフィーさんに送る結婚指輪の作成であり、そのために必要な宝石を見つけ出すことにある。前回の旅ではエルフの秘宝を見事に復活させ、無力化するという結果に終わったが、今回の旅はどうなることやら。我が主君、我が家族らがもたらす新たな不安の日々はここから始まる。