〔拾参〕居候。三杯目には、そっと出し。
「何でしょうね。今日という日は。ずっと愕かされてばかり…」
そっくりそのままお返しします。
「あなたから、そうした深い理解が得られたことを、とても嬉しく
思いますし、またまたちょっぴり、あなたのことを見直しました」
そんなに何度も見直されるほど、僕は見損なわれていたわけか。
「我、妖鬼を砕き討つ者なり。しかし、隻腕でどうにかなるほど、
脆弱な相手ではない。それは、あなたも戦ってみて理解ったはず。
このままでは、代々と受け継がれてきた叛骨の意志が、わたくしの
不甲斐なさが元で、永遠に断たれてしまうことになる…」
がっくりと肩を落とす美咲先生。その表情には、無念と悔しさが
滲み出ている。さて。こういう場合、何と声を掛けたものだろう。
「いやいや。だけど、防人としての役目を果たすべく立派に戦った
末の結果でしょう。そんなふうに、自分を責めるのは違いますよ」
「…ありがとう。立花君。やさしいですね、あなたは…」
「あ。ひょっとして、またもや見直されちゃいました?」
「ちっとも全然。やさしいことだけは、前から知っていますので」
だけはないでしょ。だけは。
「そこで、わたくしは願ったのです。この身は果てても構わない。
だからせめて、この意志だけはと。あの大刀にも負けないくらい、
猛き鋼の精神を宿した、強き荒武者に託せればと」
「いやいや。だからって、それが僕ではないでしょう。猛き鋼の?
冗談じゃない。そんなの僕は、鼻糞ほども持っちゃ―――」
「立花君。あなたが何をどう思おうと、それはあなたの自由です。
わたくしが、とやかく言っても仕方のないこと。しかし、あなたが
ここにいるという現実は、あなたのそれを否定しているのです」
何故だ。何故、そうなるのか。
「たまさか、偶然。僕しかいなかっただけですよ。近所に甲が」
「当初の依頼先は、富士山の向こう側。遠く離れた岐阜ですよ?」
その請けた最初の職人ってのが、孫を抱こうとしてぎっくり腰。
以降、突発性の腱鞘炎、草野球で骨折、酔っ払って階段から転落、
高速道で追突事故、入浴中に脳梗塞、と依頼を代った者は何らかの
不幸に見舞われ―――徐々に危険度合いの高くなっているところが
怖い―――気味の悪くなった職人仲間が、膨れ上がった賭け麻雀の
借金をチャラにするという条件で、そいつを祖父に、丸っと投げて
寄越したのだ。それが偽りのない真相である。
「どうです? 少しは信じる気になりましたか?」
「白羽の矢、…ですか。だとしたら、じつに縁起でもないですね。
あれってたしか、人身御供を決めるときに―――」
「あ。ところで、立花君。先ほど、天吹さんの名前が出ましたね。
それと、この手のことに長けている者がいるとも」
誤魔化しましたよね。しれっと誤魔化しましたよね。今。
「出来ることなら、今すぐにでも連絡を取りたいくらいですが」
「そうですか。ならばやはり、きっとそうなのでしょうね…」
「何がです?」
「立花君。くどいようですが、あなたは大刀に選ばれし者。只者で
ないのは判っている。そうでなければ、あの妖鬼と真っ向から対峙
して、まともなままでいられるはずがありませんもの」
腰を抜かして失禁。挙げ句、猪の群れに撥ねられて崖下ですか。
「また、わたくしがあの壁の向こうを異世界としたことに対して、
あなたはそれを不自然と断じた…」
「何か、お気に障りましたでしょうか?」
「あのね。立花君。先ほども言ったでしょう。正直、よく理解って
いないのです。異世界なんて言いながらも、あの壁の向こう側が、
本当はどういう場所なのか。つまり、あなた達は異世界について、
何か知っているのですね?」
やれやれ。そう来たかい。
…まあ、よかろう。どうせ話すことだしな。遅いか早いか、それ
だけのこと。知りたがっているんだ。今さら隠すこともあるまい。
「はい。あの壁の向こう側。あれは異世界ではありません」
「そうですか。あなたが言うのなら、疑う余地はないのでしょう」
「あ。いや。現実世界の空間以外を、すべて異世界として定義する
なら、あれも立派な異世界でしょうが」
美咲先生、並びに一同は、強張った表情で唇を真一文字に結び、
愕きを露わに、その目を大きく見開いた。
「しかし、僕の知る限りで言わせてもらうと、あそこは異世界では
ありません。かといって、現実世界とも違うわけで。言うなれば、
現実世界と異世界の狭間。亜空間といったところではないかと」
その亜空間とやらを、三矢は自在に操るのだ。
「不自然と言ったのは、そういう意味です。けど、僕だって、それ
ほど深く理解しているわけではない―――って、そこまで愕くこと
ですか? ご自分で言い出したことなのに」
「あ。ごめんなさい。だけど、意外で。あなたの口から定義なんて
言葉が出るとは…」
どこに意外性を感じているのか。
「僕も漠然と聞かされているだけですので、美咲先生が納得出来る
ような説明を求められても無理です。詳しく知りたければ、由良に
でも訊いてください。ご存知でしょうが、うんざりするほど喋って
くれます」
「由良君っ? 彼がっ? 彼も何か知っているのですかっ?」
「はい。じつを言いますと、由良を疑っていたんですよ。あいつが
何か、ろくでもない余計なことを吹き込んだのかと」
「そう…」
「ま、そいつも杞憂だったみたいだし、仕方ない。二膳目までは、
お替りを認めてやろうと思います」
「おかわり? …あ。例の合宿ね?」
「はい。連絡もなく、突然やって来ましてね。今日の昼過ぎに」
由良由良。馬鹿みたいな名前だが、すでに説明したとおり、学園
創立以来の云々。知る人ぞ知る天才科学者の息子であり、陰では、
《世紀に一人の―――》とまで囁かれているとか、いないとか。
普通に地元の公立中学校に通っていた僕だから、そんな希少種と
知り合ったのは、あの学園に入学してからだ。何の因果か同じ組に
なり、くじで決まった席順までもが前後した。
ま、せっかくなので、少しだけ時間を遡ろう。
以下は、二年前の冬休み前日。教室にて、由良との一幕。