〔拾伍〕騒音には、ご注意を。
呆れつつも愕いた表情が、余程、可笑しかったのだろう。
例の六人と美咲先生は、揃いも揃って口元を手で覆い、ぐっ…、
と息を殺して、小刻みに肩を震わせた。
「恐竜って…。おかげで、僕の中の妖鬼が覆りました。根底から」
「立花君。恐竜について、どこまで知っていますか?」
「小学校の校外授業で博物展に行った程度です」
「結構。一応、言いますが、見た目が似ているだけですよ?」
でなきゃ困ります。
「体格差や、個々の持つ特徴は別として、容姿を理解りやすく表現
するなら、恐竜が最も近いという意味です。妖鬼は、人知れず絶滅
していなかった恐竜の生き残りとか、そういうことではありません
ので、念の為。駄目ですよ。おかしなアニメとかに感化されちゃ」
ああ。そう言や、前に紅頭から似たような話を聞かされたっけ。
たしか、新作アニメが云々と―――いや。新人賞の小説だったか?
「二足歩行の恐竜は数多くいますが、その体軸は、地に平行の前傾
姿勢。ですが、妖鬼は頭蓋から頚椎、脊椎、腰椎までが垂直に立つ
直立姿勢。その立ち姿は、まさしく人間と同じです」
最終的に、宇宙人だったとか言いませんよね。
「それと、これは余談ですが、近年では恐竜に羽毛があったという
説が有力視されています」
「うもう? …って、鳥の?」
「そう。鳥の先祖は恐竜であると、断言している学者もいます」
てことは、さっきの小鳥も子孫なのか?
「もしそれが正しければ、あなたが博物展で見知った容姿と実際の
恐竜とでは、非常に大きく違うでしょう。しかし、先生の言う恐竜
とは、昔ながらの恐竜です。先人が想像に想像を重ねて創り上げた
恐竜。羽毛はなく、大きな爬虫類を思わせる姿の恐竜。図鑑などに
描かれている恐竜。奇しくも、それが最も妖鬼の姿に近いのです。
また、人間同様、直立二足歩行なので、恐竜のような横長に大きい
頭顔は持たず、むしろ、縦長。さらに大きな相違点は、膝まで届く
ほどの長い腕でしょうか。正確には手指が長く、そこに鋭く尖った
鉤爪が伸びていますので、掴まれたら最後。大の大人であっても、
逃げるのは不可能だと思いなさい」
不吉なことを。
「どうです? 少しは参考になりましたか?」
「はい。なりましたけど、正直、恐いというより、気持ち悪い姿の
妖鬼が出来―――」
ぎょりっぎょりっぎぎぎっぎょりっぎぎっぎっ
…な。何だ。何だ。この異様な音は…。
僕は、ぐいと顔をそちらへ向けて、じっと耳をそばだてた。
音の出所は、縁側を奥へと進んだ先。何処か遠くのほうからだ。
「立花君」
呼ばれて僕が振り向き直ると、美咲先生は、すでに立ち上がって
いた。
「とても口惜しくはありますが、話はこれまで。終いです」
「は?」
僕を見下ろして言った美咲先生の表情は、先ほどまでとは打って
変わって厳しくて、教鞭を執っていたときのように、じつに毅然と
したものだ。
「すみません。僕が何か、お気に障ることでも?」
と問うている間も、耳障りな音は不規則断続的に続いている。
「あのね。立花君。悪いことほど、不思議と重なるものなのです」
はい。それは誰よりも知って―――って、そんなことはどうでも
いいが、一体、何があったのか。急に、どうした。悪いこと?
「ごめんなさい。本当に申し訳ないのですが、どうしても外せない
急用が出来てしまったのです。予想外に」
やれやれ。何て中途半端な。さんざ、人を引き止めて。さんざ、
付き合わせておいて…。
「そうですか。そういうことなら」
仕方ない。その悪いことってのが何なのか、少し気になるところ
だが、誰にでも、如何ともし難い事情の一つや二つはあるものだ。
変に詮索するのはよそう。
それに、ここで見聞きしたことを、なるたけ早く三矢達にも報告
したいし、ここは素直に退くとしようか。
おお。そうだ。さっさと帰って、由良のことも問い詰めんとな。
由良は、美咲先生のことを知ってやがったのだ。それを黙っている
なんざ、何があっても許されん。今夜、野郎は飯抜きだ。
「わかりました。なら、また後日」
折りを見て伺いますと、僕が腰を浮かせたときである。
「座りなさい」
美咲先生が、幾分、低目の声で制した。
「へ…?」
「いなさい。ここに。この部屋に」
何故。
「他には何も望みません。あなたは、そこに座っていなさい」
どういうことか。
「話は終いじゃ?」
「わかりましたね?」
「けど、僕にも予定がありますし」
「わかりましたね?」
だから、どうして。
「続きなら、また寄らせていただきま―――」
「わかりましたね?」
駄目だ。目が据わっている。
「わ、か、り、ま、し、た、ね?」
僕は黙って頷いた。
「よろしい。では、座りなさい」
何だ。何なんだ。つい、気圧されてしまったが…。
「あの。ところで、これは?」
こうしたやり取りをしている最中も不意に耳を穿つ奇妙な音は、
甲高くもあり鈍くもあり、何かを擦り合わせるように、何とも不快
極まりない。
「何なんです? この、さっきから耳障りな音は」
ところが美咲先生は、何も語ろうとしないばかりか踵を返して、
一見、冷たくあしらうかのように背を向けてしまった。
無視…、というわけではないのだろうが、しかし、そうして黙り
込まれては、こちらとしても立つ瀬がない。
「…あのぅ。美咲先生…?」
返事はない。返事もなければ、ちらと振り向く様子もない。
誰が書いた物だろう。日々是好日と墨痕鮮やかな掛け軸の掛かる
床の左、床柱を境に設けられている床脇の前へ進むと、美咲先生は
その違い棚に手を伸ばした。
棚には盆が載せてあり、ずっと袱紗が掛かっていたので、そこに
何があるのかは、僕も知らない。
背中で隠れてしまっているが、その動きから察するに、どうやら
盆の上の物を手に取って、一つ一つ、何やら確かめているようだ。
ぎぎぎぎっぎょりっぎょりぎょりっぎっぎぎっ
…お。おい。おい。何か、でかくなってないか。音。
いやいや。気のせいではなかろう。音のする間隔が徐々に短く、
徐々に大きくなりつつある。
その証拠に、その分、不快感も割り増した。鼓膜を擽られている
ような、嫌悪感。首筋の皮が引き攣りそうな拒絶感。
まずいな…。何にしたって、こいつは尋常な騒ぎじゃないぞ。
と、じわりじわり不安に駆られ、僕は再び腰を浮かせた。
「立花君?」
衣擦れの音で気づいたのだろう。不意に、こちらへ向き直ると、
美咲先生は何とも冷ややかな目で僕を見た。
こういうのを第六感と言うのだろうか。つまり、直感である。
その直感で、僕は美咲先生の頭の中を覗き見たような気がした。
理由も根拠もない。ただ、ぴんと来たのだ。
また、目は口ほどに物を言う。その目が僕に語っているのだ。
「言ったはずですよ? そこに座っていなさいと」
…嘘だろ。おい。嘘だよな?