1.
新作です。よろしくお願いします。
「すまない、オーロラ嬢。俺は、君を愛せないと思う」
私、オーロラ・フローレンス伯爵令嬢とリアム・オケアーノ侯爵令息との婚約関係は、こんな言葉から始まった。
「構いませんわ。私も……あなたと同じですから」
リアム様にそう返し、私は浅く息を吐いた。
この婚約は、王太子命令だ。
だから、婚約者との間に愛があろうがなかろうが、関係ない。
私たちは、ただこの婚約に向き合う必要があるから、言われた通り、そうするだけ。
自分たちの気持ちには、目を背けて——。
◇◆◇
王太子殿下の第二子が無事誕生して半年ほどが経ち、慌しかった王宮も落ち着き始めた初冬。
私は普段通り、王宮で文官として職務をこなしていた。
いつもと同じ時間に王太子執務室に書類を届けに向かうと、王太子アレクサンダー殿下は、応接ソファに腰掛け、若い貴族男性と話をしていた。
私は会釈だけして書類を置き、執務室を後にしようとしたのだが――。
「あ、オーロラ、ちょっとそこ座ってよ」
「はい?」
すれ違いざまに殿下に声をかけられ、男性の隣の席を指し示された。私がためらっていると、男性は小さく息を吐いてソファから立ち上がり、殿下の横に腰を下ろす。
「……申し訳ございません」
「いや、構いません。初対面の男の隣に座れと言われても、困るでしょう。当然のことです」
男性は、眉を寄せ、冷たい灰青色の瞳を殿下の方へ向ける。
艶のある青色の髪と彫刻のように整った容貌、そしてその身に纏う何かを諦めた人のような冷めた雰囲気。
気の利いた行動を取ってくれたところを見ると、実際には冷たい人ではないのだろう。だが、なんだか針葉樹の枝に垂れ下がる氷柱のような印象を与える人だ、と私は思った。
私とは、真逆である。今は文官として引っ詰めにしているが、ふわふわしたピンクの髪に紫色の瞳という甘い色合いから、年下と間違えられることも多いのだ。
「ん? 配慮したつもりだったんだけどな?」
アレクサンダー殿下は、こてんと首を倒して、不可解そうな表情を浮かべている。
太陽のように輝く金色の髪はくるんと自然に緩くウェーブしており、金色の瞳は柔らかく垂れ、目元には泣きぼくろ。しっとりとした色気を孕んだ甘い顔立ちは、女性なら誰しも、憧れたことがあるだろう。
それは私も同じだ。幼い頃から、ずっと私の心を掴んで離してはくれない。
「まあいいや。リアム、彼女はオーロラ・フローレンス伯爵令嬢、私の母の妹の娘で、つまり私の従妹だ。学園を卒業してから、王宮で文官として働いている。容姿も家格も能力も申し分ないのに、なぜか結婚する気がないらしくて、すっかり行き遅れだ」
「ちょっと、殿下、行き遅れって……!」
文官として働き始めて二年目、つまり私は二十歳。
職に就かず、十代のうちに婚姻を結ぶことが多い高位貴族の令嬢として、婚約者もいないというのは確かに少し遅れているかもしれないが……まだ行き遅れと揶揄されるほどの年齢ではないはずだ。
「それで、彼はリアム・オケアーノ侯爵令息。学生時代からの私の親友で、学年は一つ下、オケアーノ侯爵家の嫡男だ。ある一点を除けば、非常に優秀な男だよ。まあ、四大侯爵家の嫡男としては、その一点がものすごく問題なのだけどね」
リアムと呼ばれた男性は、嫌そうに眉をひそめて、殿下を横目で睨んでいる。
普通の人がやったら不敬だが、リアム様と殿下はそれだけ気安い関係なのだろう。
オケアーノ侯爵家は、ボルカノン侯爵家、シルフィード侯爵家、タイタノス侯爵家と並ぶ四大侯爵家の一つで、水を司る家門だ。
殿下の一つ下ということは、今年で二十四歳ということか。
「私はね、二人のことをとても買っているんだ。だから、君たちが家庭を持たず、子を成さずにいるのは、王国にとっても、精霊たちにとっても、とても重大な損失だと思っている。でも、君たちは放っておいたらずっと結婚せずに独身を貫くつもりだろう? それで、ふと気が付いたんだけど――」
にい、と唇で綺麗な弧を描いて、アレクサンダー殿下はとても良い笑顔を浮かべる。
どう考えても厄介ごとの匂いしかしない笑顔なのに、それでも惹かれてしまうのだから、全くもって罪なご尊顔だ。
殿下の隣に座るリアム様の顔も、心なしか引き攣っている。
「なら、リアムとオーロラ、君たち二人がくっついちゃえばいいんじゃないかって思ったんだよ!」
「「はぁぁぁ?」」
私とリアム様は同時に声を上げたが、殿下は何故かうんうん、と嬉しそうに頷いている。
「ほら、多分気が合うと思うんだ。ってことで、まずは婚約からね」
「いやいや、アレク――」
「あ、これ、王太子命令だから」
リアム様が慌てて反論しようとしたが、殿下はそれを遮って、ジャケットの内ポケットからペラリと一枚の紙を出した。
やたらと上質な紙で、王太子の印章と、宰相室などの各所から既に裁可が降りていることを示す印章まで押されている。
「お前、いくら何でもそれは横暴すぎないか」
「そうですわ、殿下! だって、私たち、初対面ですのよ」
「――二人はそう言うけどさ。そもそも貴族の政略結婚って、そんなものじゃないの? 二人は家格も年齢も、容姿や能力面においても釣り合う。性格だって、王太子の保証付きだ。政略結婚としてはかなり好条件だと思うけど」
ふっと笑顔を消して真面目な表情でそう告げる殿下に、私は反論の言葉を呑み込んだ。
確かに、このまま結婚を避け続けていたら、いつか家族が家のためにと政略結婚の話を持ってくるかもしれない。
そのときの相手が、親子ぐらい年齢が離れていたり、高圧的だったり、私を尊重してくれなかったり、とにかく良い相手である保証はないのだ。
「まあ、とりあえずは結婚じゃなくて婚約だし、付き合ってみて相性とか悪かったら白紙にしても全然いいから。そのときは、いつでも私に相談してほしい。あ、でも仲良くなる努力はちゃんとしてね! 全然歩み寄ろうともしないで白紙になんて要望は受け付けないからな!」
「はあ……」
重いんだか軽いんだかわからない王太子命令に、私もリアム様も同時に眉尻を下げ、顔を見合わせる。
困惑を浮かべる灰青色の瞳と視線が交わり、私はとりあえず愛想笑いを返した。
「受けてくれるね?」
「……はい。承ります」
「リアムもいいね?」
「……王太子命令なら受けるしかないだろう」
「うんうん、良かった! 快く受けてくれて!」
殿下は再び綺麗な笑顔を浮かべて、一人で楽しそうに拍手し始めた。
私もリアム様も快く受けてはいないのだが、殿下の中ではそういうことにしたらしい。
「へーきへーき。きっと二人は上手くいくよ」
少し席を外すからしばらく二人で話したらと言って出て行った殿下が、最後に浮かべた笑顔。
そこには何か少し深い意味が込められているように感じられたが、このときの私にはさっぱり想像もつかなかった。




